NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

『穂高小屋番レスキュー日記』

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穂高小屋番 レスキュー日記

穂高小屋番 レスキュー日記


『山でのモットー』


1、困難は自分一人でのりこえる!!

2、誰かの困難は、自分一人でも全力で助ける!!

3、山では、笑う!!

── 『』より

海軍記念日

「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」

── 秋山真之


海軍記念日
日本海海戦の日。
明治38年(1905)5月27日、東郷平八郎率いる帝国海軍が当時世界最強といわれたロシア海軍バルチック艦隊を破り勝利を収めた。
ほぼ全ての艦艇を撃沈、拿捕するという歴史上まれに見る完勝。パーフェクトゲーム


過去の日記より。
『2014年01月29日(Wed) 「左警戒、右見張れ」』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20140129

「左警戒、右見張れ」


と、、、いうのは帝国海軍の格言である。

左に敵影を発見したならば、右を注意せよ。
一方に注目が集まる時にこそ、他方を注意し、全体を見渡せよ。と。


帝国海軍は、ドイツを手本にした陸軍とは異なり、英国海軍を基にしたため、ジェントルマンシップが色濃く残っている。
軍人である前に紳士たれ、常にスマートであれ。戦場にあってもユーモアを忘れてはならない。
頭の固い精神論を嫌い、スマートネスをモットーとした。
敵性語として英語の言い替えや排除が行われる中、海軍では英語を通したともいわれる。


つまりは、アングルバーではなく、フレキシブル・ワイヤーであれ、と。

 良き時代の海軍は、身体のこなしも心のあり方も、総じてコチコチになるのを嫌いました。いわゆる心身のフレキシビリティというものを大事にしたのだが、これまた海軍の伝統だったのです。
 中学を出て、江田島兵学校へ新しく入って来た生徒たちに、教官なり、上級生がまず言って聞かせる言葉が、「貴様たち、アングルバーじゃ駄目だぞ。フレキシブル・ワイヤでなくてはいかん」。アングルバーというのは、字引を引くと、「山形鋼」と出ていますが、要するに橋梁の工事現場なんかに置いてあるがっちりした鉄材のことらしい。あれは一見、立派で丈夫そうに見えるけれど、そのもの自体として、何の働きもしない。それに引きかえ、船のデリックからだらっと下っているフレキシブル・ワイヤ、こいつは何十トンもの重量物を上から下へ、右から左へ、自由に移動させることが出来る。海軍士官となるべきお前たちは、同じ鋼材でもコチコチの方ではなく、ぐにゃぐにゃの方を志せというんですから、世間の人が想像している軍隊の教えとは大分違いました。

── 阿川弘之著(『高松宮と海軍』)

例えば、モットー。(抜粋)

  • 多少の貯え、身だしなみ
  • モラルの根源「士官室」
  • 元気の根源「ガンルーム(士官次室)」
  • ユーモアーは一服の清涼剤
  • 行動を起すところが思案点
  • 5分前にはスタンバイ
  • ダロウに手を打つな
  • “ダラリ”(ムダ、ムラ、ムリ)追放


以下は、『次室士官心得』より抜粋。

『次室士官心得』

第一 艦内生活一般心得

  • 次室士官は一艦軍規風紀の根元、士気元気の源泉たることを自覚し、青年の特徴元気と熱、純心さを忘れずに大いにやれ。
  • 士官としての品位を常に保ち、高潔なれ。自己の修養はもちろん。厳正なる態度動作に心がけ、功利打算を脱却して清廉潔白なる気品を養うことは武人の最も大切なる修養なり。
  • 宏量大度精神爽快なるべし。狭量は軍隊の一致を破り、陰鬱は士気を沮喪せしむ。急がしい艦務の中にのびのびした気分を決して忘れるな。細心なるはもちろん必要なるも「こせこせ」することは禁物なり。
  • 礼儀正しく、敬礼は厳格にせよ。 次室士官は、「自分は海軍士官の最下位で、何も知らぬものである」と心得、譲る心がけが大切だ。親しき中にも礼儀を守り、上の人の顔を立てよ。よかれあしかれ、とにかく「ケプガン」を立てよ。
  • 旺盛なる責任観念の中に生きよ。これは、士官として最大要素の一つだ。命令を下し、もしくはこれを伝達する場合には、必ずその遂行を見届け、ここにはじめてその責任を果たしたるものと心得べし。
  • 犠牲精神を発揮せよ。大いに縁の下の力持ちとなれ。
  • 少し艦務に習熟し己が力量に自信を持つ頃になると、先輩の思慮円熟なるが却って愚と見ゆる時来ることあるべし。これ即慢心の危機に臨みたるなり。この慢心を断絶せず増長に任し、人を侮り自ら軽んずる時は、技術学芸共に退歩し、終わりに陋劣の小人たるに終わるべし。
  • おずおずして居ては何も出来ぬ。図々しいのも不可なるも、さりとておずおずするのは尚見苦しい。信ずるところをはきはき行っていくのは我々にとりもっとも必要である。
  • 何事にも骨惜しみをしてはならない。乗艦当時はさほどでもないが、少し馴れて来ると、とかく骨惜しみするようになる。当直にも、分隊事務にも、骨惜しみをしてはならぬ。いかなるときでも、進んでやる心がけが必要だ。身体を汚すのを忌避するようでは、もうおしまいである。
  • 「事件即決」の「モットー」をもって物事の処理に心がけるべし。「明日やろう」と思っていると、結局何もやらずにたくさんの仕事を残すし、仕事に追われるようになる。要するに仕事を「リード」せよ。
  • シーマンライク」の修養を必要とす。動作は「スマート」なれ。一分一秒の差が結果に大影響を与うること多し。
  • 要領がよいという言葉も聞くが、あまり良い言葉ではない。人まえで働き、陰でずべる類の人に対する尊称である。吾人はまして裏表があってはならぬ。つねに正々堂々とやらねばならぬ。
  • 手帳「パイプ」は常に持って居れ。之を自分に最も便利よき如く工夫するとよい。
  • 何につけても分相応と言う事を忘れるな。次室士官は次室士官として、候補生は候補生として、少尉中尉各分あり。
  • 出入港の際は必ず受持の場所に居る様にせよ。出港用意の号音に驚いて飛び出す様では心掛が悪い。
  • 諸整列が予め分かっている時、次室士官は下士官兵より先に其の場所に在る如くせよ。
  • 何か変わったことが起こった時、或は何となく変わった事が起こったらしいと思われる時は、昼夜を問わず第一番に飛び出して見よ。
  • 艦内で種々の競技が行われたり、また演芸会など催される祭、士官はなるべく出て見ること。下士官兵が一生懸命にやっているときに、士官は勝手に遊んでおるというようなことでは面白くない。
  • 舷門は一艦の玄関口なり。其の出入りに際しては、服装を整え番兵の職権を尊重せよ。雨天でない時、雨衣や引廻を着たまま出入りしたり、答礼を欠くもの往々あり注意せよ。


第二 次室の生活について

  • 我をはるな。自分の主張が間違っていると気づけば、片意地をはらず、あっさりと改めよ。我をはる人が一人でもおると、次室の空気は破壊される。
  • 朝起きたならば、ただちに挨拶せよ。これが室内に明るき空気を漂わす第一要因だ。
  • 次室にはそれぞれ特有の気風がある。良きも悪きもある。悪き点のみを見て、憤慨してのみいてはならない。神様の集まりでないから、悪い点もあるであろう。かかるときは確固たる信念と決心をもって自己を修め、自然に同僚を善化せよ。
  • 上下の区別を、はっきりとせよ。親しき仲にも礼儀を守れ。 自分のことばかり考え、他人のことをかえりみないような精神は、団体生活には禁物。自分の仕事をよくやると同時に、他人にも理解を持ち、便宜を与えよ。
  • 同じ「クラス」のものが、三人も四人も同じ艦に乗り組んだならば、その中の先任者を立てよ。「クラス」のものが、次室内で党をつくるのはよろしくない。全員の和衷協力はもっとも肝要なり。利己主義は唾棄すべし。
  • 食事に関して、人に不愉快な感じを抱かしむるごとき言語を慎め。たとえば、人が黙って食事をしておるとき、調理がまずいといって割烹を呼びつけ、責めるがごときは遠慮せよ。また、会話などには、精練された話題を選べ。
  • 次室内に、一人しかめ面をしてふくれているものがあると、次室全体に暗い影ができる。一人愉快な朗らかな人がいると、次室内が明るくなる。
  • 暑いとき、公室内で仕事をするのに、上衣をとるくらいは差し支えないが、シャツまで脱いで裸になるごときは、はなはだしき不作法である。
  • 次室内における言語においても気品を失うな。他の人に不快な念を生ぜしむべき行為、風態をなさず、また下士官考課表等に関することを軽々しく口にするな。ふしだらなことも、人に属することも、従兵を介して兵員室に伝わりがちのものである。士官に威信もなにも、あったものでない。
  • 趣味として碁や将棋は悪くないが、これに熱中すると、とかく、尻が重くなりやすい。趣味と公務は、はっきり区別をつけて、けっして公務を疎かにするようなことがあってはならぬ。
  • お互いに、他人の立場を考えてやれ。自分のいそがしい最中に、仕事のない人が寝ているのを見ると、非難したいような感情が起こるものだが、度量を宏く持って、それぞれの人の立場に理解と同情を持つことが肝要。
  • 夜遅くまで、酒を飲んで騒いだり、大声で従兵を怒鳴ったりすることは慎め。

 「次室」とは士官次室、英語で、ガンルーム、少尉候補生、少尉、中尉たちのラウンジといふか、公室です。此の、ガンルームを公室とする若手士官たちの日常心掛けるべき事項を列挙したものが、すなわち「次室士官心得」でして、民間の企業でいえば新入社員心得帖みたいな小冊子なのです。いろんな細かなことが書いてあって、説教くさいと言えば説教くさいんだけど、海軍を知らない人が想像しそうな、滅私奉公、命を捨ててお国のために尽くすと覚悟とか、そんなしかつめらしい項目はほとんど無しです。

── 阿川弘之著(『高松宮と海軍』)

高松宮と海軍

高松宮と海軍

海軍の「士官心得」―現代組織に活かす

海軍の「士官心得」―現代組織に活かす

一日一言「妬み」

五月二十六日 妬み


 人間は少し気をゆるませると人をうらやむ心が起きてくる。自分は損をして人が得をしたり、自分は職を失って、同僚が昇級したり、自分は落第して友人が進級したりすると、自分の力不足を反省しないで、他人の幸福を妬み、うらんで正しいかどうか疑う。


  よい仲も近ごろ疎くなりにけり
      隣に倉を建てしより後

── 新渡戸稲造(『一日一言』)


安吾センセに曰く、

 他人が正しくないと云って憤るよりも、自分一人だけが先づ真理を行ふことの満足のうちに生存の意義を見出すべきではないですか。

── 坂口安吾『青年に愬ふ―大人はずるい―』

安吾の手紙

坂口安吾の手紙、半世紀ぶり発見『堕落論』原型 今秋にも一般公開」(新潟日報
 → https://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20190523470830.html

 戦後の無頼派を代表する作家で新潟市出身の坂口安吾(1906~55)が45年9月、敗戦の歴史的な意味や、文化振興のため新聞社が果たすべき役割などを記した手紙が約半世紀ぶりに見つかった。手紙は、当時新潟日報社社長だった長兄坂口献吉に宛てた「3通の手紙」。46年4月発表の「堕落論」の原型ともいえる内容で、戦後の復興に向けて文化・出版事業に力を入れることを長文で進言している。新潟日報社が入手し、今秋にも一般公開する予定。

 手紙の内容は71年の坂口安吾全集第13巻(冬樹社)に掲載されたが、発刊後、所在不明になっていた。その後刊行された全集(筑摩書房)は、冬樹社版を引用して収録している。手紙は東京の古書店がオークションで落札した。

 3通は東京・蒲田の安吾宅から発信された。それぞれ400字詰め原稿用紙2~3枚にマス目を無視した小さな文字でぎっしり書かれている。

 1通目は45年9月8日の消印。「最大の眼目を率直に申上げますと、混乱、動乱を怖れてはならぬ、といふことです」などと書かれ、戦後の混乱期に脚光を浴びた「堕落論」を想起させる。

 9月18日の2通目では「政治、経済、文化、社会問題全般にわたって、事は重大中の重大です。新聞人たる者責任実に重大ですから(略)先づ自らの向上が新聞人に第一番に必要です」と新聞人の使命を説く。

 3通目は9月30日に書かれた。「これからの地方新聞は、地方独特の地盤をハッキリ確立することが必要で(略)東京の手をかりず、新潟の先生を中心に確立し、新潟人の手だけで充分読み物になるだけの工夫をしなければいけない」とし、雑誌を出すことを提案。これを受けた形で、情報文化誌「月刊にひがた」が創刊された。

 文芸評論家の七北数人さん(57)は「戦後すぐの安吾の考えがストレートに書かれた重要な書簡。書きたいことがあふれていたことが、文面から分かる」と評価した。

 新潟日報社はこのほか、安吾が元社長小柳胖(ゆたか)に宛てた最晩年のはがきなど6通の書簡も同時に入手した。

坂口安吾(さかぐち・あんご)> 小説家、評論家。新潟市西大畑町生まれ。東洋大卒。純文学、推理小説歴史小説など、多彩な作品を展開。代表作は「堕落論」「白痴」「桜の森の満開の下」など。「堕落論」は「生きよ 堕ちよ」という逆説的なメッセージで、敗戦直後の混乱期を生きる日本人に大きな衝撃を与えた。父は衆議院議員で新潟新聞社社長だった仁一郎。長兄献吉は新潟日報社社長を務めた。

久し振りに『堕落論』でも。
『堕落論』、『続堕落論』より抜粋)

 半年のうちに世相は変った。醜(しこ)の御楯(みたて)といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。

 あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、充満していた。猛火をくぐって逃げのびてきた人達は、燃えかけている家のそばに群がって寒さの煖をとっており、同じ火に必死に消火につとめている人々から一尺離れているだけで全然別の世界にいるのであった。偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情。それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない。

 終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、そして人間は考えるからだ。政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか。

 人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

 戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。

 人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。

 人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一の条件だ。そこから自分と、そして人性の、真実の誕生と、その発足が始められる。

 先ず裸となり、とらわれたるタブーをすて、己れの真実の声をもとめよ。未亡人は恋愛し地獄へ堕ちよ。復員軍人は闇屋となれ。堕落自体は悪いことにきまっているが、モトデをかけずにホンモノをつかみだすことはできない。表面の綺麗ごとで真実の代償を求めることは無理であり、血を賭け、肉を賭け、真実の悲鳴を賭けねばならぬ。堕落すべき時には、まっとうに、まっさかさまに堕ちねばならぬ。道義頽廃、混乱せよ。血を流し、毒にまみれよ。先ず地獄の門をくぐって天国へよじ登らねばならない。手と足の二十本の爪を血ににじませ、はぎ落して、じりじりと天国へ近づく以外に道があろうか。

 堕落自体は常につまらぬものであり、悪であるにすぎないけれども、堕落のもつ性格の一つには孤独という偉大なる人間の実相が厳として存している。即ち堕落は常に孤独なものであり、他の人々に見すてられ、父母にまで見すてられ、ただ自らに頼る以外に術(すべ)のない宿命を帯びている。

 善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野(こうや)を歩いて行くのである。悪徳はつまらぬものであるけれども、孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ。キリストが淫売婦にぬかずくのもこの曠野のひとり行く道に対してであり、この道だけが天国に通じているのだ。何万、何億の堕落者は常に天国に至り得ず、むなしく地獄をひとりさまようにしても、この道が天国に通じているということに変りはない。

 人間の一生ははかないものだが、又、然し、人間というものはベラボーなオプチミストでトンチンカンなわけの分らぬオッチョコチョイの存在で、あの戦争の最中、東京の人達の大半は家をやかれ、壕にすみ、雨にぬれ、行きたくても行き場がないとこぼしていたが、そういう人もいたかも知れぬが、然し、あの生活に妙な落着(おちつき)と訣別(けつべつ)しがたい愛情を感じだしていた人間も少くなかった筈で、雨にはぬれ、爆撃にはビクビクしながら、その毎日を結構たのしみはじめていたオプチミストが少くなかった。

 生々流転、無限なる人間の永遠の未来に対して、我々の一生などは露の命であるにすぎず、その我々が絶対不変の制度だの永遠の幸福を云々し未来に対して約束するなどチョコザイ千万なナンセンスにすぎない。無限又永遠の時間に対して、その人間の進化に対して、恐るべき冒涜ではないか。我々の為しうることは、ただ、少しずつ良くなれということで、人間の堕落の限界も、実は案外、その程度でしか有り得ない。人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何物かカラクリにたよって落下をくいとめずにいられなくなるであろう。そのカラクリをつくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の実相を我々は先ず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。

坂口安吾 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E5%8F%A3%E5%AE%89%E5%90%BE
坂口安吾デジタルミュージアム』 http://www.ango-museum.jp/

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)

一日一言「信じて疑わない」

五月二十三日 信じて疑わない


 親友であっても、人がその人を悪く言えば、疑うのはよくあることだが、世間の人がその人を非難するとその人との交流も親密ではないものになってしまう。また、世間の人がその人をほめれば、親しくなろうとするのは薄情ではあるが、実際の人情である。その人を信じて疑わない大きな心は、雲の月をも見ることができる。


  晴れくもる光は雲のしわざにて
      もとより月は有明の空

── 新渡戸稲造一日一言

 ぼのぼのさん、誰かの悪口をそのまま信じることはその悪口を言った者と同じくらいいけないことですよ。

── ダイねえちゃん(『ぼのぼの』

ぼのぼの 1 (バンブー・コミックス)

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