一日一言「神を視る力」
五月二十九日 神を視る力
神を信じる者も信じない者も、議論すればきりがない。神の存在は学問や理屈では尽くしがたく、神を理解するということは人間のまごころ以外にない。
〈明治天皇御製〉
目に見えぬ神の心に通ふこそ
人のこころの誠なりけれ
かの二宮金次郎(尊徳)は、神道五割、仏教二割五分、儒教二割五分を丸薬にして飲めば、どんな心の病も癒やされると説いた。
「仏老荘ノ教モ、イハバ心ヲミガク磨種(トギグサ)ナレバ、舎(スツ)ベキニモ非ズ」
仏教も老子、荘子の教えも、心を磨くためになるのであれば捨つる必要は無し、と。
“男おいどん”、かく語りき。
神もホトケもクソもあるもんかと思うばってん
もし もしいらっしゃるなら
天地・宇宙 万物をつかさどる神サマ
おいどんは男ばい!
しあわせにしてくださいとも
たすけてくださいとも
死んでもたのみません
おいどんはおいどんのやりかたでがんばるけん
見ていてください
── 大山昇太(『男おいどん』)
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多忙
多忙につき。
明日のために今日も寝る、明後日のために明日も眠る、今に見とれよおいどんは.....
── 大山昇太(『男おいどん』)
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海軍記念日
「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」
── 秋山真之
海軍記念日。
日本海海戦の日。
明治38年(1905)5月27日、東郷平八郎率いる帝国海軍が当時世界最強といわれたロシア海軍、バルチック艦隊を破り勝利を収めた。
ほぼ全ての艦艇を撃沈、拿捕するという歴史上まれに見る完勝。パーフェクトゲーム。
過去の日記より。
『2014年01月29日(Wed) 「左警戒、右見張れ」』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20140129
「左警戒、右見張れ」
と、、、いうのは帝国海軍の格言である。
左に敵影を発見したならば、右を注意せよ。
一方に注目が集まる時にこそ、他方を注意し、全体を見渡せよ。と。
帝国海軍は、ドイツを手本にした陸軍とは異なり、英国海軍を基にしたため、ジェントルマンシップが色濃く残っている。
軍人である前に紳士たれ、常にスマートであれ。戦場にあってもユーモアを忘れてはならない。
頭の固い精神論を嫌い、スマートネスをモットーとした。
敵性語として英語の言い替えや排除が行われる中、海軍では英語を通したともいわれる。
つまりは、アングルバーではなく、フレキシブル・ワイヤーであれ、と。
例えば、モットー。(抜粋)良き時代の海軍は、身体のこなしも心のあり方も、総じてコチコチになるのを嫌いました。いわゆる心身のフレキシビリティというものを大事にしたのだが、これまた海軍の伝統だったのです。
中学を出て、江田島の兵学校へ新しく入って来た生徒たちに、教官なり、上級生がまず言って聞かせる言葉が、「貴様たち、アングルバーじゃ駄目だぞ。フレキシブル・ワイヤでなくてはいかん」。アングルバーというのは、字引を引くと、「山形鋼」と出ていますが、要するに橋梁の工事現場なんかに置いてあるがっちりした鉄材のことらしい。あれは一見、立派で丈夫そうに見えるけれど、そのもの自体として、何の働きもしない。それに引きかえ、船のデリックからだらっと下っているフレキシブル・ワイヤ、こいつは何十トンもの重量物を上から下へ、右から左へ、自由に移動させることが出来る。海軍士官となるべきお前たちは、同じ鋼材でもコチコチの方ではなく、ぐにゃぐにゃの方を志せというんですから、世間の人が想像している軍隊の教えとは大分違いました。
- 多少の貯え、身だしなみ
- モラルの根源「士官室」
- 元気の根源「ガンルーム(士官次室)」
- ユーモアーは一服の清涼剤
- 行動を起すところが思案点
- 5分前にはスタンバイ
- ダロウに手を打つな
- “ダラリ”(ムダ、ムラ、ムリ)追放
以下は、『次室士官心得』より抜粋。『次室士官心得』
第一 艦内生活一般心得
- 次室士官は一艦軍規風紀の根元、士気元気の源泉たることを自覚し、青年の特徴元気と熱、純心さを忘れずに大いにやれ。
- 士官としての品位を常に保ち、高潔なれ。自己の修養はもちろん。厳正なる態度動作に心がけ、功利打算を脱却して清廉潔白なる気品を養うことは武人の最も大切なる修養なり。
- 宏量大度精神爽快なるべし。狭量は軍隊の一致を破り、陰鬱は士気を沮喪せしむ。急がしい艦務の中にのびのびした気分を決して忘れるな。細心なるはもちろん必要なるも「こせこせ」することは禁物なり。
- 礼儀正しく、敬礼は厳格にせよ。 次室士官は、「自分は海軍士官の最下位で、何も知らぬものである」と心得、譲る心がけが大切だ。親しき中にも礼儀を守り、上の人の顔を立てよ。よかれあしかれ、とにかく「ケプガン」を立てよ。
- 旺盛なる責任観念の中に生きよ。これは、士官として最大要素の一つだ。命令を下し、もしくはこれを伝達する場合には、必ずその遂行を見届け、ここにはじめてその責任を果たしたるものと心得べし。
- 犠牲精神を発揮せよ。大いに縁の下の力持ちとなれ。
- 少し艦務に習熟し己が力量に自信を持つ頃になると、先輩の思慮円熟なるが却って愚と見ゆる時来ることあるべし。これ即慢心の危機に臨みたるなり。この慢心を断絶せず増長に任し、人を侮り自ら軽んずる時は、技術学芸共に退歩し、終わりに陋劣の小人たるに終わるべし。
- おずおずして居ては何も出来ぬ。図々しいのも不可なるも、さりとておずおずするのは尚見苦しい。信ずるところをはきはき行っていくのは我々にとりもっとも必要である。
- 何事にも骨惜しみをしてはならない。乗艦当時はさほどでもないが、少し馴れて来ると、とかく骨惜しみするようになる。当直にも、分隊事務にも、骨惜しみをしてはならぬ。いかなるときでも、進んでやる心がけが必要だ。身体を汚すのを忌避するようでは、もうおしまいである。
- 「事件即決」の「モットー」をもって物事の処理に心がけるべし。「明日やろう」と思っていると、結局何もやらずにたくさんの仕事を残すし、仕事に追われるようになる。要するに仕事を「リード」せよ。
- 「シーマンライク」の修養を必要とす。動作は「スマート」なれ。一分一秒の差が結果に大影響を与うること多し。
- 要領がよいという言葉も聞くが、あまり良い言葉ではない。人まえで働き、陰でずべる類の人に対する尊称である。吾人はまして裏表があってはならぬ。つねに正々堂々とやらねばならぬ。
- 手帳「パイプ」は常に持って居れ。之を自分に最も便利よき如く工夫するとよい。
- 何につけても分相応と言う事を忘れるな。次室士官は次室士官として、候補生は候補生として、少尉中尉各分あり。
- 出入港の際は必ず受持の場所に居る様にせよ。出港用意の号音に驚いて飛び出す様では心掛が悪い。
- 諸整列が予め分かっている時、次室士官は下士官兵より先に其の場所に在る如くせよ。
- 何か変わったことが起こった時、或は何となく変わった事が起こったらしいと思われる時は、昼夜を問わず第一番に飛び出して見よ。
- 艦内で種々の競技が行われたり、また演芸会など催される祭、士官はなるべく出て見ること。下士官兵が一生懸命にやっているときに、士官は勝手に遊んでおるというようなことでは面白くない。
- 舷門は一艦の玄関口なり。其の出入りに際しては、服装を整え番兵の職権を尊重せよ。雨天でない時、雨衣や引廻を着たまま出入りしたり、答礼を欠くもの往々あり注意せよ。
第二 次室の生活について
- 我をはるな。自分の主張が間違っていると気づけば、片意地をはらず、あっさりと改めよ。我をはる人が一人でもおると、次室の空気は破壊される。
- 朝起きたならば、ただちに挨拶せよ。これが室内に明るき空気を漂わす第一要因だ。
- 次室にはそれぞれ特有の気風がある。良きも悪きもある。悪き点のみを見て、憤慨してのみいてはならない。神様の集まりでないから、悪い点もあるであろう。かかるときは確固たる信念と決心をもって自己を修め、自然に同僚を善化せよ。
- 上下の区別を、はっきりとせよ。親しき仲にも礼儀を守れ。 自分のことばかり考え、他人のことをかえりみないような精神は、団体生活には禁物。自分の仕事をよくやると同時に、他人にも理解を持ち、便宜を与えよ。
- 同じ「クラス」のものが、三人も四人も同じ艦に乗り組んだならば、その中の先任者を立てよ。「クラス」のものが、次室内で党をつくるのはよろしくない。全員の和衷協力はもっとも肝要なり。利己主義は唾棄すべし。
- 食事に関して、人に不愉快な感じを抱かしむるごとき言語を慎め。たとえば、人が黙って食事をしておるとき、調理がまずいといって割烹を呼びつけ、責めるがごときは遠慮せよ。また、会話などには、精練された話題を選べ。
- 次室内に、一人しかめ面をしてふくれているものがあると、次室全体に暗い影ができる。一人愉快な朗らかな人がいると、次室内が明るくなる。
- 暑いとき、公室内で仕事をするのに、上衣をとるくらいは差し支えないが、シャツまで脱いで裸になるごときは、はなはだしき不作法である。
- 次室内における言語においても気品を失うな。他の人に不快な念を生ぜしむべき行為、風態をなさず、また下士官考課表等に関することを軽々しく口にするな。ふしだらなことも、人に属することも、従兵を介して兵員室に伝わりがちのものである。士官に威信もなにも、あったものでない。
- 趣味として碁や将棋は悪くないが、これに熱中すると、とかく、尻が重くなりやすい。趣味と公務は、はっきり区別をつけて、けっして公務を疎かにするようなことがあってはならぬ。
- お互いに、他人の立場を考えてやれ。自分のいそがしい最中に、仕事のない人が寝ているのを見ると、非難したいような感情が起こるものだが、度量を宏く持って、それぞれの人の立場に理解と同情を持つことが肝要。
- 夜遅くまで、酒を飲んで騒いだり、大声で従兵を怒鳴ったりすることは慎め。
「次室」とは士官次室、英語で、ガンルーム、少尉候補生、少尉、中尉たちのラウンジといふか、公室です。此の、ガンルームを公室とする若手士官たちの日常心掛けるべき事項を列挙したものが、すなわち「次室士官心得」でして、民間の企業でいえば新入社員心得帖みたいな小冊子なのです。いろんな細かなことが書いてあって、説教くさいと言えば説教くさいんだけど、海軍を知らない人が想像しそうな、滅私奉公、命を捨ててお国のために尽くすと覚悟とか、そんなしかつめらしい項目はほとんど無しです。
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「宿命」は変えられるのか?
「『宿命』は変えられるのか?『脳は環境が作るか、遺伝子が作るか』問題」(現代ビジネス)
→ http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55581
性格を決めるのは、環境か遺伝か……普通の人が考え抜いても答えの出ないこの「難問」に、脳科学の現場からはいくつもの「ヒント」が提示されています。『サイコパス』『シャーデンフロイデ』などのベストセラーの著者で、脳科学者の中野信子さんが「日本人の脳」について解説する連載第二回目では、この難問に迫ります――。
性格も遺伝で決まるのか
カエルの子はカエル、という言い方があります。フランス語にも同様の意味で使われるLes chiens ne font pas des chats(犬は猫を産まない)という表現が、英語にもLike father, like son(この親にしてこの子あり)という成句があります。いずれも「子どもは外見だけではなく嗜好や言動も親に似る」という意味を持った言い回しです。こうしたフレーズが複数の国で、それぞれ独自の表現として成立してきた、ということは、同様の現象が洋の東西を問わず広く観察されてきたということを示すものでしょう。
子どもは両親の遺伝子を半分ずつ受け継いでいます。父母どちらから受け継いだものがより発現しやすいのか、形質によって差はありますが、「髪にくせがある」「お酒に強い」など子の容姿や体質が親に似てしまうのはみなさんもよくご存じのとおりでしょう。
ただこうした形質ばかりでなく、性格的な部分も、子は親に似てしまうように見える例がしばしば観察されます。性格とは、遺伝的に決定されてしまうものなのでしょうか? それとも、親からの育てられ方や環境によって決まるものなのでしょうか?
米国のジェフリー・ランドリガンという犯罪者の例を見てみましょう。彼は1962年生まれですから、そう昔の人物というわけではありません。
ジェフリーは生まれてすぐに養子に出され、それなりに裕福な環境で育てられました。ジェフリーは、感情の制御ができず、すぐに癇癪を起こす子どもでした。
また、惑溺しやすい質でもあったようで、わずか10歳で酒びたりになってしまい、11歳になると強盗事件を起こして逮捕されました。その後は、薬物中毒になり、殺人を犯して収監されますが、脱獄してさらに殺人を犯し、再逮捕されてしまいます。
死刑囚として過ごしていたアリゾナで、同じく収監されていた囚人から、ジェフリーは「アーカンソーでお前とよく似た詐欺師に会ったよ」という奇妙な話を聞きます。外見ばかりでなく、言動もジェフリーによく似ていたというこの人物こそ、彼の実の父親だったのです。この人もまた、薬物の常習者で犯罪を重ねており、脱走歴もあったといいます。
さらには、そのまた父、つまりジェフリーにとっては祖父に当たる人物も、同じように強盗事件を起こし、ジェフリーの父の目の前で射殺されていたのです。
「幸福度」にも遺伝が関係…?
犯罪心理学者のレインは、双子を対象とした研究の結果、子どもの反社会的行動の40%から50%は、遺伝によって説明できると主張しています。さらに、両親、教師、同世代の友達という3者の情報提供者の評価を平均して、対象となる子どもが実際どのように行動しているかを抽出したところ、環境要因はわずか4%に過ぎず、残り96%が遺伝によるものであったとしています。また、同じく心理学者のメドニックは、デンマークにおける養子の犯罪を調査し、犯罪者を実の両親に持つ養子が成人後に犯罪者になる割合を、非犯罪者を実の両親に持つ養子よりも高いとしています。
イギリスのユニバーシティ・カレッジ・ロンドン発達精神病理学教室教授のヴィディングが双子の幼少期の成長に関する研究をし、顕著にサイコパス的な特徴を持つ双子の反社会的行動は遺伝の強い影響を受けており、要因の81%が遺伝性である、としました。
ただ、こうした調査結果は注意深く取り扱う必要があります。この記事を読まれた方も、人権への配慮ということを念頭に置いて情報を取り扱っていただけたらと願います。
さて、反社会的傾向に関するデータばかりでなく、幸福の感じ方(幸福度)といった一般的には数値化しにくいと考えられている尺度についての調査もあります。個人の幸福度には遺伝的な影響があるのでしょうか。あるとすればその影響はどの程度なのでしょうか。
行動遺伝学者のリッケンとテレゲンらのグループによって行われた「幸せな双子の研究」と呼ばれる有名な双子研究があります。彼らはミネソタ双生児登録からデータを入手し、ミネソタ州で生まれた双子たちを追跡調査しました。
その結果、一卵性双生児のうちのひとりの幸福度を調べれば、もうひとりの幸福度の値がほぼ推定できる、ということがわかりました。一卵性双生児の幸福度は、環境が違っていても似通っていたのです。また環境要因として、収入額、配偶者の有無、職業、宗教などについても調査されています。
収入額が幸福度の変化に与える影響は2%以下、配偶者の有無が与える影響は1%以下でした。職業、宗教の影響が小さいことも明らかになりました。
「幸福にしてやろう」は非人道的…?
二卵性双生児のデータを見てみると、一卵性双生児とは異なり、お互いの幸福度はあまり似通っていませんでした。このデータは、幸福度はひとりひとりあらかじめ遺伝的に決まった設定値が受け継がれているのであり、環境要因の影響を受ける部分はごくわずかである、という主張を支持するものです。「幸せな双子の研究」から、一卵性双生児の幸福度がほとんど同じであり、環境要因の影響を受けにくいということがわかったわけです。他にも多くの双子研究が行われていますが、その結果から、双子について研究している近年の研究者たちは「幸福度は少なくとも50%が遺伝的に決まる」と考えています。
膨大な双子研究のデータには、一卵性双生児であるけれども幼いころから養子として別々の家庭で育った、という条件の被験者の情報も含まれています。まったく異なる環境で、お互いの存在さえ知らなかったのに、学校の成績や職業、乗っている車の車種、好きなタバコの銘柄、離婚歴、果ては妻と子どもの名前(好きだから名づけた)まで一緒だった双子の例も知られています。
ものごとに対する感じ方や考え方の大きな部分が遺伝する(遺伝の影響を大きく受ける)というのは非常に興味深い知見と言えるでしょう。
このことを前提とすると、毎年のように話題になる国連の世界幸福度報告での「日本人の幸福度の低さ」についても、対応策の講じ方が変わってくるはずです。その生理的な特質により、日本人の幸福度は、ある一定以上高めることは難しい、ということをあらかじめ知ったうえでなければ多くの努力は無駄になってしまうことでしょう。
そもそも幸福度が高くなりにくい性質をわざわざ保持している人たちがマジョリティとなるような集団では、幸福度が高いことが生存に不利になる可能性があることを考慮すべきです。
にもかかわらず、敢えてそのありようを変更させて幸福度を高めてやろうとするのは、せっかく環境に適応している個体に対して、外部から無茶な操作を加えてバランスを崩すということにもつながります。
「『幸福』にしてやろう」とその個体に強制的に生存・繁殖上、不利益となる行動をとらせようとする、非常に極端な言い方をすれば、非人道的な行為とも言えるわけです。
真面目さが日本人の長寿の秘密?
さて、反社会的行動を促進する形質や、幸福度を高める形質について、詳細は次回以降にまた譲るとして、これらは『性格遺伝子』と一括りに呼ぶことのできる、脳内に分泌される神経伝達物質の動態を決める遺伝的資質によってかなりの部分が決まっています。例えば反社会的行動であれば、ブックホルツとマイヤー、またニルソンらによる研究から、モノアミン酸化酵素(MAOs)の活性の違いによって説明できることが示されてきました。活性が低いタイプのモノアミン酸化酵素の遺伝子を持っている人ほど、放火やレイプなど、衝動をコントロールする力が欠如していると考えられる性質を持っていたのです。
また、幸福度の高さに関しては、どれくらい陽気で楽観的な性質かと言い換えてもよく、セロトニンの動態と深く関係しています。また真面目で慎重であることと悲観的であることも同じ生理的基盤を共有していると考えてよいでしょう。
セロトニンの動態に関しては、日本人はやや特異的な性質を持った集団ということができます。真面目さや幸福度の低さにかかわる『性格遺伝子』に着目すると、世界的にみても特色のある割合になっているのです。どちらかといえば悲観的になりやすく、真面目で慎重であり、粘り強い人たちであることを示す遺伝的性質を持っています。
ところで、幸福度を高めてやることがその人の寿命を縮めることになりかねない、という考え方はパラドキシカルで、やや独特な感じがすると思いますが、私は個人的にこのパラダイムを非常に気に入っています。
この考え方を支持する根拠となる、スタンフォード大学のターマンのリサーチがあります。1921年に開始され、80年の間調査が続けられ、弟子のフリードマンがその研究を完成させたものです。研究では、10歳前後の児童1528人を対象に性格を分析し、その後どのような人生を歩んでいくのか、5~10年おきにインタビューが行われました。
その結果、まずは定期的な医療検査や適度な運動、サプリメントや緑黄色野菜の摂取などは長寿に関係ないことがわかりました。肉体的な健康を保持するための努力はあまり意味がなかったということでしょう。
一方、長寿者には共通する「性格」が見つかりました。良心的で、慎重であり、注意深く、調子に乗らない。いわば真面目で悲観的な性格を持っていることが、長寿との相関が高かったのです。
逆に、長寿でなかった人に共通するのは、陽気で楽観的であるという性格でした。調査では01年の段階で、男性の70%、女性の51%が他界していましたが、この真面目さのスコアの低い人が最も多く亡くなっていたのです。
このデータが示しているのは、本人にとってはつらく感じられるかもしれない「真面目で悲観的な性格」が、実は本人の命を守るための性質であった、というごくシンプルな事実です。慎重で、リスクをきちんと見極め、それを回避できる能力を持っている、ということが長く生き残るためには重要な性質である……考えてみれば当たり前の話かもしれません。
ただ、私たちの脳は、そんな単純なことさえ冷静に考えてみることが難しいほど、日々のタスクに追われ、ひとつひとつの出来事に翻弄されてしまいます。
瞑想が大脳新皮質の容積を増やすという研究もあるようです。時には、遠くから自分のことを客観的に見つめ、自分の心の動き、脳の働きについてしみじみと思いをめぐらせる時間を持つのも悪くないのではないでしょうか。
神道はなぜ「敵役」にされたのか
「【正論】神道はなぜ『敵役』にされたのか 東京大学名誉教授・平川祐弘」(産経新聞)
→ http://www.sankei.com/column/news/180525/clm1805250004-n1.html
ザビエルが来日した1549年から三代徳川将軍、家光の鎖国までの100年を「キリスト教の世紀」と西洋人は呼んだ。宣教師たちは極東の島国の改宗に成功したと大宣伝を本国向けにしたが、その赫々(かっかく)たるローマの戦勝祝賀報告のだしに使われたのが天正遣欧使節で、四人の少年は法王グレゴリウス13世に謁見、歓待を受け、ティントレットの息子ドメーニコが伊東鈍満所の肖像を描いた。
世間は麗々しく遣欧使節と呼ぶが実体は違う。少年が各地で書き残した礼状は同行イエズス会士が口授した文章で個性はない。イタリア語の理解力は低く、客観的な判断ができたわけではない。ボローニャへの途次、イーモラで休んだとき、日本の地名に似ている「井村だ、井村だ」とはしゃいだ。その程度だ。彼らは日本における宣教成果の西洋向け宣伝用の見世物(みせもの)使節だったのである。
新井白石は『西洋紀聞』巻下にイエズス会士が九州で「いとけなき子を携来て」ローマへ連れて行こうとしたことにふれ、漢文が達者な利瑪竇ことマッテオ・リッチについても元東洋の穎悟(えいご)な少年をマカオあたりから連れ去り、西洋で教育した上で宣教にまた中国へ派遣したのでないかと疑った。
日本開国は宣教師たちにとって「夢よ、もう一度」の好機と思われた。1865年、大浦天主堂の門前に浦上の農民があらわれ「サンタ・マリヤの像はどこ?」とたずねた。プチジャン神父は、厳しい徳川の禁教下でキリシタンの信仰は続いた、と知り驚倒した。
しかし隠れキリシタンは、古野清人が調べたように、信仰のために死んだ祖先を神として敬う「家の宗教」と化しており、彼らの多くはカトリックに戻らない。プチジャンはいらだって帰国、ナポレオン三世に日本改宗のためのフランス軍による占領を進言し皇帝を苦笑させた。
◆「新宗教」が布教を妨げる?
明治7年、横浜でパークス、ヘボン、ブラウン、サトウ、チェンバレンら西洋人日本通が一堂に会して神道について初めて議論し、祖先を祀(まつ)る土着の信仰は「空虚で人の心を動かさない」「文明開化とともに消滅する」と結論した(後にハーンだけがその見方に反対した)。
だが神道が国家主義の風潮に乗り勢いづくと、チェンバレンはそれを大正元年「新宗教の発明」と断じた。一部宣教師も同調し、今の日本でキリスト教徒が人口の1%を超えないのは、神道が天皇崇拝の国教として、布教を妨げるからだと言い出した。
それに反し中国はキリスト教宣布の希望の土地で、蒋介石夫妻も入信した。そんなパール・バックも描く中国の良き大地を悪しき日本軍が侵略する、と非難を強めた。宣教師の意見を代弁する米国の『ライフ』誌も親中反日をあおり、世論や米国外交を動かした。
私は戦争中に「八紘一宇」は「世界のすみずみまでが一つの屋根の下で仲良く暮らす」「人類みな兄弟」という趣旨で習った。宮城遥拝などの儀礼はあったが、神道を教える宗教のクラスはない。そんなだから「国家神道」という言葉を聞いたことがない。
だが、米国側は神道を熱狂的な日本愛国主義のバックボーンと目し、神風特攻隊の必死の攻撃は天皇を神とする宗教的狂信のゆえとした。それを粉砕すべく米空軍は意図的に明治神宮を爆撃、火炎は天に沖(ちゅう)した。
◆人種偏見と結びつく宗教文化論
昭和20年12月、占領軍総司令部は神道指令を出し、国家(神社)神道の政治的影響力の排除を命じたが、その際、State Shintoの訳語として国家神道は日本語に定着した。翌年元旦、昭和天皇はGod-Emperorは「架空ナル観念」であると宣言した。
ユダヤ・キリスト教では創造主は人を創る全能のゴッドだが、日本の天皇は違う。神道では人が死んで神になり、神棚に先祖は祀られる。日本では人は死ねば「神去ります」。その神道の神をGodなどと訳すから、誤解は生じた。
だが「天皇は日本人のゴッドだ」と言い出したのは、日本兵の強固な戦意におびえた人々の解釈で、それがまた米英人の敵愾(てきがい)心を強めた。宗教文化論は人種偏見と結びつきやすい。神道脅威論は黄禍論の一変形かもしれない。
安倍晋三首相が先進7カ国首脳会議を伊勢志摩で2016年に開催したときも奇妙な批判が出た。しかし神道をこうして敵役(かたきやく)に仕立てたのはおかしくないか。今では米国大統領も明治神宮に参拝する。クリントン国務長官はお祓(はら)いも受けた。
軍部が日本を泥沼に引きずり込んだ戦争は愚かだが、それでも「日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ス」と教えられたことはない。八紘一宇はそんな意味だとする米国側解釈こそ「架空ナル観念」だったのではなかろうか。宗教文化史的誤解はやはり解いておきたい。
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一日一言「伊達政宗の座右の銘」
伊達政宗は寛永十三年(西暦一六三六年)の今日に、七十歳でこの世を去ったが、座右の銘にいう。
仁に過れば弱くなる。
義に過れば固く成る。
礼に過れば諂となる。(へつらい)
智に過れば嘘をつく。
信に過れば損をする。
漱石先生が言うには、、、
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
- 作者: 夏目漱石
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一日一言「信じて疑わない」
五月二十三日 信じて疑わない
親友であっても、人がその人を悪く言えば、疑うのはよくあることだが、世間の人がその人を非難するとその人との交流も親密ではないものになってしまう。また、世間の人がその人をほめれば、親しくなろうとするのは薄情ではあるが、実際の人情である。その人を信じて疑わない大きな心は、雲の月をも見ることができる。
晴れくもる光は雲のしわざにて
もとより月は有明の空
ぼのぼのさん、誰かの悪口をそのまま信じることはその悪口を言った者と同じくらいいけないことですよ。
── ダイねえちゃん(『ぼのぼの』)
ぼのぼの名言集(上) 「今日は風となかよくしてみよう」 (竹書房新書)
- 作者: いがらしみきお
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