NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

マスコミが外部から検証・批判される時代性

今日の『産経抄』より。

「【産経抄】読書週間に朝日新聞の報道のあり方を問う2冊 マスコミが外部から検証・批判される時代性」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/171028/clm1710280003-n1.html

 27日から恒例の読書週間が始まった。同日付小紙朝刊の2、3面では、これに合わせて16冊の書籍が写真入りで紹介されていた。さてどんな種類の本かと眺めると、うち2冊が朝日新聞の報道のあり方を問うたものだった。ある意味で、大変な人気者である。

 タイトルはそれぞれ刺激的だ。一つは『朝日新聞がなくなる日 “反権力ごっこ”とフェイクニュース』(ワニブックス)で、もう一つは『徹底検証「森友・加計事件」 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(飛鳥新社)である。マスコミが外部から検証・批判される時代性を表している。

 特に、後者の「はじめに」の書きだしは印象的だ。「安倍晋三は『報道犯罪』の被害者である。(中略)森友学園、加計(かけ)学園問題は、いずれも安倍とは何ら全く関係のない事案だった」。正否の判断は読者に委ねるが、報道とは何だろうかと考えさせられる。

 事実を伝えることが第一であるべき報道が、政治目的を達成するためへとすり替わってはいないか。始めたキャンペーンが空疎なものだと分かっても、惰性で続けてはいないか。好き嫌いで正邪善悪を決め付けてはいないか。小紙も含め、マスコミに反省すべき点は数多い。

 一方、27日付朝日朝刊を開くと「首相、『森友・加計』は沈黙」という記事が目に飛び込んできた。安倍首相が衆院選街頭演説でモリカケに言及しなかったことが不服らしいが、そんな自分たちの報道姿勢に厳しい視線が向けられている自覚はないようである。

 マスコミで主流の意見、論調とインターネット上で「常識」とされている見解の乖離(かいり)が気になる。一部の新聞、テレビが増幅するマスコミ不信の大波に、小紙まで巻き込まれるのは御免被りたいのだが。

『加計問題で重要証言「黙殺」、朝日新聞はなぜネットで嫌われるのか』(ダイヤモンド・オンライン) http://diamond.jp/articles/-/135110

朝日新聞がなくなる日 - “反権力ごっこ

朝日新聞がなくなる日 - “反権力ごっこ"とフェイクニュース -

朝日新聞と私の40年戦争

朝日新聞と私の40年戦争


翁に曰く、

 朝日新聞はながく共産主義国の第五列に似た存在だった。第五列というのは国内にありながら敵勢力の味方をするものである。それなら朝日新聞はわが国の社会主義化を望むかというとそんなことは全くない。資本主義の権化である。朝日は昭和天皇を常に天皇と呼び捨てにしていたのに、逝去の日が近づくと陛下と書きだした。ついには崩御と書いた。最大級の敬語である。読売が崩御と書いてひとり朝日が書かないと読者を失うかと恐れたいきさつはいつぞや書いた。
 朝日の売物は昔から良心(的)と正義である。こんなことでだまされてはいけないとむかし私は「豆朝日新聞」の創刊を思いたった。

── 山本夏彦(『「豆朝日新聞」始末』)

「豆朝日新聞」始末 (文春文庫)

「豆朝日新聞」始末 (文春文庫)

立志は特異を尚ぶ

 思想とは本来、人間が考えだした最大の虚構──大うそ──であろう。松陰は思想家であった。かれはかれ自身の頭から、蚕が糸をはきだすように日本国家論という奇妙な虚構をつくりだし、その虚構を理論化し、それを結晶体のようにきらきらと完成させ、かれ自身もその「虚構」のために死に、死ぬことによって自分自身の虚構を後世にむかって実在化させた。これほどの思想家は日本歴史のなかで二人としていない。

── 司馬遼太郎(『世に棲む日日』)


安政6年(1859)10月27日 吉田松陰 没。

立志尚特異

俗流與議難

不思身後業

且偸目前安

百年一瞬耳

君子勿素餐

── 吉田松陰

  • 立志は特異を尚(たっと)ぶ ── 志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない
  • 俗流は与(とも)に議し難し ── 世俗の意見に惑わされてもいけない
  • 身後(しんご)の業を思はず ── 死んだ後の業苦を思い煩うな
  • 且つ目前の安きを偸(ぬ)すむ ── 目先の安楽は一時しのぎと知れ
  • 百年は一瞬のみ ── 百年の時は一瞬にすぎない
  • 君子素餐(そさん)するなかれ ── 君子なれば現状に甘んじてはならない

 彼は多くの企謀を有し、一の成功あらざりき。彼の歴史は蹉跌の歴史なり。彼の一代は失敗の一代なり。然りといえども彼は維新革命における、一箇の革命的急先鋒なり。もし維新革命にして云うべくんば、彼もまた伝えざるべからず。彼はあたかも難産したる母の如し。自ら死せりといえども、その赤児は成育せり、長大となれり。彼れ豈(あ)に伝うべからざらんや。

── 徳富蘇峰(『吉田松陰』)


吉田松陰』(Wikipedia) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0
松下村塾』(Wikipedia) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E6%9D%91%E5%A1%BE

吉田松陰 (岩波文庫)

吉田松陰 (岩波文庫)

講孟余話 ほか (中公クラシックス)

講孟余話 ほか (中公クラシックス)

吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫)

吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫)

一日一言「人生の新陳代謝」

十月二十六日 人生の新陳代謝


 いつも正しくきちんとして進んでいくものは、年令である。これだけは若い者が年寄りおを追いこすことはできない。そのほかのことでも不変のものばかりとは言えない。昨日まで身分の高い役人であっても、今日になれば、その職をやめさせられ、後輩に先をこされ、その道の達人の腕もいつかはにぶって、弟子のほうがすぐれていると評判になる。立派な心もいったん乱れると理想の人間でも天から落ちる。


 末の露もとの雫や世の中の
   おくれ先だつためしなるらん

── 新渡戸稲造(『一日一言』)


どんな気分だい?
転がり落ちる石ころみたいね。

Once upon a time you dressed so fine
Threw the bums a dime in your prime, didn't you?
People call say 'beware doll, you're bound to fall'
You thought they were all kidding you
You used to laugh about
Everybody that was hanging out
Now you don't talk so loud
Now you don't seem so proud
About having to be scrounging your next meal


How does it feel, how does it feel?
To be without a home
Like a complete unknown, like a rolling stone


Ahh you've gone to the finest schools, alright Miss Lonely
But you know you only used to get juiced in it
Nobody's ever taught you how to live out on the street
And now you're gonna have to get used to it
You say you never compromise
With the mystery tramp, but now you realize
He's not selling any alibis
As you stare into the vacuum of his eyes
And say do you want to make a deal?


How does it feel, how does it feel?
To be on your own, with no direction home
A complete unknown, like a rolling stone


Ah you never turned around to see the frowns
On the jugglers and the clowns when they all did tricks for you
You never understood that it ain't no good
You shouldn't let other people get your kicks for you
You used to ride on a chrome horse with your diplomat
Who carried on his shoulder a Siamese cat
Ain't it hard when you discovered that
He really wasn't where it's at
After he took from you everything he could steal


How does it feel, how does it feel?
To have on your own, with no direction home
Like a complete unknown, like a rolling stone


Ahh princess on a steeple and all the pretty people
They're all drinking, thinking that they've got it made
Exchanging all precious gifts
But you better take your diamond ring, you better pawn it babe
You used to be so amused
At Napoleon in rags and the language that he used
Go to him he calls you, you can't refuse
When you ain't got nothing, you got nothing to lose
You're invisible now, you've got no secrets to conceal


How does it feel, ah how does it feel?
To be on your own, with no direction home
Like a complete unknown, like a rolling stone

── BOB DYLAN "Like A Rolling Stone"


リアル・ロイヤル・アルバート・ホール

リアル・ロイヤル・アルバート・ホール

多留保

 私は、私を動かしているものを信じている。けれども、我をして世に勝たしめ給えなど云って、そのものに祈願している訳ではない。何故なら、私が若(もし)そんなお祈りをやったら、同様な事を願っている人が彼方にも此方にもある筈だから、修羅道の火焰は此所に拍車を加えて燃え上がり、何時果つべしとも知れぬ仕末が、更に先方へ延長される様な気がするからだ。これはどう考えても、理性を有(も)った者のやる事ではない。そんなら何事を念じたらよかろうか。それは私には判らない。観音様にでも尋ねる他あるまい。然し、恐らく観音様は、モナリザみたいな笑いを浮かべる丈(だけ)で答えては呉(く)れまい。

── 稲垣足穂『意思と世界』星の都

昭和52年(1977)10月25日 稲垣足穂 没

 さあ皆さん どうぞこちらへ! いろんなタバコが取り揃えてあります どれからなりとおためし下さい

『月光密造者』
 ある夜 明けがたに近い頃 露台の方で人声がするので 鍵穴からのぞくと 黒い影が二つ三つなにか機械を廻していた──近頃ロンドンで発明されたある秘密な仕掛けによって 深夜月の高く昇った刻限に 人家の露台で月の光で酒を醸造する連中があるという新聞記事に気がついた 自働ピストルを鍵穴に当ててドドドドド・・・と射った 露台の下の屋根や路上にあたってガラスの割れる音がした
 扉を開けてとび出そうとすると 入れかわりに風のようなものが流れこんできて 自分を吹き倒した 気がついて露台に出てみると たれもいなくなっていた びんが一つ屋根の端に止っていたので ひろってきてすかしてみると 水のようなものがはいっていた 振っていたらコルクがひとりでにぬけた ギボン! 静かな夜気にひびくと びんの口からおびただしい蒸気が立ち昇って 見る見る月の光にとけてしまった・・・
 自分はびんの中に何もなくなってしまうまで見つめていたが それッきりであった ただ月が平常よりほんの少うし青かった

『星を食べた話』
 ある晩露台に白ッぽいものが落ちていた 口へ入れると 冷たくてカルシュームみたいな味がした
 何だろうと考えていると だしぬけに街上へ突き落とされた とたん 口の中から星のようなものがとび出して 尾をひいて屋根のむこうへみえなくなってしまった
 自分が敷石の上に起きた時 黄いろい窓が月下にカラカラとあざ笑っていた

『星でパンをこしらえた話』
 夜更けの街の上に星がきれいであった たれもいなかったので 塀の上から星を三つ取った するとうしろに足音がする ふり向くとお月さまが立っていた
 「おまえはいま何をした?」
 とお月様が云った
 逃げようとするうちに お月様は自分の胸をつかんだ そしていやおうなしに暗い小路にひッぱりこんで さんざんにぶん殴った そのあげくに捨てセリフを残して行きかけたので 自分はその方へ煉瓦を投げつけた アッと云って敷石の上へ倒れる音がした 家へ帰ってポケットの中をしらべると 星はこなごなにくだけていた Aという人がその粉をたねにして 翌日パンを三つこしらえた

土星が三つ出来た話』
 街かどのバーへ土星が飲みにくるというので しらべてみたらただの人間であった その人間がどうして土星になったかというと 話に輪をかける癖があるからだと そんなことに輪をかけて 土星がくるなんて云った男のほうが土星だと云ったら そんなつまらない話に輪をかけて しゃれたつもりの君こそ土星だと云われた

 『A MOONSHINE』

 Aが竹竿の先に針金の環を取り付けた
 何をするのかとたずねると 三日月を取るんだって
 ぼくは笑っていたが きみ おどろくじゃないか その竿の先に三日月がひッかかってきたものだ
 さあ取れたと云いながら Aは三日月をつまみかけたが 熱ツッと床の上へ落としてしまった すまないがそこのコップを取ってくれって云うから 渡すと その中へサイダーをいれたのさ
 どうするつもりだって問うと ここへ入れるんだって そんなことしたらお月様は死んでしまうよと云ったが なあに構うものかと鉛筆で三日月を挟んで コップの中へほうりこんだ
 シャブン! ってね へんな紫色の煙がモヤモヤと立ち昇った それがAの鼻の孔へはいったもんだ 奴(やっこ)さんハクション! とやる つづいてぼくもハクション! そこで二人とも気が遠くなってしまった
 気がつくときみ 時計は十二時を廻っている それにおどろいたのは三日月のやはり窓のむこうで揺れていたことだ
 Aは時計の針と三日月とを見くらべてしきりに首をふっていたが ふとテーブルの上のコップに気づいて顔色を変えた コップの中には何もなくなっているのだ 只サイダーが少し黄色くなっていたかな Aはコップを電燈の下ですかしながら見つめていたが やにわに口のそばへ持って行った
 止(よ)せ! 毒だよとぼくは注意したが 奴さんは構うもんかと云って その残りのサイダーをグーと飲んじまった きみそれからだよAがあんなぐあいになっちまったのはね
 でもそれからぼくは いくら考えても判らないものだからS氏のところへ行って 話したんだ
 デスクの前でS氏は ホウホウと云って聞いていたが
 まさかと云うから ぼくは
 いや現に眼の前に見たことですよって云うと S氏は フンそれでその晩のお月様は照っていたかいって聞くんだ ぼくは
 そりゃすてきな月夜で そこらじゅう真青でしたと云うと
 S氏はシガーの煙を環に吐いて
 ムーンサンシャインさ! って笑い出したのさ
 いったい話はどうなっているんだって云うのかね? そうさ それが今日に至るまでも判然としないものだから きみにきいてみようと思っていたのだよ

 ではグッドナイト! お寝(やす)みなさい 今晩のあなたの夢はきっといつもとは違うでしょう

── 稲垣足穂『一千一秒物語』

稲垣足穂のおすすめ作品5選!三島由紀夫から尊敬された作家』(honcierge) https://honcierge.jp/articles/shelf_story/2150
『タルホ、多留保、TAROUPHO。ブックデザイナーたちも愛した稲垣足穂の世界』(nostos books) https://nostos.jp/archives/126918
一千一秒物語』(松岡正剛の千夜千冊) http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0879.html


一千一秒物語

一千一秒物語

一日一言「人の恩」

十月二十四日 人の恩


 忘れがちなのは、人から受けた恩である。自分が人のためにしたことは、少しであっても大きなものと思いがちである。人が自分のためにしたことは大きなものであっても、小さなものとしか思わないから、他人の薄情なことをうらんで、自分の薄情なことに気がつかないのだ。すべて心掛けしだいである。


   世の中に人の恩をば恩として
      我がする恩は恩と思ふな

── 新渡戸稲造(『一日一言』)

かけた恩は忘るべし。
受けた恩は忘るべからず。


夏彦翁

明暗を分けた選挙も終わり、それぞれ言い分もあるようですが...。


「女に参政権はいらない」


「無論、男にも」


と、喝破したのは辛口コラムニスト山本夏彦である。(辛口?曰く「よせやい、カレーじゃあるまいし」)
我々は尊敬と親しみを込めて”翁”と呼ぶ。

 女に参政権はいらないと言えば、さぞかしお怒りだろうが待ってくれ、男にもいらない。制限選挙でたくさんだ。
 ガリバー旅行記スイフトは、女は男をたぶらかすのが仕事だといえば語弊があるなら、魅してとりこにするのが仕事で、ほかの事など念頭にない。フランス婦人も第二次大戦後選挙権を貰ってくれと言われたのに断った。まあそう仰有らずにと再三言われてしぶしぶ貰った。
 お忘れだろうが昔は直接国税十五円納めなければ選挙権はなかった。制限選挙である。税と関係なく選挙権は万人にあるべきだと大正デモクラシーは執拗に主張して、大正十四年ようやく普通選挙は通った。ただし男だけで女のことはきれいに忘れていた。文句を言う女は市川房枝くらいで、あれは女の仲間ではないと、ほかでもない女が思ってた。
 制限選挙なら選挙民は三十万人だったのに普選になったら千二百五十万人にふえた(大正十四年)。その結果どうなったか。選挙民が二倍になれば饗宴、買収、選挙の腐敗は二倍はおろか五倍十倍になる。女の選挙権はアメリカの占領軍がくれたのである。棚からぼた餅で、女はもらい物が大好きである。
 女は投票したか否かを問うて票の中身を問わない。小学生の昔から棄権は罪のように教えられたからだ。朝日新聞は進歩的ふりをして「日教組」を手なずけた。その甲斐あってまにうけて進歩的になった生徒に今度は社説を読ませ、「天声人語」を写させた。
 高校生には大学の入試問題は朝日から出るぞと言いふらした。投票すれば社会党に一票を投ずるにきまっていると思うのはフシギだが、選挙は人を盲目にする。投票さえしてくれればわが党にと思って子供たちに吹きこんだのである。それが習い性となったのが世の妻君連である。亭主が推す候補者に同じく一票を投ずれば二倍になるだけである。進歩的婦人は亭主には従わなくても組合の推す候補に投票すれば、これまた二倍になるだけである。人数が二倍になればこのていたらくだとはすでに述べた。
 制限選挙で投票者がかりに五百万に減ればそれは人類の縮図である。悪玉もいれば善玉もいる、人殺しもいれば偽善者も稀に君子人もいる。もし貧乏人代表がいないと言うならどしどしいれるがいい。制限選挙でたくさんである。

── 山本夏彦(『死ぬの大好き』)


今日は夏彦翁の命日。(平成14年(2002年)10月23日)

巨大なジャーナリズムを敵にまわし、“大”朝日新聞を相手に“豆”朝日新聞で独り徹底抗戦の大立ち回り。
安直な“正義”(曰く“茶の間の正義”)を嫌い、“偽善”と戦い続けた、稀代の名コラムニスト。


夏彦翁のことば、厳選(出来なかった)五十。
何用あって月世界へ』より抜粋。

  • テレビは巨大なジャーナリズムで、それには当然モラルがある。私はそれを「茶の間の正義」と呼んでいる。眉ツバものの、うさん臭い正義のことである。
  • 俗に金のためなら何でもする、犬のまねしてワンと吠えよ命じられればワンと吠えると言うが、これはそれほど人は金を欲しがるというたとえ話で、いかにも人は金を欲するがそれ以上に正義を欲する。
  • 理解をさまたげるものの一つに、正義がある。良いことをしている自覚のある人は、他人もすこしは手伝ってくれてもいいと思いがちである。だから、手伝えないと言われるとむっとする。むっとしたら、もうあとの言葉は耳にはいらない。
  • 私は衣食に窮したら、何を売っても許されると思うものである。女なら淫売しても許される。ただ、正義と良心だけは売物にしてはいけないと思うのである。
  • 汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす。
  • 正義はソンでもソンのほうをとってはじめて正義であることがある。
  • 衣食足りると偽善を欲する。
  • 私は、正直者は馬鹿をみるという言葉がきらいである。ほんとんど憎んでいる。まるで自分は正直そのものだと言わぬばかりである。この言葉には、自分は被害者で潔白だという響きがある。悪は自己の外部にあって、内部にはないという自信がある。
  • 善良というものは、たまらぬものだ。危険なものだ。殺せといえば、殺すものだ。
  • 主婦のなかの最も若く最も未熟なものを、警察官にするとどうなるか。正義の権化になる。権化になって何が悪いのかというだろうが悪いのである。
  • それは美容上の問題である。「主婦連」や「地婦連」は怒るのが商売だから仕様がないが、並みの主婦がそのまねをしてはいけない。回らぬ舌でまねをすると、顔つきまで似てくる。折角の器量が台なしになる。まして折角でない器量は、さらに台なしになる。そしてこの世は折角でないものの方が折角より多いとすれば、日本中台なしになる。
  • その顔を鏡にうつして見てごらん。口は鼻よりさきに出ている。耳までさけている。むかしは恋したときもあったろうに、その顔はどこへ去ったのかと思わないのかしらん。
  • 権利と義務の両方を覚えさせたければ、権利を一回教えたら、義務を三回教えなければ、もともとおぼえたくないのだから、おぼえない。両方平等に教えたらいいと思うなら、人情の機微を知らないと評されても仕方がない。
  • 私は「暮しの手帖」をほめたことがある。ひと口に雑誌の性格というが、その性格は、誌面にあるものからばかり成っているのではない。むしろ、ないものから成っている。たとえば、この雑誌には、流行作家の小説がない。芸能人のスキャンダルがない。政治に関する議論がない。身上相談、性生活の告白のたぐいがない。さながら、ないないづくしである。けれども、以上は偶然ないのではない。ほかの雑誌にあるものを、わざと去って、それによって、この雑誌の性格は顕著なのである。だから、あるものばかりでなく、ないものを見よとほめたのである。
  • 私はすべて巨大なもの、えらそうなものなら疑う。疑わしいところがなければ巨大になれる道理がないからである。大デパート、大会社、大新聞社は図体が大きい。よいことばかりして、あんなに大きくなれるはずがない。総評や日教組は組織が大きい。もっと大きいのは世論で、これを疑うのは現代のタブーである。だから私は疑う。世論に従うのを当然とする俗論を読むと、私はしばしば逆上する。
  • 新聞はいつでも、だましたほうを悪玉にして、だまされたほうを善玉にする傾向があります。だから、だまされたほうは、はげまされたような気分になるでしょうが、なにだまされたほうは欲ばりかバカだと私は思っています。
  • 実を言うと新聞の『天声人語』、『余禄』のたぐいは現代の修身なのである。あれには書いた当人が決して実行しない、またするつもりもない立派なことばかり書いてある。
  • 人は言論の是非より、それを言う人数の多寡に左右される。
  • してみれば言論の自由とは、大ぜいと同じことを言う自由である。大ぜいが罵るとき、共に罵る自由、罵らないものをうながして罵る自由、うながしてもきかなければ、きかないものを村八分にする自由である。
  • 言論の自由は大ぜいと同じことを言う自由であり、大ぜいと共に罵る自由であり、罵らないものを「村八分」にする自由である、これが言論の自由なら、これまでもあったしこれからもあるだろう。
  • 食いものの恨みは忘れ、旗(国旗)や歌(国歌)の恨みだけおぼえているのは不自然だというより、うそである。
  • この世の中は、九割以上習慣で動いている。そして、それでいいのである。習慣にはそれぞれ意味がある。けれども、なぜと聞かれても困る。
  • 白髪は知恵のしるしではない。
  • 身辺清潔の人は、何事もしない人である。出来ない人である。
  • 大きな声では言えないが、私は袖の下またはワイロに近いものは必要だと思っている。世間の潤滑油だと思っている。人は潔白であることを余儀なくされると意地悪になる。また正義漢になる。
  • 世はいかさまというのはこの世はいかさまから成っているということで、商才とか企画とか言えば聞こえはいいが、なにいかさまのことである。いかさまの才がなければ社員は出世できないし、またその社はつぶれる。
  • 芸(術)はしばしば毒をふくむ。毒ならば気がつかぬように盛らなければならない。
  • 「愛する」という言葉を平気で口に出して言えるのは鈍感だからだ。
  • 愛するが日本語になるには、まだ百年や二百年はかかる。
  • 今はにせの恋の時代である。にせの恋を本ものと信じ、にせの抱擁を繰返して、やがて死にいたる。人はついに、にせの恋を恋し、にせの死を死ぬことしか許されぬのであるか。
  • 人が足りる思いをするのは、他と区別して多い場合である。
  • 古人は言論を売らなかった。今人は売る。
  • 親切というものはむずかしいという自覚を、親切な人は忘れがちである 。
  • 子供は大人がみくびるほど鈍くはない。彼らは大人が何を欲するか知っている。
  • 古いしつけは親たちが滅ぼした。新しいしつけは親たちが邪魔して育たない。
  • 先生が子供たちに意見を言わせ、それをディスカッションと称して聞くふりをするのは悪い冗談である。意見というものは、ひと通りの経験と常識と才能の上に生じるもので、それらがほとんど子供には生じない。
  • 世の中には自分で経験しなければ会得できないことが山ほどある。親はすでにそれを経験しているから、子を危ぶんで一々指図したがる。気の利いた子供なら親の言うことなんか聞かないからいいが、唯々諾々と聞くようだと子供はいつまでも一人前はなれない。親がじゃまして子に経験させないからである。
  • 子供たちは互いにおうむ返しだと知りながら、自分の言葉としょうして発言する。それなら大人と同じである。
  • 親は子の口まねをしないことをすすめる。これだけで日本語は改まる。親というものは、子供がこの世で出あう最初の教師である。箸のあげおろしから、基礎的な言葉まで、子が親のまねをするのが順序である。
  • ねずみ講」は日本中の善男善女をだました、許せないと新聞がいうと、テレビも同じくいう。だまされたのは欲ばったからで、馬鹿だったからだというなら分るが、善人だったからだという。
  • 知らないことには二種ある。全く知らないことと、よく知らないことの二種である。人は全く知らないことでさえ、知ったかぶりして教えようとする。すこし知ることなら得意になってなお教えようとする。
  • 事実があるから報道があるのではない。報道があるから事実があるのである。
  • 大ぜいが異口同音にいうことなら信じなくてもいいことだ。
  • 「つて」はいまの「コネ」で、コネは一生を左右しますから、戦前は「縁」と言って大事にしました。
  • 本というものは、晩めしの献立と同じで、読んで消化してしまえばいいものである。記憶するには及ばないものである。何もかも記憶しようとするのは欲張りである。忘れまいとするのはケチである。
  • 本はあんなにあふれているが、本当はあふれてはいない。ただ棚をふさいで、見るべき本の邪魔をしているのである。
  • 私はなるべく「世間」または「世の中」と言って「社会」と言わない。「白状」と言って「告白」と言わない。「五割」または「半分」と言って、「五〇パーセント」と言わない。そのほうが耳で聞いても、目で見ても分かりやすいからである。
  • 私は断言する。新聞はこの次の一大事の時にも国をあやまるだろう。
  • まじめ人間はまじめくさるからいけないのである。今も昔も私たちに欠けているのは笑いである。
  • 八百長は必ずしも悪事ではない。この世はもっと本式の悪事に満ちたところである。それを知って悪に染まないのと、知らないで染まないのとでは相違する。いうまでもなく、知ってそれをしないのがモラルである。

誰か「戦前」を知らないか―夏彦迷惑問答 (文春新書)

誰か「戦前」を知らないか―夏彦迷惑問答 (文春新書)

浮き世のことは笑うよりほかなし

浮き世のことは笑うよりほかなし

「豆朝日新聞」始末 (文春文庫)

「豆朝日新聞」始末 (文春文庫)

中也忌

思へば遠く来たもんだ

十二の冬のあの夕べ

港の空に鳴り響いた

汽笛の湯気(ゆげ)は今いづこ


雲の間に月はゐて

それな汽笛を耳にすると

竦然(しようぜん)として身をすくめ

月はその時空にゐた


それから何年経つたことか

汽笛の湯気を茫然と

眼で追ひかなしくなつてゐた

あの頃の俺はいまいづこ


今では女房子供持ち

思へば遠く来たもんだ

此の先まだまだ何時までか

生きてゆくのであらうけど


生きてゆくのであらうけど

遠く経て来た日や夜よるの

あんまりこんなにこひしゆては

なんだか自信が持てないよ


さりとて生きてゆく限り

結局我がン張る僕の性質さが

と思へばなんだか我ながら

いたはしいよなものですよ


考へてみればそれはまあ

結局我ン張るのだとして

昔恋しい時もあり そして

どうにかやつてはゆくのでせう


考へてみれば簡単だ

畢竟ひつきやう意志の問題だ

なんとかやるより仕方もない

やりさへすればよいのだと


思ふけれどもそれもそれ

十二の冬のあの夕べ

港の空に鳴り響いた

汽笛の湯気や今いづこ

── 中原中也(『在りし日の歌』)

昭和12年(1937年)10月22日 中原中也 没
没後80年。


中原中也記念館』 http://www.chuyakan.jp/

中原中也詩集 (新潮文庫)

中原中也詩集 (新潮文庫)

 中原中也は、十七の娘が好きであつたが、娘の方は私が好きであつたから中也はかねて恨みを結んでゐて、ある晩のこと、彼は隣席の私に向つて、やいヘゲモニー、と叫んで立上つて、突然殴りかゝつたけれども、四尺七寸ぐらゐの小男で私が大男だから怖れて近づかず、一米(メートル)ぐらゐ離れたところで盛にフットワークよろしく左右のストレートをくりだし、時にスウヰングやアッパーカットを閃かしてゐる。私が大笑ひしたのは申すまでもない。五分ぐらゐ一人で格闘して中也は狐につまゝれたやうに椅子に腰かける。どうだ、一緒に飲まないか、こつちへ来ないか、私が誘ふと、貴様はドイツのヘゲモニーだ、貴様は偉え、と言ひながら割りこんできて、それから繁々往来する親友になつたが、その後は十七の娘については彼はもう一切われ関せずといふ顔をした。それほど惚れてはゐなかつたので、ほんとは私と友達になりたがつてゐたのだ。

── 坂口安吾(『酒のあとさき』)