NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

一日一言「裸で生まれて死んでいく」

九月七日 裸で生まれて死んでいく


 地位が高いとか、家柄が良いとか、月給が高いとか、学があるとかいって、世の中の多くの人は自慢する心を持っている。これは自分自身の心にもあり、そうならないためには、自分より地位の低い者には、常に礼儀正しく接することが大切である。本来、人はみな位もなければ官職もないもので、裸で生まれてきて裸で死んでいくことを忘れてはならない。


  位なき身をば疎むな公卿高家(かうけ)四海兄弟同じたねはら
  誰も皆人は裸で貴かれそれが生まれの儘(まま)のもと値ぞ

── 新渡戸稲造(『一日一言』)


賢人にも曰く、

 究極において、人は孤独です。愛を口にし、ヒューマニズムを唱えても、誰かが自分に最後までつきあってくれるなどと思ってはなりません。じつは、そういう孤独を見きわめた人だけが、愛したり愛されたりする資格を身につけえたのだといえましょう。つめたいようですが、みなさんがその孤独の道に第一歩をふみだすことに、この本がすこしでも役だてばさいわいであります。

── 福田恆存(『私の幸福論』)

私の幸福論 (ちくま文庫)

私の幸福論 (ちくま文庫)

人間・この劇的なるもの (新潮文庫)

人間・この劇的なるもの (新潮文庫)

満月とお山

「きみはあの月も 星も あんなものが本当にあると思ってるのかい」
 とある夜ある人が云った
「うん そうだよ」
 自分がうなずくと
「ところがだまされているんだ あの天は実は黒いボール紙で そこに月や星形のブリキが貼りつけてあるだけさ」
「じゃ月や星はどういうわけで動くんかい」
 自分が問いかえすと
「そこがきみ からくりさ」
 その人はこう云ってカラカラと笑った 気がつくとたれもいなかったので オヤと思って上を仰ぐと 縄梯子の端がスルスルと星空へ消えて行った

── 稲垣足穂『一千一秒物語』

一千一秒物語

一千一秒物語


手稲山




全体主義の起原

今月はアーレント
今晩からNHK「100分 de 名著『全体主義の起源』ハンナ・アーレント
 → http://www.nhk.or.jp/meicho/

 今年1月、全米でベストセラーを記録した一冊の本があります。ビジネス書や娯楽小説ではありません。第二次大戦後まもなく出版された「全体主義の起原」。ナチスドイツやスターリンによってもたらされた前代未聞の政治体制「全体主義」がどのようにして生まれたのかを、歴史をさかのぼって探求する極めて難解な名著です。大統領が進める強権的な政治手法、排外主義的な政策に反発した市民たちがこぞって買い求めたといわれています。この名著を執筆したのは、ハンナ・アーレント(1906-1975)。ナチスによる迫害を逃れてアメリカに亡命したユダヤ系ドイツ人の政治哲学者です。

 1945年、廃墟となったドイツでは、ナチス支配の実態を物語る膨大な資料が続々と明らかにされ始めていました。多くの同胞を虐殺され、自らも亡命生活を余儀なくされたアーレントは、これらの資料に立ち向かい、ひとときも休むことなく「全体主義の起原」の執筆を続けました。その結晶は、1951年に米英で同時出版。世界に一大センセーションを巻き起こします。

 アーレントによれば、全体主義は、専制や独裁制の変種でもなければ、野蛮への回帰でもありません。二十世紀に初めて姿を現した全く新しい政治体制だといいます。その生成は、国民国家の成立と没落、崩壊の歴史と軌を一にしています。国民国家成立時に、同質性・求心性を高めるために働く異分子排除のメカニズム「反ユダヤ主義」と、絶えざる膨張を求める帝国主義の下で生み出される「人種主義」の二つの潮流が、19世紀後半のヨーロッパで大きく育っていきます。20世紀初頭、国民国家が没落してゆく中、根無し草になっていく大衆たちを、その二つの潮流を母胎にした擬似宗教的な「世界観」を掲げることで動員していくのが「全体主義」であると、アーレントは分析しました。全体主義は、成熟し文明化した西欧社会を外から脅かす「野蛮」などではなく、もともと西欧近代が潜在的に抱えていた矛盾が現れてきただけだというのです。

 アーレントの研究を続ける仲正昌樹さんは、現代にこそ「全体主義の起原」を読み直す意味があるといいます。経済格差が拡大し、雇用・年金・医療・福祉・教育などの基本インフラが崩壊しかけているといわれる現代社会は、「擬似宗教的な世界観」が浸透しやすい状況にあり、たやすく「全体主義」にとりこまれていく可能性があるというのです。

 番組では、金沢大学教授・仲正昌樹さんを指南役として招き、「全体主義の起原」を現代の視点から読み解くことで、世界を席巻しつつある排外主義的な思潮や強権的な政治手法とどう向き合ったらよいかや、全体主義に再び巻き込まれないためには何が必要かをといった普遍的問題を考えていきます。


第1回 異分子排除のメカニズム
【放送時間】
2017年9月4日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2017年9月6日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2017年9月6日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【講師】
仲正昌樹金沢大学教授)
【朗読】
田中美里(俳優)
【語り】
徳田 章(元NHKアナウンサー)


 フランス革命を期にヨーロッパに続々と誕生した「国民国家」。文化的伝統を共有する共同体を基盤にした国民国家は、「共通の敵」を見出し排除することで自らの同質性・求心性を高めていった。敵に選ばれたのは「ユダヤ人」。かつては国家財政を支えていたユダヤ人たちは、その地位の低下とともに同化をはじめるが、国民国家への不平不満が高まると一身に憎悪を集めてしまう。「反ユダヤ主義」と呼ばれるこの思潮は、民衆の支持を獲得する政治的な道具として利用され更に先鋭化していく。第一回は、全体主義の母胎の一つとなった「反ユダヤ主義」の歴史を読み解くことで、国民国家の異分子排除のメカニズムがどのように働いてきたかを探っていく。

世界最大の悪は ごく平凡な人間が行う悪です

そんな人には動機もなく 信念も邪念も 悪魔的な意図もない

人間であることを 拒絶した者なのです

そして この現象を 私は“悪の凡庸さ”と 名づけました

ソクラテスプラトン以来 私たちは“思考”をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。
人間であることを拒否したアイヒマンは人間の大切な質を放棄しました。
それは思考する能力です。
その結果 モラルまで判断不能となりました。
思考ができなくなると 平凡な人間が残虐行為に走るのです。
過去に例がないほど 大規模な悪事をね。
私は実際 この問題を哲学的に考えてみました。

“思考の風”が もたらすのは 知識ではありません

善悪を区別する能力であり 美醜を見分ける力です

私が望むのは 考えることで 人間が強くなることです

危機的状況にあっても 考え抜くことで破滅に至らぬよう

ハンナ・アーレント』 http://www.cetera.co.jp/h_arendt/


『映画『ハンナ・アーレント』どこがどう面白いのか 中高年が殺到!』 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37699
『「映画『ハンナ・アーレント』レビュー、思考し続ける大切さと意志の強さ」(HUFF POST)』 http://www.huffingtonpost.jp/hotaka-sugimoto/post_6593_b_4543365.html
『「『ハンナ・アーレント』が人気の理由」(朝日新聞社)』 http://webronza.asahi.com/culture/2013120500003.html
『2014年01月08日(Wed) 『ハンナ・アーレント』』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20140108


イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

全体主義の起原 1 ――反ユダヤ主義

全体主義の起原 1 ――反ユダヤ主義

全体主義の起原 2 ――帝国主義

全体主義の起原 2 ――帝国主義

全体主義の起原 3 ――全体主義

全体主義の起原 3 ――全体主義

今紅くナナカマド

「【産経抄】死なないで 逃げるは恥かもしれないけれど共感を呼んでいる 9月3日」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170903/clm1709030004-n1.html

 人と人の関係には足し算型と掛け算型がある。先月永眠した気象エッセイストの倉嶋厚さんが自著にそう書き留めていた。妻の泰子さんとは「1×1」の掛け算型夫婦だったという。自立した2人が暮らす「1+1」ではなく一心同体だった、と。

 足し算型なら、一方が欠けても「1」が残る。掛け算型は〈一人が「0」になるとすべてが「0」になってしまいます〉(『やまない雨はない』文芸春秋)。病で妻に先立たれた倉嶋さんはうつ病を患った。自殺の誘惑に何度も負けそうになったと打ち明けている。

 新学期の始まる9月1日前後に自ら命を絶つ子供が多い、との内閣府調査が示されたのは2年前である。この夏も、悲しいニュースに何度か触れた。人間関係やいじめを苦にする子供にとって、死の衝動に突き動かされやすい季節であることは理解できなくもない。

 掛け算型の間柄は、夫婦にかぎるまい。親子も、兄弟姉妹も同じだろう。「×1」の相手が失われることで、世界が「0」になる人は必ずいる。思い悩む子供たちに伝えたい。最後の一線を越える前に、喪失感に嘆き悲しむ人たちの顔を思い浮かべてはくれないか。

 アメリカバクは敵から身を守るとき、一目散に水に飛び込む。人も同じ。逃げなさい。上野動物園の公式ツイッターに載った書き込みが、共感を呼んでいる。「もし逃げ場所がなければ、動物園にいらっしゃい」と。似たような思いを誰もが抱えているからだろう。

 〈冬憶(おも)ふまじ今紅くナナカマド〉嶋田摩耶子。闘病中の倉嶋さんを慰めた句だという。先のことを思い煩うな、赤い実をつけた目の前のナナカマドを楽しもう-。この先、春秋に富む子供たちではないか。耐えきれないときは遠慮なく逃げなさい。


アンゴ先生かく語りき。

自殺なんて、なんだらう。そんなものこそ、理窟も何もいりやしない。風みたいに無意味なものだ。

── 坂口安吾『教祖の文学』

 死ぬ、とか、自殺、とか、くだらぬことだ。負けたから、死ぬのである。勝てば、死にはせぬ。死の勝利、そんなバカな論理を信じるのは、オタスケじいさんの虫きりを信じるよりも阿呆らしい。
 人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。名声だの、芸術は長し、バカバカしい。私は、ユーレイはキライだよ。死んでも、生きてるなんて、そんなユーレイはキライだよ。
 生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。
 死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。
 然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。
 勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。

── 坂口安吾『不良少年とキリスト』

亜細亜ハ一な里

遠慮めさるな 浮世の影を 花と夢見し 人もいる

── 岡倉天心



大正2年(1913)9月2日午前7時
岡倉天心


亜細亜ハ一な里』 http://www.geocities.jp/otutyou/ootu/ibadai/kinenhi/kinenhi.html
茨城県天心記念五浦美術館』 http://www.tenshin.museum.ibk.ed.jp

茶の本 (講談社バイリンガル・ブックス)

茶の本 (講談社バイリンガル・ブックス)

東洋の理想 (講談社学術文庫)

東洋の理想 (講談社学術文庫)

日本美術史 (平凡社ライブラリー)

日本美術史 (平凡社ライブラリー)

本田宗一郎の夢

「【産経抄】世界の技術者を驚かせた『ホンダジェット』 本田宗一郎の夢 9月1日」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170901/clm1709010003-n1.html

 静岡県浜松市の練兵場で大正6年、「米国の鳥人」と呼ばれた飛行家、アート・スミスによる曲芸飛行大会が開かれた。10歳の少年は、親の目を盗んで金2銭を握りしめ、自転車で二十数キロ離れた会場に駆けつけた。初めて見る飛行機に大感激である。

 それからしばらく少年は、ボール紙で飛行メガネを作り、竹製のプロペラを自転車の前につけ乗り回していた。少年は長じて、小型飛行機の免許を取得して大空を舞うようになった。ホンダの創業者、故本田宗一郎さんである。まだ二輪メーカーの時代から、飛行機開発への意欲を語っていた。

 生前の本田さんは目にすることはできなかったものの、その夢はすでに実現している。7人乗りの小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」は、主翼の上部にエンジンを取り付ける奇抜な設計で世界の技術者を驚かせた。

 米子会社「ホンダ エアクラフト カンパニー」の藤野道格(みちまさ)社長が開発の中心となり、約30年の歳月をかけて完成にこぎつけた。燃費のよさなどが評価されて売れ行きは好調である。今年上半期の出荷数24機は世界トップだった。

 実はホンダジェットの開発は、社長を引退した本田さんには内緒で進められてきた。本人が知ったら、喜びのあまり誰かにしゃべってしまう可能性がある。何より研究の現場に乗り込んで、仕事を混乱させる事態を恐れた。

 事業化が決まって、藤野さんは本田さんの霊前に報告に行った。さち夫人がそのとき思いがけないことを口にする。「私は飛行機の免許を持っているんですよ」(『ホンダジェット前間孝則著)。日本では女性パイロットの草分けに近いのではないか。あらためて、企業のDNAについて考えさせられるエピソードである。


うちのHONDA!

ホンダは、夢と若さをもち、理論と時間とアイディアを尊重する会社だ。

とくに若さとは、「困難に立ち向かう意欲」と、「枠にとらわれずに新しい価値を生む知恵」であると思う。

── 本田宗一郎『本田宗一郎からの手紙』

ホンダジェット: 開発リーダーが語る30年の全軌跡

ホンダジェット: 開発リーダーが語る30年の全軌跡

定本 本田宗一郎伝―飽くなき挑戦 大いなる勇気

定本 本田宗一郎伝―飽くなき挑戦 大いなる勇気

得手に帆あげて 完全版

得手に帆あげて 完全版