鈴木大拙
『NHK映像ファイル あの人に会いたい 「鈴木大拙」』より。
西洋のLiberty(リバティ)やFreedom(フリーダム)を自由と訳しているけれども、本当の東洋の自由という意味は、おのずからなる、おのずからによるということ。ものに何の束縛のない、そのものになって本体になって、そうして働くということが自由なのです。
西洋のいわゆるLibertyとかFreedomにはそういう意味がないんです。
そういう点が近代の人に訴えると、それが近頃のビートジェネレーション*1というようなものでも、東洋で言うところの、“おのずからしかるところ”、“おのずからなるようになるというところ”に関心をいくらか持つようになったのだと思う。
組織を離れて組織に入る、組織にいて組織に縛られず、組織というものを自分のものにしようというところから座禅などの修行をするのです。
座禅というのは、ただ座っていることでなく、ほかにとらえられないで内に心をひそめる。内に心をひそめることは自分が自分になるっていうこと。
それから、自分が組織の中に入ったというよりも、自分が組織をつくっていくという心持ちにならなければならないんですね。
それをやるには昔からの座禅がもっとも近道だと、私は思いますな。
――最近の若い人たちをご覧になってお感じになることがございますか。
自分で考えないところがいけないと思う。そして人の言うとおりになって働くことが多い。デモンストレーション(デモ)が流行るのも自分が主になれないところにあると思う。そこが根本的な欠陥ではないかと思う
――西洋ですとね、宗教が非常に大きな役割をはたしております。日本人の場合は無いといって宜しいんじゃないかと思いますけれど・・・。
・・・それがだなぁ。
宗教の定義にもよるんですけれどね、日本に宗教がないような事を言うけれども、宗教をキリスト教的なものだと思うから日本にはそういうのはないかも知れないですね。しかし我々の心に染み込んでいる点においてはキリスト教と何も変わらないと思う。キリスト教の西洋における感化力、浸透力に 日本の宗教も変わらんと思います。
仏教には西洋のように、これが宗教 これが哲学 これが芸術などと言わないで人間生活そのものを一つの宗教と見てゆくという考えがあるから、きちんと分けた西洋的な眼から見ると日本にはそういう宗教はないかも知れません。しかし我々の日々の暮らしの中に宗教が生きているという点から見ると、何と言ったって宗教なしに生きるのは人間じゃないですね、やっぱり自分でものを考え、自分でものを見てゆく習慣をつけなければならない。つまり外ばかり見ないで内にかえりみる。そういう自分と宗教心がないと言ってる自分とは一体なんなのかと考えれば、今まで気づかなかった宗教心なるものが、自分の心の中に元よりあるんだと、いうことになるんだと思いますね。そうすると一挙手一投足がみんな宗教となります。
『三島由紀夫』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20060530
『幸田 文』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20060409
『中村 元』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20060402
『開高 健』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20050613
対訳 禅と日本文化 - Zen and Japanese Culture
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*1:伝統的保守的な考え方に反対する立場をとる世代