NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

「民意のねじまげ」

福田恒存は言います。

「新聞はあくまで事実の報道という形で、国民を一定の方向へ追いやることができますが、さらにその限度を超えて、最初から『世論はこうだ、こうだ』と国民の頭上におつけかぶせていくとなると問題です。」(『日本への遺言』


毎日新聞のコラム『余禄』に対する曽野綾子さんの批判が良い。


「余録:イラクの武装グループに捕らわれて殺害された…」(6月27日『余禄』毎日新聞)
 → http://www.mainichi-msn.co.jp/column/yoroku/archive/news/2004/06/20040627ddm001070120000c.html

「ここまでは、あの日本人人質事件を思わせる。違うのは世論の反応だ。日本ではインターネットなどで「自己責任論」が噴出した。危険を承知でボランティア活動に行ったのだ、自業自得だ、という人質たたき、家族たたきになった」


曽野綾子『透明な歳月の光 116』(「イラク人質殺害報道」)
 → http://www.nippon-foundation.or.jp/org/moyo/2004572/20045721.html
【民意ねじまげてはならない】

「これは途中で文意をすり替えている、不正確な記事である。多くの日本人の中には確かにこの通りに思ってインターネットでいやがらせのメールを送った人もいただろう。しかし私の周囲の多くの人の意識は違う。」

「日本の自衛隊派遣は、選挙の結果として日本人が選んだ政党の選択である。残念ながらそれこそが民主主義の原則である。私もブッシュ政権追従型のイラク政策には最初から反対だが、しかしそれが現政権の選択なら、個人の力でそれを覆そうとすることは、民主主義に対する挑戦にほかならない。」

「自業自得だ、と思ったのではない。そこのところをこの論説委員は全くわかっていない。私たちは、尊敬したかったのだ。危険を承知なら、最後までその使命を受諾して、殺されようと長く拘留されようと、意志を貫く見事な人間の姿を見せてもらって尊敬したかったのだ。その期待が裏切られただけだ。」

「読者は新聞のこうした何気ない文章の中の文意のねじまげに対して、敏感でなければならない。」


かつて、山本夏彦翁は言いました。(『何用あって月世界へ―山本夏彦名言集』

「実を言うと新聞の『天声人語』、『余禄』のたぐいは現代の修身なのである。あれには書いた当人が決して実行しない、またするつもりもない立派なことばかり書いてある。」

「私は断言する。新聞はこの次の一大事の時にも国をあやまるだろう。」