NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

TARUPHO

 A MOONSHINE

 Aが竹竿の先に針金の環を取り付けた
 何をするのかとたずねると 三日月を取るんだって
 ぼくは笑っていたが きみ おどろくじゃないか その竿の先に三日月がひッかかってきたものだ
 さあ取れたと云いながら Aは三日月をつまみかけたが 熱ツッと床の上へ落としてしまった すまないがそこのコップを取ってくれって云うから 渡すと その中へサイダーをいれたのさ
 どうするつもりだって問うと ここへ入れるんだって そんなことしたらお月様は死んでしまうよと云ったが なあに構うものかと鉛筆で三日月を挟んで コップの中へほうりこんだ
 シャブン! ってね へんな紫色の煙がモヤモヤと立ち昇った それがAの鼻の孔へはいったもんだ 奴(やっこ)さんハクション! とやる つづいてぼくもハクション! そこで二人とも気が遠くなってしまった
 気がつくときみ 時計は十二時を廻っている それにおどろいたのは三日月のやはり窓のむこうで揺れていたことだ
 Aは時計の針と三日月とを見くらべてしきりに首をふっていたが ふとテーブルの上のコップに気づいて顔色を変えた コップの中には何もなくなっているのだ 只サイダーが少し黄色くなっていたかな Aはコップを電燈の下ですかしながら見つめていたが やにわに口のそばへ持って行った
 止(よ)せ! 毒だよとぼくは注意したが 奴さんは構うもんかと云って その残りのサイダーをグーと飲んじまった きみそれからだよAがあんなぐあいになっちまったのはね
 でもそれからぼくは いくら考えても判らないものだからS氏のところへ行って 話したんだ
 デスクの前でS氏は ホウホウと云って聞いていたが
 まさかと云うから ぼくは
 いや現に眼の前に見たことですよって云うと S氏は フンそれでその晩のお月様は照っていたかいって聞くんだ ぼくは
 そりゃすてきな月夜で そこらじゅう真青でしたと云うと
 S氏はシガーの煙を環に吐いて
 ムーンサンシャインさ! って笑い出したのさ
 いったい話はどうなっているんだって云うのかね? そうさ それが今日に至るまでも判然としないものだから きみにきいてみようと思っていたのだよ


 ではグッドナイト! お寝(やす)みなさい 今晩のあなたの夢はきっといつもとは違うでしょう

―─ 稲垣足穂『一千一秒物語』



昭和52年(1977)10月25日 稲垣足穂 没



一千一秒物語』(松岡正剛の千夜千冊) http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0879.html

一千一秒物語

一千一秒物語

 私は、私を動かしているものを信じている。けれども、我をして世に勝たしめ給えなど云って、そのものに祈願している訳ではない。何故なら、私が若(もし)そんなお祈りをやったら、同様な事を願っている人が彼方にも此方にもある筈だから、修羅道の火焰は此所に拍車を加えて燃え上がり、何時果つべしとも知れぬ仕末が、更に先方へ延長される様な気がするからだ。これはどう考えても、理性を有(も)った者のやる事ではない。そんなら何事を念じたらよかろうか。それは私には判らない。観音様にでも尋ねる他あるまい。然し、恐らく観音様は、モナリザみたいな笑いを浮かべる丈(だけ)で答えては呉(く)れまい。

─― 稲垣足穂『観世音』星の都