NAKAMOTO PERSONAL

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政治介入

「【主張】教科書検定 政治介入排し事実正確に」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/life/education/071003/edc0710030255002-n1.htm

 高校教科書の沖縄戦集団自決に関する記述に付けられた検定の撤回を求める動きが続いている。教科書検定は政治的な動きに左右されてはならない。正確な歴史の記述を求めたい。

 教科書検定への批判には、大きな誤解や論点のすり替えがある。

 今回の検定前の教科書には「日本軍のくばった手榴弾(しゆりゆうだん)で集団自害と殺しあいをさせ」など、軍の命令で強制されたとする誤った記述があった。

 検定意見は近年の研究や証言に基づき軍命令説の誤りを指摘したものだ。前述の記述は検定の結果、教科書会社側が「日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺し合いがおこった」との表現に修正した。

 検定は、軍の関与や体験者の証言を否定するものではない。

 集団自決は、米軍が沖縄本島西の渡嘉敷島座間味島などに上陸したときに起き、渡嘉敷島では300人以上が亡くなった。その後の地上戦で12万人を超える沖縄県民が戦死した。この悲劇は決して忘れてはならない。

 軍命令説は、昭和25年発刊の沖縄タイムス社の『鉄の暴風』に記され、作家の大江健三郎氏の『沖縄ノート』などに孫引きされた。だが作家の曽野綾子氏が渡嘉敷島で取材した『ある神話の背景』をはじめ、調査や証言で軍命令説は信憑(しんぴよう)性を失っている。

 渡嘉敷、座間味での集団自決は両島の守備隊長の命令だったとされてきた。しかし遺族年金受給のために「軍命令だった」と関係者が偽っていたことなどが明らかになった。大江氏の『沖縄ノート』に対して元守備隊長や遺族らが誤った記述で名誉を傷つけられたとして訴訟も起きている。

 渡海紀三朗文部科学相は教科書会社から訂正申請があれば書き換えに応じる可能性を示した。検定意見の撤回を求め沖縄県で開かれた大規模集会などを受けたものだ。

 しかし、訂正申請は誤記・誤植や統計資料の更新など客観的事実の変更に限られるべきだ。検定の方針が変わることはあってはならない。民主党が検定の撤回や見直しを求めていることは教科書への政治介入である。

 教科書には実証に基づいた正確な記述が必要だ。政治的思惑で歴史事実を書き換えることは許されない。


「沖縄集団自決 検定への不可解な政治介入」(読売新聞)
 → http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20071002ig90.htm

 教科書検定に対するきわめて不可解な政治介入である。

 来年度から使用される高校日本史教科書において、「日本軍に集団自決を強制された」などとする沖縄戦の記述が、今春の検定で修正された。これについて町村官房長官は、渡海文部科学相に対し、教科書の記述を再修正出来るかどうか、検討するよう指示した。

 沖縄県宜野湾市で開かれた県民集会には11万人が参加し、検定意見撤回を求める決議が採択された。決議は、集団自決が日本軍の「関与」なしには起こりえなかったと強調した。今回の修正は、沖縄戦体験者の数多くの証言を否定し歪曲(わいきょく)するものだとも批判している。

 しかし検定意見は、集団自決への日本軍の「関与」を否定したのではない。

 例えば「日本軍は、県民を壕(ごう)から追い出し、スパイ容疑で殺害し、日本軍のくばった手榴弾(しゅりゅうだん)で集団自害と殺しあいをさせ」となっていたある教科書の記述は、検定の結果、前半部分をほぼそのまま残した上で、「日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあいがおこった」と改められた。

 集団自決の際に軍の「強制」があったか否かが、必ずしも明らかではないことが検定意見の付いた理由だった。

 沖縄戦の最中、渡嘉敷島座間味島では軍命令による集団自決が行われたとされてきたが、これを否定する証言が、1970年代以降、相次いでいる。

 一昨年には、作家の大江健三郎氏の著書に命令をした本人として取り上げられた元将校らが、大江氏らを相手取り、名誉棄損訴訟を起こしている。

 こうした近年の状況を踏まえての修正要請であり、対応だった。

 検定を経た教科書の訂正は、客観的事実の変更によって記載事実が明白に誤りとなった場合などに限られると、省令で定められている。

 町村官房長官は「沖縄の皆さん方の気持ちを何らかの方法で受け止めて、訂正できるものかどうか」と語っている。

 民主党など野党は、沖縄県民の意向を踏まえた歴史教科書に関する国会決議案の提出についても検討している。福田内閣として、この問題を国会の争点にしたくないとの思惑もあるかもしれない。

 しかし、史実に基づいて執筆されるべき歴史教科書の内容が、「気持ち」への配慮や、国会対策などによって左右されることがあってはならない。

 時の政治状況によって教科書の内容、記述が変わるのであれば、中立公正であるべき教科書検定の制度が、その根底から揺らぐことにもなりかねない。

『2005年06月11日(Sat)「虚構と真実」』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20050611
『2005年07月25日(Mon)「虚構と真実(2)」』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20050725