武士の国
「トランプ氏、対北で『武士の国』日本が動く可能性を中国に警告」(AFPBB NEWS)
→ http://www.afpbb.com/articles/-/3149247
【11月3日 AFP】ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は2日、中国に対し、北朝鮮の脅威が対処されなければ「武士の国」である日本が自ら事に当たる可能性もあると警告した。
トランプ氏は5日、大統領就任後初となるアジア歴訪を開始する。北朝鮮による核・ミサイル開発をめぐって高まっている緊張が、中心議題になるとみられている。
トランプ大統領は米FOXニュース(Fox News)のインタビューで、「日本は武士の国だ。私は中国にも、それ以外に聞いている皆にも言っておく。北朝鮮とこのような事態が続くのを放置していると、日本との間で大問題を抱えることになる」と語った。
その一方で、中国の習近平(Xi Jinping)国家主席は北朝鮮問題で「相当素晴らしい」働きを続けており、「中国はわれわれを助けてくれている」と持ち上げもした。
中国はトランプ氏から、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン、Kim Jong-Un)朝鮮労働党委員長を制御できていないと批判を受けていた。その後、国連(UN)が科した厳しい対北制裁を履行し、習氏とトランプ氏の関係は改善しているとみられている。(c)AFP
確かに、日本は「武士の国」である。
その事を忘れている日本人が少なくないのではないか。
「我等は人生の大抵の問題は武士道を以て解決する、正直なる事、高潔なる事、寛大なる事、約束を守る事、借金せざる事、逃げる敵を遂わざる事、人の窮境に陥るを見て喜ばざる事、是等の事に就て基督教を煩わすの必要はない、我等は祖先伝来の武士道に依り是等の問題を解決して誤らないのである」
── 内村鑑三(『武士道と基督教』)
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『文化の日』
『文化の日』── 「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日。
その愛すべき、“自由”とは何か?
“平和”とは何か?
そのすすめるべき“文化”とは、何か?
福田恆存、かく語りき。(『日本への遺言―福田恒存語録』より抜粋)
自由とは何か。
【自由】
自由といふこと、そのことにまちがひがあるのではないか。自由とは、所詮、奴隷の思想ではないか。私はさう考える。自由によつて、ひとはけつして幸福になりえない。自由といふやうなものが、ひとたび人の心を領するやうになると、かれは際限もなくその道を歩みはじめる。方向は二つある。内に向かふものと、外に向かふものと。自由を内に求めれば、かれは孤独になる。それを外に求めれば、特権階級への昇格を目ざさざるをえない。だから奴隷の思想だといふのだ。奴隷は孤独であるか、特権の奪取をもくろむか、つねにその二つのうち、いづれかの道を選ぶ。
── (『人間・この劇的なるもの』)
平和とは何か。
【平和】
平和とは何であるかと問はれれば、それは辞書にある通り“Freedom from, or cessation of, war or hostilities, that condition of a nation or community in which it is not at war with another.”意味し、また“A ratification or treaty of peace between two powers previously at war.”を差すといふのが、最も常識的な答えでありませう。それは戦争の事前と事後にある戦争の欠如状態、即ち、戦争してゐないといふだけの事です。要するに、単なる事実を示す消去的な意味に過ぎず、何等かの価値を示す積極的な意味として使用し得ぬものであります。少なくとも過去においては、特殊な平和主義者以外の大部分の人にとつてさういふものだつたのです。詰り戦争さへ無ければ好いのであります。が、戦争さへなければ好いといふ事は、或る価値を生むのに都合の好い状態であつても、その事自体を価値と見なす訳には行きません。のみならず、或る幾つかの価値を生むのに都合が好くても、それは必ずしも他の価値を生むのに都合が好い状態を意味しません。例えば勇気や自己犠牲の様に戦争状態であつたはうが生むのに都合の好い価値といふものも存在します。しかし、だからといつて戦争自体を価値と見なす訳には行きますまい。尤も日本の平和思想の弱点は、平和状態であつたはうが生むのに都合の好い価値といふ事についてすら、一顧の考慮をも払はなかつた事にあります。言ふまでもなく、平和は単なる事実や手段を示す消極的な意味ではなく、それ自身直ちに価値や目的と成り得る積極的な意味として通用してしまつたからです。
── (『平和の理念』)
文化とは、何か。
【文化 1】
現在、戦争をたんに利害の衝突からのみ眺める妙な先入観がありますが、そんなかんたんなものではない。負けたはうが、侵略のまゝにまかせたはうが、下手に戦ふより楽なばあひだつてあります。それをなぜ、人類は性こりもなく戦争をくりかへしてきたか。それは意識するとしないとにかゝはらず、自国の文化を守るためでありませう。自分のくせや気質を守るためでありませう。それほどに、自分の気質とかくせとかいふものは大事なものなのであります。それは私たちの、いはゞ生きかたであつて、それを変へろといはれるのは自分の生活が否定されるほどに辛いのです。
私たちの最近の歴史は、さういふ辛い目にばかりあつてきた。文化の混乱であり、文化の喪失であります。もつと遺憾なことは、私たちが、その事実に気づいてゐないのみか、その辛さにも気づかぬほど、すつかり文化感覚を失つてしまってゐるのであります。だから、食へてはじめての文化といふやうな観念が時代を風靡してゐて、だれもそれを怪しまないのです。そして、かういふ文化概念はもつぱら知識階級の間に流行してゐます。民衆はまだしも文化をもつてゐる。自分たちの歩きぐせや気質を守つてゐます。それを捨てて、新時代についてこられぬ彼らを、知識階級は軽蔑する。が、私はさういふ知識階級を軽蔑したい。文化の混乱の結果、いちばん辛い目にあつてゐるのは民衆です。それも、彼らの間には、まだ文化感覚が生きてゐるからです。
── (『文化とはなにか』)
【文化 2】
文化といふ言葉は大体二様に用ゐられてゐる。第一は、民族や時代の生活様式を集中的に表してゐる建築、美術、工芸、音楽、文字、教育などを指す。無形文化財、室町文化がそれである。その他は第二の意味に属する。すなはち、進歩的で西洋的でハイカラで、文明開化の響きを有してゐる。しかし、両者ともに間違つている。少なくとも表面的である。では、文化とは何か。エリオットによれば、文化とは民族や時代の「生き方」なのである。
私たちが、歴史を知らうとするとき、たとへば室町時代の人はもう存在しないから、その「生き方」を見るわけにはゆかない。そこで銀閣寺や雪舟を取上げるわけだが、それは当時の人間の「生き方」としての文化の頂点を示すものであつて、それだけが文化なのでもないし、それが文化なのでもない。また、そこに室町時代人の「生き方」が表れてをり、察せられもするといふ点では、政治も戦争もさうである。政治も戦争も文化なのである。歴史教科書の政治、経済、文化といふ分類説明法は、単なる便宜に過ぎない。
── (『文化破壊の文化政策』)
【文化の厚み】
政治、経済、外交などと異なり、文化に関するかぎり、私たちは優劣や希望、絶望の観点からものを見ないほうがよい。文化に関するかぎり、長所は必ず短所に通じるものなのだ。一番大切なことは、自分の長所を知ってそれを助長し、短所を知ってそれを抑制するということよりも、長短とは関わりなく、日本の文化は私たちの「生き方」なのだという、ただそれだけの理由でそれを愛し、それに自信をもつことである。が、その態度はおそらくこうした説得によって得られるものではなく、そういう風にして生きている人を見つけることによってしか得られはしまい。
もし私たちが、物を愛し造る職人を、それを意義づけし、目的を強いる文化人よりも尊重するように心がけさへしたら、日本の文化は今よりも「良く」なるであろうとは言わない。「深く」なり「厚み」を増すであろう。
── (『私の幸福論』)
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文化とは我々の“生き方”である。
我等がアンゴ先生、かく語りき。
必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り、月夜の景観に代ってネオン・サインが光っている。ここに我々の実際の生活が魂を下している限り、これが美しくなくて、何であろうか。見給え、空には飛行機がとび、海には鋼鉄が走り、高架線を電車が轟々と駈けて行く。我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる。そこに真実の生活があるからだ。そうして、真に生活する限り、猿真似を羞(はじ)ることはないのである。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。
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「コンドルセの多数決論」
ヴォルテールに曰く、
“Je ne suis pas d’accord avec ce que vous dites, mais je défendrai jusqu’à la mort votre droit de le dire”
(僕は君の意見には反対だ。だがしかし、君がそれを主張する権利は命をかけて守る)
「あなたに『多数決』を使う覚悟はあるか? 経済学者・坂井豊貴の『コンドルセの多数決論』」(WIRED)
→ https://wired.jp/2017/10/22/majority-rule/
理不尽な結果が生まれようとも、それに服従するしかない「多数決」という仕組み。問題の多い仕組みながら、疑問や批判の対象となってこなかったこのテーマに統計学の見地から果敢に切り込んだ人物がかつてフランスにいた。ニコラ・ド・コンドルセ。長らく歴史に埋もれていた数学者にして革命政治家が残した教えに、いま何を学ぶか。『多数決を疑う』『「決め方」の経済学』の著書で知られる経済学者・坂井豊貴が説く。
あなたは多数決を最初に使った日のことを、はたして覚えているだろうか。ぼくは覚えていない。おそらく小学校の学級会だったと思うけれど、最初がいつだったかの記憶はない。いつのまにかそれは集団のなかに刷り込まれ、当たり前に使われて、結果に従うことを求められる。大人になったころにはとっくにそれに慣れきっていて、選挙で多数決が使われることに、いちいち疑問を差し挟んだりはしない。
でも多数決の結果、自分の意見は少数派だったとして、どうして多数派の意見に従わねばならないのだろうか。従わないと罰せられるから従うというのは、結局は暴力に服従することにすぎない。より積極的な理由、多数派の意見に従うべき正当な理由は、いつ、どのような条件のもとで生じるのだろうか。この問いを突き詰めて考えたのが、フランス革命前の時代に『社会契約論』で人民主権論を打ち立てた思想家ルソーと、その思想の実現に多大な情熱をかたむけた数学者の革命政治家コンドルセだ。ここではコンドルセの多数決論に注目しよう。
フォン・ノイマンと、多数決の「正しい使い方」
コンドルセは統計学の知見を駆使して、多数決の「正しい使い方」とでもいうべきものを考察した。これはのちの時代のフォン・ノイマンによる活用例を見るとわかりやすい。
ノイマンは20世紀有数の天才科学者で、彼の多大な学術貢献のひとつに、コンピューターの原理の発案がある。実務家としてのノイマンは、コンピューターの設計において「低性能な電気回路から、高性能なコンピューターをつくる」ことを心がけていた。低性能な電気回路は、本来「A」と信号を送るべきところを、エラーを起こして「not A」と送ってしまう。そうなるとコンピューターは正しく作動しない。だが、電気回路の性能を高めるには多大なコストがかかる。
そこでノイマンは低性能な電気回路をいくつも並列させて使い、多数派の信号を採用するようにコンピューターを設計したのだ。例えば電気回路が3本あって、そのうち2本が「A」、残りの1本が「not A」の信号を発したとき、コンピューターは「A」を採用する。電気回路の多数決を行うのだ。このやり方はもちろん奏功する。低性能とはいえ、3本のうち2本の電気回路が同時にエラーを起こす確率は低いからだ。コンピューターが正しく作動する確率が多数決により大きく高まる。コンドルセが考えたのはそのようなことだ。
さて、これは多数決を安易に礼賛する話ではない。むしろそれは多数決の安易な利用を否定するとともに、正しい使い方を教えるものだ。それが正しく使われるための条件を、3人の有権者が多数決で意思決定する状況を例に考えてみよう。
【ボスがいないこと】
3人のなかに1人「ボス」がいて、ほかの2人はこのボスと同じ投票をするとしよう。このとき表面的には有権者が3人いるが、ボス以外の2人はボスのコピーだから、実質的な有権者はボス1人だけだ。電気回路を1本しか使わないコンピューターと同じで、よくエラーを起こす。これは全員のなかのボスではなく、過半数グループのなかにボスが存在しても同じだ。2人の有権者のうち一方がボスだとすると、そのボス1人の意見が必ず3人のなかでの多数意見となるからだ。
【空気や扇動に流されないこと】
人々がその場のなんとなくの空気や、扇動に流されてはならない。これは電気回路たちが、外部ショックで同じ方向にエラーを起こすようなことだ。やはり多くの電気回路を用いるメリットが出ない。
【情報が正確であること】
有権者がひどく間違った情報をもっていてはならない。これはごく当たり前のことで、「A」と伝えるべき電気回路に、最初から「not A」が入力されていてはならない。こう考えていくと、多数決に求められる有権者の像とは次のようなものだ。ボスはおらず、空気や扇動に流されず、デマ情報に惑わされない。自律して熟慮する個人である。そこで問おう。あなたに多数決を使う覚悟はあるだろうか。
覚悟はなくても使えはするし、よく使われていることは間違いない。そしてこれら3条件はなかなか満たされていない。それぞれに例をあげてみよう。
ボスが存在する例は国会。国会では多数決で法案を採決するが、議席の過半数を占める与党グループのなかには党議拘束がかかっている。ここでは与党グループのリーダーや執行部が、事実上のボスになっている。
流されてしまう例は、プロパガンダが横行する選挙。1933年に行われたドイツ・ワイマール共和国の総選挙では、ヒトラー率いるナチスの連立政権が勝利をおさめた。これにはラジオ放送、街頭の拡声器、街中のポスターといった、大規模な宣伝戦略が大きな役割を果たしたのだった。
不正確な情報が致命的な影響を与えてしまったのは、今年6月に英国で行われたEU離脱の国民投票。EUへの拠出金は莫大である、離脱すると移民の受け入れを制限できる、と喧伝していた独立党のファラージ党首は、国民投票の翌日にそれらの発言は間違いだったとあっさり認めた。51.9パーセント対48.1パーセントという僅差の賛成多数であり、騙された有権者がいなければ、結果は反対多数になっていたのではないか。
こうして多数決の正しい使い方を丁寧に考えていくと、それが決して容易ではないことがわかる。
暴走する多数決と、その防波堤
そもそも多数決で何でも決めてよいわけではない。たとえば「皆で誰かをいじめる案」を多数決にかけるのは不当なことだろう。どれだけ賛成者がいようとも、「特定民族を見世物にする人間動物園」をつくることには道徳上の問題があるだろう。
こうした考えは、人やお金の数の力で人権を侵害してはならないという立場に基づいている。そしてこれを実現する有力な制度のひとつに、憲法がある。憲法で人権保障の防波堤を築いておいて、それに抵触する法律は国会の多数決で制定することはできない。これは立憲主義のストラテジーだ。
コンドルセに話を戻すと、彼はフランス革命より前の時代に、いち早く当時のアメリカの奴隷制度を非難し、また女性の参政権獲得を強く主張していた。彼はフランス革命後の動乱期には、非常に民主的なジロンド派の憲法草案を起草する。だがその草案は実現化しない。
コンドルセは、当時、独裁を敷いていたジャコバン派のロベスピエールと対立してしまったのだ。コンドルセには欠席裁判のもと死刑宣告が下され、彼は逃亡を余儀なくされる。逃亡の直前にコンドルセは、聡明で知られた妻ソフィーに言う。自分は逃亡しながら無実を弁明するものを書くつもりなのだと。ソフィーはそれに対し答える。あなたは自分ではなく人類を弁明すべきなのだと。そうして逃亡生活のさなかコンドルセは、これまでの人類の歩みと、これからの人類の向かうべき先をえがく書物『人間精神進歩史』を書き上げたのであった。その直後に彼は捕縛されて命を落とす。
その後ロベスピエールはクーデターに遭い失脚、国民公会でコンドルセの名誉回復は果たされた。遺著となった『人間精神進歩史』は、ソフィーの意向を受け3,000部が印刷され、各地の公教育機関に配布された。コンドルセは公教育の重要性を説いた先駆者でもあったのだ。
これは18世紀の終わりごろの話だ。そして2016年の現在、嵐のように多数決は吹き荒れている。英国は国民投票でEUからの離脱を決め、米国ではトランプ大統領が誕生するかもしれない。日本では参院選で与党が大勝し、憲法改正をめぐる国民投票が遠からず行われるだろう。
憲法改正の多数決には、立憲主義の防波堤はない。それは防波堤のあり方じたいを変えてしまえるものだからだ。有権者はコンドルセの議論が求めるような、自律して熟慮する個人であることを、引き受けざるをえない。だからやはり、あらためて表題の問いかけに戻ろう。あなたに多数決を使う覚悟はあるだろうか。
[原稿初出は2016年10月11日発売の雑誌『WIRED』日本版VOL.25。]
『2016年04月23日(Sat) なぜ満場一致の意見を信じるべきでないのか?』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20160423
十三夜だもの
「今夜は十三夜 広くお月見日和」(tenki.jp)
→ http://www.tenki.jp/forecaster/diary/rumi_tokuda/2017/11/01/86121.html
十三夜とは?
日本では中秋の名月(今年は10月4日)の後にめぐってくる「十三夜(じゅうさんや)」にお月見をする風習があります。中秋の名月の後なので、「後(のち)の月」とも言われています。
また、十五夜は芋などをお供えすることから「芋名月」と呼ばれるのに対して、十三夜は栗や枝豆を供えることから、「栗名月」「豆名月」とも言われています。
今夜の天気は?
九州から関東にかけては、すっきりと晴れて、お月見日和の所が多いでしょう。東京都内からも綺麗に見えています。北陸から東北、北海道は雲が多いですが、太平洋側ほど雲の隙間から見られる可能性があります。
十三夜ということで、形はまん丸ではありませんが、秋の夜長、お月見してみてはいかがでしょうか?
タルホ。
さあ皆さん どうぞこちらへ! いろんなタバコが取り揃えてあります どれからなりとおためし下さい
『月夜のプロージット』
時計が十一時を打った時 おとぎばなしの本をよんでいた男が 思い出したように立ち上がって 窓を開けた そしてそこに青い光がいっぱい降っているのを見ると半身をつき出しながらどなった
「おいやろうぜ」
すると隣の窓から返事がした
「OK!」
やがて青い電気に照らされた舞台のように青いバルコニーに 円テーブルが持ち出された 二つの影がそのまわりに立って 互いに差し上げた片手の先でカチッと音をさせた
A votre santé!
双方のグラスには いつのまにか水のようなものがはいっていた それを一息に呑むと 一方が云った
「だんだんうまくなるじゃないか」
他方が答えた
「そうさ 十三夜だもの」
ではグッドナイト! お寝みなさい 今晩のあなたの夢はきっといつもと違うでしょう
『一千一秒物語』(松岡正剛の千夜千冊) http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0879.html
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死にたいと思う心は不変なのか
「【正論】死にたいと思う心と日進月歩の技術…「変わりやすさ」無視した欧米の安楽死論 京都大学名誉教授・加藤尚武」(産経新聞)
→ http://www.sankei.com/column/news/171030/clm1710300005-n1.html
≪疑問を抱く試験の「模範解答」≫
アメリカの医師国家試験の模擬試験問題に、医師による自殺幇助(ほうじょ)の実例が出ているそうだ。33歳の女性ボクサーが、首から下は完全マヒになり、人工呼吸器が取り付けられたが、医師に外してほしいという明確な意思表示をした。どうすべきか。
模範解答は「患者の要求に従って人工呼吸器を取り外す」というものだそうだ。
私がもしも同じ出題をしたら、別の模範解答を用意するだろう。
第1に、彼女は首から下が完全マヒになって、ショックを受けているだろう。プロボクサーだったとすると生活の見通しも立たないかもしれない。気持ちが落ち着き、生活の仕方が定まれば、別の意思決定をする可能性がある。
第2に、33歳の女性はその状態で5年生存する可能性がある。その5年以内に、新しい何らかの治療法が開発される可能性がある。
第3に、その状態が長く続く場合でも、彼女がボクシングの安全性について提言するとか、自叙伝を執筆するとか、別の生きがいを見いだす可能性がある。治療方法の開発に協力することが新しい生きがいになるというのが、最もありそうな可能性である。
人工呼吸器を外せば彼女の命は永久に失われる。「あのとき人工呼吸器を外さなければよかった」と後悔する可能性があるかどうかを十分に考えるべきである。これが私の用意する模範解答である。
≪オランダの免責要件は十分か≫
医師による安楽死を法律で認めているオランダでは、医師が死の責任を負わされない条件として「注意深さの6要件」が定められている。(1)患者の意思の自発性(2)苦痛が耐えがたい(3)患者に十分な説明(4)代替案がないことの確認(5)セカンドオピニオンの聴取(6)慎重な方法-。その中に、患者の意思が変わらないかどうか、新しい治療方法の開発を待った方がいいのではないか、という項目がない。
日本には安楽死に関する法律がないが、宗教上の理由で輸血を拒否した患者に輸血を行った医師が罰金刑に付されたという判例がある。その患者さん(68歳の女性)は、長年にわたってある宗教の信者としての生活を維持してきていて、その意思が変わらないことが、十分予測できた。
またその患者さんには手術が不可欠だったが、手術をすればかなりの程度の出血が避けられない。この患者さんは、この手術のあと間もなく亡くなっているので、内視鏡の手術が普及するまでなんとか生き延びるという可能性はなかったと思う。
オランダでは、安楽死の事例について、事後に適否を調査する活動も行われている。耳鳴りの苦痛を避けるために安楽死した女性の事例について「精神治療の可能性を追求すべきだった」という評価が出ている。
第1に苦痛に耐えて耳鳴りの治療をする、第2に聴覚を全て失っても生きることはできるという2つの選択肢を考えると、第1の選択肢は患者が拒否しているが、第2の選択肢について患者に説明したのかどうかが問題になる。取り返しのつかない措置をしたことへの後悔が成り立つ可能性がある。
≪死にたいと思う心は不変なのか≫
私は、心は変わりやすいと思う。ひたすらに死にたいと思う心でも変わりうる。「当人が安楽死を明確に要求しないかぎり安楽死は正当化されない」という自発性の尊重が、安楽死の安全基準とみなされている。
この基準を言い換えると「非自発的な安楽死は認められない」となる。「明確な意思表示がないと安楽死は許されない」という意味だが、これも極限的な場合には具合の悪いことになる。
私の精神が衰えたり、混乱したりして「たとえ死に近づく結果になるとしても、痛み止めの措置を施してほしい」という意思表示ができなくなるかもしれない。
そのとき意思表示がないという理由で、激痛にさらされるのは避けたい。前もって意思表示をしておけば、それが法律的に効力をもつだろうが、私が誤って「以前の意思表示は撤回します」と言ってしまうことだってありうる。私の心がどれほどひどく混乱するかの予測もできない。
結局、私の本当の気持ちをくみ取ってくれる人に私の最後のみとりをお任せする以外に方法はない。「非自発的な安楽死は認めない」という原則を、私に厳格に適用しないでもらいたい。私の心の混乱の程度を見極めて、苦しみを取り去ることを優先してほしい。
欧米の安楽死論をみていると、心は変わりやすい、医療技術は日進月歩であるという2つの変わりやすさを無視しているように見える。法律上の責任免除の形式を守ろうとすれば、文書で書くことになるが、文書は「変わらぬ状況下で、変わらぬ意思を表明する」という形を避けられない。
文書には書ききれないような状況の変化が実際に起こる。欧米では法律上の責任免除の形式に、実質的な状況判断が引きずられてしまっているのではないだろうか。(京都大学名誉教授・加藤尚武 かとうひさたけ)
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アンゴ先生、かく語りき。
死ぬ、とか、自殺、とか、くだらぬことだ。負けたから、死ぬのである。勝てば、死にはせぬ。死の勝利、そんなバカな論理を信じるのは、オタスケじいさんの虫きりを信じるよりも阿呆らしい。
人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。名声だの、芸術は長し、バカバカしい。私は、ユーレイはキライだよ。死んでも、生きてるなんて、そんなユーレイはキライだよ。
生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。
死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。
然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。
勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。
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一日一言「かしこき聖旨」
十月三十日 かしこき聖旨
明治二十三年の今日は、教育勅語が発布された日である。学校を出てしまえば、勅語を聞く機会も少なくなるが、老いも若きも、男も女も国民はときどきこの趣旨を心にとどめて実行したいものである。
父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信ジ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ボシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進デ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重ジ国法ニ遵ヒ
“かしこき聖旨”
『教育ニ関スル勅語』、いわゆる『教育勅語』。
道徳の押し付けだの、思想教育だのと、“何事をも悪い方へ悪い方へ解釈”したがるような御人も多いが、「敗戦のあげくが、軍の積悪があばかれるのは当然として、戦争にからまる何事をも悪い方へ悪い方へと解釈するのは決して健全なことではない。」(坂口安吾)
勅語には人類普遍の真理、12の徳目が書いてある。
- 父母ニ孝ニ(【孝行】-親に孝養を尽くしましょう)
- 兄弟ニ友ニ(【友愛】-兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
- 夫婦相和シ(【夫婦の和】-夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
- 朋友相信ジ(【朋友の信】-友だちはお互いに信じ合いましょう)
- 恭倹己レヲ持シ(【謙遜】-自分の言動を慎みましょう)
- 博愛衆ニ及ボシ(【博愛】-広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
- 学ヲ修メ業ヲ習ヒ(【修業習学】-勉学に励み職業を身につけましょう)
- 以テ智能ヲ啓発シ(【知能啓発】-知識を養い才能を伸ばしましょう)
- 徳器ヲ成就シ(【徳器成就】-人格の向上につとめましょう)
- 進デ公益ヲ広メ世務ヲ開キ(【公益世務】-広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
- 常ニ国憲ヲ重ジ国法ニ遵ヒ(【遵法】-法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう)
- 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ(【義勇】-国に危機があったなら正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう)
『教育勅語』(明治神宮) http://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.html
『教育勅語を書いてみましょう』(明治神宮) http://www.meijijingu.or.jp/kyouikuchokugo/pc/
『教育勅語 特集ページ』(北海道神社庁) http://www.hokkaidojinjacho.jp/top.html
『教育勅語 原文PDF』(北海道神社庁)http://www.hokkaidojinjacho.jp/kchokugo.pdf (PDF)
そもそも教育勅語は、その徳目を誰かが新しく考え出したものではなく、昔から日本人の道徳規範であったものを、あらためて勅語の形にまとめたものであるから、これに違和感を持つ日本人はおらず、大いに歓迎されて、親も子供に暗記させていたのであった。それは憲法の方がよそよそしく、一般の人々には関係ないものと考えられていたのとは対照的であったといえよう。それがなくなるということは、日本人の意識から徳目がなくなるということに連なるのだ。
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『読書の今昔』
「【主張】街の書店 『伴侶』に出会う季節です」(産経新聞)
→ http://www.sankei.com/column/news/171029/clm1710290002-n1.html
あの「わくわく感」が遠のいていくのかと思うと、やはり残念だ。
日本きっての古書店街、東京の神田神保町では今、読書週間に合わせて恒例の「古本まつり」(11月5日まで)が開かれており、未知の本との思わぬ出会いを求める人らでにぎわっている。
古書、新刊の別を問わず、書籍とのわくわくするような出会いは書店をふらりとのぞく醍醐味(だいごみ)でもある。だが書店の減少に一向に歯止めがかからない。
日本出版インフラセンターによると、今年3月時点の全国の書店数は約1万4千店で、この10年で2割以上も減っている。
国民の活字離れや雑誌の販売不振、郊外型大型店の進出、ネット購入や電子書籍の市場拡大などが中小書店の経営を圧迫し、撤退を余儀なくしているのだろう。
ネット購入や電子書籍にも多くの利点があり、それらを活用して読書にいそしむのは大いに結構なことではある。その一方で、目当ての本を探すだけでなく書棚のあちこちに目を遊ばせるのを至福の時間としてきた世代には、街の本屋さんが次々と姿を消していく現状は寂しい限りである。
科学者の寺田寅彦は随筆「読書の今昔」に「のんきに書店の棚を見てあるくうちに時々気まぐれに手を延ばして引っぱりだす書物が偶然にもその人にとって最も必要な本であるというようなことになるのではないか」と書いた。
文化勲章受章者のドナルド・キーンさんは、まさしくその例であろうか。キーンさんが日本文学の研究を志すきっかけとなったのは、18歳のときにニューヨークの書店でたまたま、値段の安いのにひかれて英訳の『源氏物語』を買ったことだったという。
今年の読書週間の標語は「本に恋する季節です!」だ。本が恋人だとすれば、書店は恋人との、それもキーンさんのように一生の伴侶となるかもしれない恋人との、出会いをとりもってくれる仲人といっても過言ではない。
子供にとっても街の本屋さんは、本がごく身近に感じられる貴重な場である。絵本や童話などを手に取ったときの弾むような気持ちを、今なお幼時の思い出として忘れられない人も多いだろう。
読書の習慣とはそんな経験を通して育まれるものに違いない。街の書店が地域の文化向上に果たす役割は決して小さくない。
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忘れた頃にやってくる寅彦先生。
ある天才生物学者があった。山を歩いていてすべってころんで尻しりもちをついた拍子に、一握りの草をつかんだと思ったら、その草はいまだかつて知られざる新種であった。そういう事がたびたびあったというのである。読書の上手じょうずな人にもどうもこれに類した不思議なことがありそうに思われる。のんきに書店の棚たなを見てあるくうちに時々気まぐれに手を延ばして引っぱりだす書物が偶然にもその人にとって最も必要な本であるというようなことになるのではないか。そういうぐあいに行けるものならさぞ都合がいいであろう。
一冊の書物を読むにしても、ページをパラパラと繰るうちに、自分の緊要なことだけがページから飛び出して目の中へ飛び込んでくれたら、いっそう都合がいいであろう。これはあまりに虫のよすぎる注文であるが、ある度までは練習によってそれに似たことはできるもののようである。
── 寺田寅彦(『読書の今昔』)
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