NAKAMOTO PERSONAL

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ニーチェは見抜いていた(2)

適菜収さんの『ユダヤ・キリスト教「世界支配」のカラクリ―ニーチェは見抜いていた』より。

 ニーチェは『偶像の黄昏』で次のように言います。
 人間は道徳によって「改善」されてきた。それは、人間という野獣を飼いならすことと、特定の種類の人間を育成することだった。
 さらに、ニーチェは「動物園がどういうところか知っているか」と問いかける。つまり、動物園で野獣は<改善>されるのではなく、抑え込まれることにより弱体化し、恐怖、苦痛、飢えにより、病的な存在に変化してしまう。
 これこそが、キリスト教が人間に対してやったことだとニーチェは言うのです。
 中世初期は教会が一つの動物園だった。彼らは高貴なゲルマン人を修道院の中へ追い込んだ。彼らは罪人となり、概念の世界に閉じ込められ、「キリスト者」になってしまった。これが教会の人間管理術だったというわけです。

 ニーチェは「ユダヤの発想」を非難したのであって、ユダヤ人を非難したわけではありませんでした。同様に、キリスト教の発想を非難したのであって、イエスに関しては高く評価していました。「当時のユダヤ教の立法主義を非難した、自由な精神をもった人間」というのが、ニーチェが持つイエス像です。そのイエスの教えは、弟子たちによって歪められ、キリスト教がローマの国教となったときには、その正反対のものになってしまった。
 ニーチェは、イエスは「この世」を否定する理由を持っていなかったと指摘します。「この世」と「あの世」という考え方は、後年のキリスト教会が捏造したものであり、現在のキリスト教徒は、イエスの教えと正反対のもにひざまずいているとニーチェは言うわけです。

─― ニーチェの洞察(3)、(4)

http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20070225
http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20070305