NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

懐疑精神

「『神』より『幽霊』を信じる人が多数——英国人」(CNN.co.jp)
 → http://cnn.co.jp/fringe/CNN200511010015.html

「幽霊」や「魂」の存在を信じると回答したのは68%に達したが、「神」の存在を信じると答えたのは、55%に過ぎなかった。

「幽霊」や「魂」の存在を信ずる人のうち、12%が実際に「目撃」した経験があると回答し、76%の人がテレビ番組などを見て信ずるようになったとしている。

また、26%が「未確認飛行物体(UFO)」の存在を信じており、19%が「輪廻(りんね)転生」があると答えた。


「『魔女学校』の備品も税控除の対象に オランダ」(CNN.co.jp)
 → http://cnn.co.jp/business/CNN200511010022.html

魔女学校で「授業料」を受け取っているロンゲンさんは、「魔女」として所得を申告。秘薬や占い用の水晶玉などの物品は、「魔女学校に必要な備品」で、税控除が受けられるとして申告した。

この申告について、オランダ北部レーワールデンの地方裁判所は今年9月23日、個人所得と職業としての見込みが高いならば、魔女は学校運営に必要な支出を、必要経費として税控除できるとの判断を下した。

AP通信は、ロンゲンさんが得意にしている「占い」「魔法」の種類や、その魔法が実際に効き目があるのかなどには触れていない。

近頃、こういったニュースが多い気がする。
これらの存在が嘘なのか本当なのか、ぼくは知らない。嘘と決めつけ信じるのも、本当だと盲信するのも、信じるという意味では同じことである。
(もっとも、究極的には、一時的であれ仮であれ、何かを信じなくては生きて行くことが出来ないのだが。。。)
必要なのは“懐疑精神”である。


“科学の良心”カール・セーガン博士は、いわゆる“トンデモ”に引っかからない、懐疑的思考をするための“道具”として、以下のような例を挙げている。

カール・セーガン 科学と悪霊を語る』より抜粋。

  • 『裏付けを取れ』 「事実」が出されたら、独立な裏付けを出来るだけたくさん取るようにしよう。
  • 『議論のまな板に載せろ』 証拠が出されたら、様々な観点を持つ人たちに、しっかりした根拠のある議論をしてもらおう。
  • 権威主義に陥るな』 権威の言うことだからといって当てにしないこと。権威はこれまでも間違いを犯してきたし、今後も犯すかも知れない。こう言えばわかりやすいだろう。「科学に権威はいない。せいぜい専門家がいるだけだ。」
  • 『仮説は複数立てろ』 仮説は一つだけでなく、いくつも立ててみること。まだ説明のつかないことがあるなら、片っ端から反証していく方法を考えよう。このダーウィン主義的な選択をくぐり抜けた仮説は、単なる思いつきの仮説に比べて、正しい答えを与えてくれる見込みがずっと高いはずだ。
  • 『身びいきをするな』 自分の出した仮説だからといって、あまり執着しないこと。仮説を出すことは、知識を手に入れるための一里塚にすぎない。なぜそのアイディアが好きなのかを自問してみよう。そして、ほかのアイディアと公平に比較しよう。そのアイディアを捨てるべき理由が無いか探してみよう。あなたがそれをやらなければ、他の人がやるだろう。
  • 『定量化しろ』 尺度があって数値を出すことが出来れば、いくつもの仮説の中から一つを選び出すことが出来る。あいまいで定性的なものには、色々な説明が付けられる。もちろん、定性的な問題の中にも深めるべき真実はあるだろうが、真実を「つかむ」方がやりがいがある。
  • 『弱点を叩き出せ』 論証が鎖のように繋がっていたら、鎖の輪の一つ一つがきちんと機能しているかどうかをチェックすること。「ほとんど」ではなく、前提も含めて「すべて」の輪がきちんと機能していなければならない。
  • 『オッカムのかみそり』 これは使い手のある直感法則で、こう教えてくれている。「データを同じくらい上手く説明する仮説が二つあるなら、より単純な方の仮説を選べ」。
  • 反証可能性 仮説が出されたら、少なくとも原理的には反証可能かどうかを問うこと。反証出来ないような命題には、たいした価値はない。例えば次のような壮大な仮説を考えてみよう。「我々の宇宙とその内部の一切は、もっと大きな宇宙の中の一個の素粒子(電子など)にすぎない」。だが、この宇宙の外からの情報が得られなければ、この仮説は反証不可能だ。主張は検証出来るものでなければならない。筋金入りの懐疑派にも、推論の道筋がたどれなくてはならないし、実験を再現して検証出来なければならないのだ。

気分さえよければ真実かどうかなど気にしないというのは、金さえ手に入れば汚い金でも構わないというのと同じくらい倫理的にたちが悪い。

─― エドマンド・ウェイ・ティール『季節のめぐり』