NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

「窮乏を知るほど、人間は冷静に分け合うということができない。」

曽野綾子さんの『透明な歳月の光 142』より。

(『分配』) → http://www.nippon-foundation.or.jp/org/moyo/2005615/20056151.html

 その日の昼食時に、私は持参したホテルのランチボックスをNATO軍の飛行機の中でひろげた。食べ始めた最初は静かだった。アフリカの爽(さわ)やかな台地の風が静かに吹き込んでいた。そのうちに入り口から子供の顔がこちらを覗(のぞ)き込み、数も次第に増えた。
 どうせランチボックスは量が多過ぎるのだから、できるだけたくさん食べ残して子供たちにやることにしよう、と私は思った。しかし私と同じ飛行機の中にいた兵士は、私の気持ちを察したように予防線を張った。

 「余した食べ物は決して子供たちに与えないでください。そんなことをすると彼らは暴徒になって、飛行機を壊されますから」
 1人でも2人でも、救えるだけ救えばいい、ということもこうした限界状況ではできなくなる。外国のテレビに登場した災害地で働く婦人が同じような意味のことを言った。
 「もしそこに数十人がいて、全員に行き渡らない数の食料しか配られなかったら、それはひどい結果になります」
 窮乏を知るほど、人間は冷静に分け合うということができない。分け合うことを知っていた日本の被災者はまだ限界状況ではなかったのである。

 各国の首脳が、国際社会の評判を気にしながら、まるでオークションのように救援の金額を増やしていった経過は、どうでもいい。各国別の配分の金額が一応公表されたが、どう分けてもその額について不満を抱かない国は一国もないだろうという人間心理のむずかしさに、今後どう対処するかまた学ばねばならない。