「朝日・毎日vs産経」
「大量破壊兵器――『戦争の大義』にけじめを」(朝日新聞)9/16
→ http://www.asahi.com/paper/editorial20040916.html
「大量破壊兵器 小泉首相の説明が聞きたい」(毎日新聞)9/17
→ http://www.mainichi-msn.co.jp/column/shasetsu/news/20040917k0000m070140000c.html
vs
「パウエル発言 国家の『脅威』は排除した」(産経新聞)9/17
→ http://www.sankei.co.jp/news/040917/morning/editoria.htm
『朝日』
「いかなる備蓄も発見されなかった。発見することはないだろう」。パウエル米国務長官が、イラク開戦の最大の理由とした大量破壊兵器が実は存在していなかった可能性が高く、捜索を断念する考えを表明した。米政府の調査団も近く活動を終える。
開戦時のイラク国内に核や生物化学兵器がなかったという判断は、調査団の前団長によって今年1月に示されていたが、政府はその後も結論を先送りしてきた。パウエル氏のこんどの議会証言は、この問題に終止符を打とうというブッシュ政権の意思の表れに違いない。
『産経』
パウエル長官は米国がイラク攻撃の理由の一つにあげた大量破壊兵器について、「いかなる備蓄も見つからず、今後も発見される見通しは少ないだろう」としか述べていない。この発言からでも、「断念した」と解釈することには無理がある。さらにいえば、パウエル長官がその数日前の米テレビインタビューで、「まだ見つかる余地がある」と述べているからである。
石井英夫さんの『産経抄』が良い。
「百万人と言えども我行かん。」
世論をも敵に回しかねないような発言が欣快。
「産経抄」(9/18)
→ http://www.sankei.co.jp/news/040918/morning/column.htm
またぞろ「戦争の大義はどこに?」と“鬼の首”でもとったように言い立てている新聞がある。パウエル米国務長官が上院公聴会で「イラクで大量破壊兵器の備蓄が見つからず、今後も発見の見通しは少ない」と述べたことに、小躍りしているらしい。
▼小欄はこれまで再三、戦争に大義や正義を主張することのおかしさや、うさん臭さを書いてきた。「歴史を振りかえれば、客観的な大義に立って行われた戦争はない」とは作家・塩野七生さんの卓見だが、その見解を借りるまでもない。戦争の大義はすべて相対的なのだ。
▼大東亜戦争も同じこと、一方には「白人のアジア侵略に対する聖戦」だったが、一方には「日本の野望をくじき民主主義を守る義戦」だった。かりに米英のイラク戦争が大義なしなら、ではサダム・フセインのクルド人虐殺などの側に正義ありなのか。