「形骸を断ずる」
「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。 平成十一年七月二十一日 江藤淳」
江藤淳が逝って早5年。(1999年7月21日)
彼の死については色々と議論され尽くしていますが、若かりし頃の彼はこうも言っています。
「生きることに意味があるから生きているのではない。意地で人が生きられることを自分に納得させるために生きているのだ。」(『批評と私』)
例によって、安吾は言います。
「生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありゃせぬ。おまけに、死ぬ方は、ただなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。」(『不良少年とキリスト』)