NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

『努力の堆積』

幸田露伴『努力論』


『努力の堆積』

 文明の恩人の伝記を繙き見るに、誰か努力の痕を留めない者があろう。殊に各種の発明者、もしくは新設の唱道者、真理の発見者らは、皆この努力によってその一代の事業を築き上げて居るといわねばならぬ。

 また、よしんば英才の人が容易にある事を為し得ないとするも、その英才はいずこから来たか。これはその人の系統上の前代の人々の『努力の堆積』がその人の血液の中に宿って、而してその人が英才たるを得たのである。

 天才という言葉は、ややもすると努力によらずして得たる知識才能を指すが如く解釈されているのが、世俗の常になって居る。が、それは皮相の見たるを免れない。いわゆる天才なるものは、その系統上における先人の努力の堆積が然らしめた結果と見るのが至当である。

 盲人の指の感覚はその文字を読み得ざる紙幣に対しても、なお真贋を弁別し得るほどに鋭敏になって居る。しかしその感覚力は偶然に得たものではなく、その盲人の不便より生ずる欠陥を補わんとする努力の結果としてその指頭の神経細胞の配布を緻密ならしめたので、換言すれば単にその感覚が鋭敏なのではなく、解剖上における神経分布の細密を来し、而して後に鋭敏なる感覚を有するに至ったのである。

 吾人はややもすると努力せずしてある事を成さんとするが如き考えを持つが、それは間違いきった話で、努力よりほかに吾人の未来を善くするものはなく、努力より他に吾人の過去を美しくしたものはない。

 努力は即ち生活の充実である。努力は即ち各人自己の発展である。努力は即ち生の意義である。