一日一言「『環境』は人の力でつくる」
六月五日 「環境」は人の力でつくる
心の奥には、周囲の関係を一変させる力がある。自分の身を清めるのにわざわざ山に入ることはない。人を取り巻く環境は人の力でつくるものである。
奥山に結ばずとても柴の庵
心がらにて世はいとふべし必ずや心のすめばすむ庵(いほ)を
深山の奥を求めずもがな
赤猫にも曰く、
ちがうのよ。新しい場所で新しいことをするだけが素敵なことではないの。 今いる場所で今できることをするのも素敵なことなのよ。 むしろそれができない人間が新しい場所に行ったって何もできないわよ。
── 赤猫 リブ❁リビィ (『赤猫リブ・リビィの“強くなれる賢者の言葉”』)
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一日一言「人の役に立つのが最高の務め」
六月四日 人の役に立つのが最高の務め
後の世に大きなものになろうと思うならば、現在の世においては小さきものになれともいう。人に使われて人のために尽くすことは、召使いのようにも聞こえるが、実はこれが人間としての最高の務めであり、そもそもこの世に生まれてきたのも、人のために役立つことをするためではないか。
我が為をなすは我が身の為ならず
人の為こそ我が為となれ
立ちよりて暫しなりとも習はばや
君につかふる人のこころを
たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは幸福になりうる、そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから。
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教養がある人ほど「陰謀論」に引っかかる
「教養がある人ほど『陰謀論』に引っかかる バカだから騙されるわけじゃない」(プレジデントオンライン)
→ http://president.jp/articles/-/25272
「陰謀論」に騙されるのはどんな人か。累計47万部のベストセラー『応仁の乱』(中公新書)の著者・呉座勇一氏は「高学歴で自分に教養があると思っている人ほどよく引っかかる。たとえば歴史学の専門家が陰謀論者になることも多い」という。呉座氏はそうした陰謀論を新著『陰謀の日本中世史』(角川新書)で徹底論破している。陰謀論に共通する「パターン」とは――。(後編、全2回)/聞き手・構成=稲泉 連
数々の陰謀論の特徴を抽出しパターン化
――本書を執筆する過程で、呉座さんは多くの陰謀論の本を読み込んでいます。そのなかで、どのような特徴が見えてきたのでしょうか。今回、本の中で約20の陰謀論を検証しました。保元の乱を手始めに、源義経をめぐるもの、足利尊氏や関ヶ原の戦いについての陰謀論などを取り上げましたが、陰謀論を語る人たちの本をひたすら読んでいて抱いたのは、よくこれほど想像を膨らますことができるな、という感想でした。それこそ「本能寺の変」だけでも、先ほど言ったように複数犯説からイエズス会の陰謀説まで、多種多様の説がまるで自分が現場を見てきたかのようにリアルに語られているのです。
そのうちに痛感したのは、そうした無数の陰謀論を個別に批判しても、もぐらたたきのように新しい説が出てきてきりがない、ということでした。陰謀論者たちはそれなりにもっともらしいことを述べるし、「これが証拠だ」と言って一応は史料も掲げる。彼らが引用している史料を一つひとつ解釈して、「○○氏の説は成り立たない」と反証する作業を繰り返してもこれは意味がないぞ、と。
そこで、私は数々の陰謀論の特徴を抽出し、それをパターン化することにしました。
陰謀論というのは普通の人が思いつかないような意外性のある説を唱えているように見えて、実はパターンがあるんです。いくつか例を挙げると、
1.一般的に考えられている被害者と加害者の立場を逆転する手法
2.結果から逆算をして、最も利益を得た者を真犯人として名指しする手法
3.最終的な勝者が、全てをコントロールしていたとする手法……などです。
人が陰謀論に惹かれるのは――逆説的ではありますが――その単純明快さに屈しがたい魅力があるからでしょう。複雑なものを理解するためには、多くの努力と忍耐を費やさなければなりません。そんななか、陰謀論は手っ取り早く物事を理解したいという、誰もが持つ人間の心理に付けこむところがあるわけです。
自分の思い通りに歴史を動かせるわけがない
それを見抜くコツは、陰謀論の多くがどのような構造を持っているかを理解しておくことです。特定の個人や組織が全てを仕組んでいる、あるいは、一人の人物の計画通りに歴史が動いていく――というように、陰謀論では陰謀の実行者が全く無謬の存在として描かれる傾向があります。しかし、自分自身について考えてみれば分かる通り、歴史上の英雄賢者もまた、当時はその時代のうねりの中に生きていた一個の人間でした。そのような一人の人間が全知全能であるかのように、将来を完璧に見通し、自分の思い通りに歴史を動かすことなどできるわけがありません。徳川家康だって争乱の渦中にいるときは、いくつもの選択肢を突きつけられ、迷いながら選んでいたはずです。よって、陰謀実行者の計画に全く破綻がない場合は、まず疑ってかかるべきでしょう。
実際にはそんな都合のいいことは起こらない
概して陰謀論者はハッタリが上手い。一冊だけを読めば、「え! そうだったんだ」と思わず信じてしまうかもしれません。しかし、複数の陰謀説を俯瞰すれば、だんだんとそのパターンが見えてくる。「陰謀論というのは近づくと斬新だけれど、遠ざかってみるととても凡庸だ」と気付きます。また、陰謀論は英雄史観とも相通じるところがあります。例えば坂本龍馬などが英雄として描かれるときにありがちなのは、彼の個人の力とビジョンの通りに、社会や時代が変わっていくというストーリーです。しかし、やはり実際にはそんな都合のいいことは起こらない。
ある人物に歴史を見通す鋭いビジョンがどれだけあっても、その通りに物事が運ぶわけではありません。必ず想定外の事態が起こるのが、私たちの生きる現実です。そこで迷ったり悩んだり間違えたりするのが人間であり、どんな英雄でも天才策士でもそれは変わらない。本来の当たり前の人間のあり方から目を背けるという意味では、英雄史観も陰謀論も変わらないと私は思います。
常識を覆す論には、知的興奮を伴う驚きがある
それから、もう一つ気を付けておかなければならないのは、陰謀論に引っかかるのは、歴史に対する知識が乏しいからではないことですね。実際に歴史学の専門家が専門外の分野で陰謀論者になったり、陰謀論すれすれの説を語り始めたりする例は多く見られます。日本中世史を専攻する大学教員が、近代史学界で一蹴されている「坂本龍馬暗殺の黒幕は薩摩藩」というトンデモ説を支持するのは、その典型でしょう。さらに言えば高学歴で自分に教養があると思っている人ほど、よく引っかかると言えるかもしれない。それはパッと見たときに常識を覆す論には、知的興奮を伴う驚きがあるからでしょう。それが陰謀論の怖さです。
さて、実はこの『陰謀の日本中世史』のもとになったのは、私が立教大学で行った「歴史学への招待」という1、2年生向けの講義でした。
歴史学のイロハを知らない学生たちの講義のテーマに陰謀論を選んだのは、そこを入り口にすると歴史学とはどのような学問で、研究者とはどのように物事を考えていくか、という基本が伝えやすいからでした。
歴史学に限らず、研究者にはある種の慎重さや謙虚さが求められている、と私は考えています。自分が提唱する説というものは、あくまでも仮説であり、それが批判され修正されていく可能性を常に考えなければならない。それが研究者のとるべき態度である、と。
歴史において「一発逆転ホームラン」は原則的にはありえない
ところが陰謀論や疑似科学の主張者の多くは、対外的に「自分の説が絶対に正しい」と言ってしまう。自説が批判的に再検証されるべきだという意識が希薄で、批判されると「真実を隠蔽しようとしている」「学界は私を恐れている」と新しい陰謀論さえ付け加えたりする。歴史学という学問は本来、先人の研究成果に一つひとつさらなる成果を積み重ねていく地味なものです。一つの新発見史料によって、これまでの通説が全てひっくり返るといった一発逆転ホームランは、原則的にはありません。「430年間、誰も明らかにできなかった真実を明らかにした」などと言う人がいますが、430年間の膨大な研究蓄積をたった1人で覆せると本当に思っているのでしょうか。
そもそも「通説」とは、いままで多くの批判にもまれながら、それでも耐えて生き残ってきたものです。それは一人の学者や素人の歴史愛好家によって、簡単にひっくり返るほど脆弱なものではないのです。私が学生たちに伝えたかったのは、そのように長い歴史の中で鍛えられた「通説」の偉大さを理解した上で「通説」に挑むことにこそ、歴史学の醍醐味があるということでした。それは「通説」を矮小化して、「論破」したつもりになる行為とは全く異なるものです。
未解明が山積みのまま一生を終えるのが歴史学者の運命
私自身、「長い長い研究史の中に自分の研究もあるんだ」という感覚が好きで、そこに歴史研究者としてのやりがいを抱いてきました。いままでの考え方と全く断絶した新しい独自のものを作るのではなく、歴史研究の長い連なりの中で一つひとつ新たな成果を積み重ねていくことに、歴史を学ぶ面白さを感じてきたのです。私たち歴史学者は生涯をかけて歴史研究を進めますが、自分の知りたいことの全てを生きているうちに明らかにすることはできません。未解明のことが山積みのまま一生を終えるのが、歴史学者の運命です。
しかし、分からないことが積み残されたからといって、その人生は決して無駄にはならない。歴史の研究とは、そこに至るまでのプロセスや道筋にこそ意味がある。何百年も前に生きた人の知恵も借りながら、先人の研究に敬意を払い、新しい何かをその連なりの先に見いだしていく。そして、自分が築いたものは後続の研究者の踏み台になる。それこそが学問の醍醐味であるのだと私は思っています。
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信じやすい人というのは、奇妙なことがらを信じることに無上の喜びを見出すものだ。しかも、奇妙であればあるほど受け入れやすいときている。ところがそういう人は、平明でいかにもありそうなことがらは重んじようとしない。というのもそんなものは誰でも信じることが出来るからだ。
── サミュエル・バトラー(『人さまざま』)
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「こんなにやつきになつて...」
「【産経抄】6月2日」(産経新聞)
→ http://www.sankei.com/column/news/180602/clm1806020003-n1.html
「こんなにやつきになつて罵詈(ばり)雑言を浴びせかけなくてもよささうなもの」。劇作家で評論家の福田恆存さんは昭和30年に発表した論文『輿論(よろん)を強ひる新聞』で、当時の新聞による吉田茂首相糾弾をいぶかっている。「どの新聞もどの新聞も、まるで相談したやうに反吉田になつてゐる」。
1年間の海外旅行から帰国した福田さんが、日本の新聞から受けた印象は「正常ではない」だった。「吉田内閣が末期的なのではなくて、その攻撃の仕方が末期的」「一度、反吉田の線をだした以上、どうしても辞めてもらはなければ、ひつこみがつかない」。
63年も前の論文を引っ張ってきたのは、5月31日付朝日新聞の2本の社説からの連想である。タイトルは「麻生財務相 もはや辞めるしかない」「党首討論 安倍論法もうんざりだ」だった。吉田元首相の孫である麻生太郎氏に、即時辞任を迫っていた。
朝日がいう安倍論法とは「質問に正面から答えず、一方的に自説を述べる。論点をすり替え、時間を空費させる」ことだそうだ。残念ながら、いったん攻撃を始めるとエスカレートしていく新聞の体質は、現在も改まっていない。
もっともインターネット上では、朝日の社説は自己紹介だと皮肉られもしている。吉田元首相の時代と違うのは、ネットの普及によってマスコミの報道や論調が相対化され、即座に反論や批判を受けることである。
マスコミ同士、業界内部での相互批判が増えたのも健全なことだろう。元読売新聞ベルリン特派員の木佐芳男さんは新著『「反日」という病』で、朝日のあり方についてこう分析している。「自己愛がふくれあがり、対日本、対日本人との関係でいちじるしく摩擦を起こしている」。すとんと腑(ふ)に落ちた。
新聞はあくまで事実の報道という形で、国民を一定の方向に追いやることができますが、さらにその限度を超えて、最初から「世論はこうだ、こうだ」と国民の頭上におっかぶせていくとなると問題です。ことに一般の国民は難解拙劣な政治記事を読まずに、見出しや煽情的な社会面を読みがちですから、そういう工作は易々たるものです。もちろん、国民の大部分は動かされはしませんでした。
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リーダーに求められるのは「信」
「リーダーに求められるのは「信」。ビジネスにもきっと役立つ『孫子』の考え方とは?」(ライフハッカー)
→ https://www.lifehacker.jp/2018/05/book_to_read_sonshi.html
これまで世界のなかで数えきれないほどの戦争が起こってきた。戦うからには勝たなければならない。では、どうすれば勝てるのか。それを追求したのが兵法書である。 なにしろ戦争というのは、勝てば生き残るし、負ければ国を滅ぼしてしまう。その国なりその民族にとっては、ぎりぎりの瀬戸際である。そこをどう乗り切るかということであるから、兵法書にはその民族の最もすぐれた知恵が盛り込まれている。 中国でも、古来、多くの兵法書が書かれてきた。そのなかで、とりわけ広く読まれてきたのが『孫子』である。(「まえがき」より)
いまから2500年前に孫武(そんぶ)という兵法家によって書かれ、いまなお世界中で読まれている『孫子』について、『世界最高の人生戦略書 孫子』(守屋 洋著、SBクリエイティブ)の著者はこう説明しています。
『孫子』が軍事の専門家のみならず、ソフトバンクの代表取締役会長兼社長である孫正義氏、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏などの世界的企業家たちにも広く読み継がれているのは有名な話です。とはいえ競争社会を生き抜くための知恵は、経営者のみならず、すべてのビジネスパーソンに必要なものであるはず。
それだけではありません。著者によれば、人工知能(AI)が人間を凌駕し、人の仕事を奪っていくことが予測される状況下において、人間力を磨き、AI時代を生き抜くための極意が『孫子』にはたくさん詰まっているというのです。
本書は、その『孫子』からキーワードともいうべき名言をとりあげ、多くの事例を引きながら、わたしなりの解説をつけたものである。 その際、『孫子』だけではなく、他の兵法書や古典からも関連する名言を拾い上げ、それぞれに解説を加えておいた。強いていえば、そのあたりに本書の特徴があるといってよいかもしれない。(「まえがき」より)
きょうはそんな本書の第三章「知略で優位に立つ」のなかから、2つを抜き出してみたいと思います。
組織の勢いを重視する
善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責(もと)めず
▶善戦者、求之於勢、不責於人。(兵勢篇)
戦功者は、なによりもまず勢いに乗ることを重視し、一人ひとりの働きに過度の期待をかけないもの。『孫子』は、わかりやすいたとえを引いてこう語っているそうです。
「勢いに乗れば、兵士は坂道を転がる丸太や石のように、思いがけない力を発揮する。……勢いに乗って戦うとは、丸い石を千仭(せんじん)の谷底に転がすようなものだ。これが戦いの勢いというものである」(112ページより)
たしかに、組織全体に勢いがあれば一の力を三にも四にもすることができるはず。逆に勢いがなかったら、せっかくの力も半減してしまうわけです。戦いにおいては、この違いが大きな意味を持つということ。
戦いにおいては、勢いに乗って一気に決着をつけることが重要である。 『諸葛亮集』もそれを指摘している。 「計謀は密ならんことを欲し、敵を攻むるは疾(はや)からんことを欲す」(便宜十六策) 作戦計画はあくまでも秘密にし、敵を攻撃するときは疾風のごとくあれ、というのである。(113ページより)
作戦計画というのは、いつの時代でもその国にとって最高の機密事項で、厳秘扱い。当然のことながら、そんなことが筒抜けになったのでは、せっかくの作戦もあっという間に水泡に帰してしまうことになります。
だからこそ敵はスパイを潜入させ、手を替え品を替え、計画を探り出そうとします。そのため、いやがうえにも慎重な扱いが望まれるということ。
また、「攻撃するときは疾風のごとくあれ」とは、次のようなことだそうです。
「敵を捕捉するときには鷹が獲物を狙うように、戦端を開いたら奔流する河川のように圧倒すれば、味方を損耗することなく、敵を撃ち破ることができる」(114ページより)
つまり、こちらが優勢なときは、敵に守る余裕を与えず、一気にたたみかけろということ。そうすれば、短期収束をはかることができ、味方への損害も最小限度に食い止めることができるというわけです。
長期戦ともなれば、経費もかさむし、兵の疲労もつのっていくもの。それを避けるためには、好機をとらえて短期収束をめざすのが賢明な戦い方だということなのでしょう。(112ページより)
現場の判断に任せる
君命(くんめい)に受けざる所あり。
▶君命有所不受。(九変篇)
君主、つまりトップの命令を、現場の責任者が受けなくてもよい場合があるのだそうです。それは、次のような考えから出ているのだとか。
「軍を率いて出陣するからには、将たる者が指揮権を掌握しなければならない。君主が横から口をはさんだのでは、作戦を成功させることはできない」(『三略』中略)(140ページより)
現場指揮官は、勝利を目指すためには、その時々の状況に応じて臨機応変の決断を下していくことが必要。そのため、それを妨げるような君主からの命令は、あえて受けないこともあるということ。
とはいえ現場指揮官の役割とは、あくまでも個々の戦闘における勝利であることを忘れてはならないでしょう。
君主はさらにその上のレベル、すなわち政治的判断によって、個々の戦闘の是非を検討すべき立場にあるもの。極端な言い方をするなら、もしも勝たないほうが国益にかなうのであれば、その軍を勝たせないのも君主の役割となるわけです。
このことを現場指揮官が理解できなかった場合、現場が暴走することになるかもしれません。その結果、個々の勝利は得られたとしても、のちのち大きな問題を残すことにもなりかねません。
そこで、勝利を目指すためには、君主と指揮官の連携が不可欠だと著者は主張しています。将たる者には「信」がなければならないということ。
「将は以って信ならざるべからず。信ならざれば則ち令行われず。令行われざれば則ち軍槫(まとま)らず」(『孫臏兵法』将義篇)
将たる者である以上、『信』があることが必要。なぜなら『信』がなければ命令を徹底させることができず、したがって軍をまとめることもできないから。
ちなみに「信」とは「ウソをつかない」「約束したことは必ず守る」という意味だといいますが、これも将たる者が持つべき重要な条件なのだそうです。
なぜなら、上に立つ者が二枚舌を使ったのでは、下の者の不信を買ってしまうから。一度くらいなら許されるかもしれませんが、二度三度とそんなことを繰り返していたのでは、完全にそっぽを向かれてしまうというわけです。
そうならないためには、上に立つ者ほど慎重に発言することが必要。心がけたいのは、自分にできることなのかどうか、善く考えてから返事をすること。そうでないと、すぐに「信」を失ってしまうという考え方です。
その弊害は、軍の場合は特に深刻だそうです。何しろ戦いは命がけの場。部下の信頼を失った指揮官は、土壇場に立たされたとき、あっさりと部下に見捨てられてしまうからです。(140ページより)
たしかに、紹介されているのはビジネスの現場に共通する考え方ばかり。解説も平易でわかりやすいので、多くの気づきを得られるだろうと思います。ぜひ一度、手にとってみてください。
「気骨ある健全な批判精神を示せ」
「【正論】気骨ある健全な批判精神を示せ 日本大学教授・先崎彰容」(産経新聞)
→ http://www.sankei.com/column/news/180531/clm1805310004-n1.html
≪大人は若者から「見られている」≫
今、わが国の主要な言論、とりわけ新聞・雑誌は「不祥事」を論(あげつら)うことに終始している。財務省トップが、性的不始末で陥落しただけではない。昨年2月、学校法人森友学園に対し、国有地を安価に売却したのかどうかをめぐって、議論が紛糾した。さらに財務省の決裁文書の改竄(かいざん)が明らかになり、国税庁長官が辞任する騒動にまで発展した。
「忖度(そんたく)」という言葉が一躍、流行語になったことも記憶に新しい。さらに、大学の部活動が問題行動を起こし、相手側大学の学生に被害を及ぼしたことから、新聞・雑誌・テレビなどのジャーナリズムは、大学のマネジメント能力を問題視した。
むろん筆者は一研究者であり、私的な立場から今、この原稿を書いている。そのことを踏まえたうえで、これら一連の「不祥事」から、現在、われわれ国民が何を学ぶべきなのか、一考を促したいと思う。これは文章を書くとき、いつも念頭に置いていることなのだが、われわれ大人は、常に若者たちから「見られている」という意識を持つべきだと思う。
あまりにも粗雑に粗雑を重ねるマスコミの言葉の氾濫は、大人の権威が地に落ちかねないほどの域に達している。以下は、日々成熟したいと願っている私なりの極めて拙い現状診察である。
≪行き過ぎが指摘できる環境か≫
たとえば、「忖度」をめぐる不祥事について、歴史界の大物たちの事例を参照しよう。『文芸春秋』2018年5月号では、「安倍政権と旧日本軍の相似形」というタイトルで、半藤一利氏と保阪正康氏、そして若手論客として辻田真佐憲氏が鼎談(ていだん)を行った。
彼らは冷静に、現在の安倍晋三政権を戦前の旧日本軍と比較して論じている。たとえば戦争末期の小磯國昭内閣を見てみると、海軍次官が軍需局長に「天皇陛下が日米の戦力比の数字を知りたいと言っている」旨を伝え、書類作成を命じた。すると「いつものようにメイキングしますね」との返答を受けた。つまり小磯内閣以前から天皇に対して海軍官僚は数字を出し入れし、都合のよい資料を改竄・捏造(ねつぞう)していた。これは今回の不祥事を彷彿(ほうふつ)させると言う。
しかし、と半藤氏も保阪氏も留保をつける。それでも戦前の官僚は「天皇の官僚」として高潔なプライドをもった人もいた。しきりに半藤氏は、戦前の官僚には「気骨」があったと言っている。また保阪氏も、沖縄返還に関する日米密約について「官僚にも良心がありますから、最後には話してくれると思いますよ」と、戦前を生き抜いた官僚と現在とを比較し、称賛を惜しまない。天皇から特別な使命を与えられているという感覚が忠誠心を生みだし、プライドを支えていたというわけである。
ところが、戦後の官僚は「政治家の官僚」になってしまった。高潔さの微塵(みじん)もない現在の官僚は、政府の顔色ばかりを窺(うかが)い、劣化した存在だといえるだろう-。
以上が鼎談の要約である。彼らの安倍政権批判の是非は、ここでの問題にはならない。注目すべきは、次のような論点を引きだせることなのだ。すなわち政治家と官僚であれ、スポーツチームの監督とコーチであれ、何がしかの権力を持った存在に対して、どのようにすれば健全な批判精神を持つことができるか。政権や監督に対して、それは行き過ぎであると、手を挙げて指摘できる環境をどうつくれるか。これが、私たちが論じるべき課題なのである。
≪人間社会を問い質す議論がない≫
半藤氏が抽象的に指摘した「気骨」とは、目の前の「集団」に対し、適切かつ健全な批判精神を持つことを指すはずである。そしてこの課題こそ、近代日本の思想家たちが、それこそ心血を注いで取り組んだ課題であった。
たとえば丸山眞男は、論文『忠誠と反逆』で、頼山陽や福澤諭吉、徳富蘇峰や内村鑑三など幕末・明治の思想家たちを論じている。意外に思えるのは、丸山が頼山陽など幕末儒学に高い評価をしていることである。それは儒学思想に含まれた「天道」という概念にかかわる。理念とでも言った方が分かりやすいだろう。
現実社会から超越した「天道」という理念があれば、政治体制を相対化する視線を確保できる。現状が全てではない、変えることができる。維新回天の偉業は、前時代の遺産を精神の糧にして成し遂げられたというわけである。
しかも西郷隆盛や頼山陽らの天と個人との緊張関係は、内村鑑三のキリスト教に直接流れ込んでいる。内村は『後世への最大遺物』のなかで頼山陽を褒め称(たた)え『代表的日本人』では西郷こそが、天命を引き受けて行動した理想的人物だと筆頭に挙げていたのである。
今日、「忖度」への嘲笑であれ、監督とコーチの疑問視されている関係であれ、これらの問題から人間社会とは何かを問い質(ただ)す議論が全くないのはなぜなのか。私は改めて自分が大人であること、つまりは冷静な判断によって問題を深く見つめる目を養いたいと思う。
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勝ツテ兜ノ緒ヲ締メヨ
神明はただ平素の鍛錬に力(つと)め戦わずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安ずる者よりただちにこれをうばう。
古人曰く、勝って兜の緒をしめよ、と。
起草は”知謀湧くが如し”といわれた参謀、秋山真之。
当時のアメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトはこの訓示に感銘を受け、その英訳文を自軍の将兵に配布している。
日常の鍛練に努める者は戦わずにして勝者である。目の前の一勝に満足し浮かれる者は敗者となる。
古人に曰く、「勝って兜の緒を締めよ」と。
『東郷平八郎 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E
『聯合艦隊解散之辞 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%AF%E5%90%88%E8%89%A6%E9%9A%8A%E8%A7%A3%E6%95%A3%E4%B9%8B%E8%BE%9E
『聯合艦隊解散之辞 - Wikisource』 http://ja.wikisource.org/wiki/%E8%81%AF%E5%90%88%E8%89%A6%E9%9A%8A%E8%A7%A3%E6%95%A3%E4%B9%8B%E8%BE%9E
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