「サヨナラ」ダケガ人生ダ
コノサカヅキヲ 受ケテクレ
ドウゾナミナミ ツガシテオクレ
ハナニアラシノ タトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ 人生ダ
平成5年7月10日、井伏鱒二 没。
- 作者: 井伏鱒二
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1994/04/05
- メディア: 文庫
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”保守主義の父”
民主政において、多数者は少数者に対して最も残酷な抑圧を加えることができる。
1797年7月9日 エドマンド・バーク 没
積み上げてきた過去の叡知を蔑ろにし、革命の名の元に目先の破壊にカタルシスを得ようとする愚衆に異を唱える、”保守主義の父”。
箴言十選
- 自分の先祖を振り返って見ようとしない徒輩は、決して自分の後裔にも目を向けようとしないだろう。
- 完全な民主主義はこの世で最も厚顔無恥な代物であり、そして最も厚顔故に、最も恐れ知らずな代物だ。
- ”智慧を欠いた自由”とは一体何でしょうか。”美徳無き自由”とは一体何でしょうか。それらは全ての害悪の中で最大の害悪です。悪徳です。狂気です。
- デモクラシーは、暴政と、驚くほど共通点がある。
- 人民の迫害の下では、個々の受難者は暴君政治その他の政体よりもはるかにもっと悲惨な状態に苦しむ事になる。
- 全ての道徳的義務の実践についても社会というものの基礎についても、その理由や根拠が人々に明証されねばならないとの説に従うならば、世界はどうなるのだろう。
- 偏見は人間の美徳を習慣化する。
- 絶対的デモクラシーは、絶対君主制に劣らず、正統な統治の政体とは認めがたい。
- 水平化しようとする人間は決して平等をもたらさない。
- 深慮、熟考、先見の明などが百年もかかって建設できる以上のものを、怒りと逆上ならば僅か半時間で引き倒す。
- 作者: 中川八洋
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 1996/12
- メディア: 単行本
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- 作者: エドマンド・バーク,半沢孝麿
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1997/10/09
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- 作者: エドマンドバーク,Edmund Burke,佐藤健志
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2011/03/01
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SHERLOCK4
Elementary, my dear Watson!
今夜から第4シーズン。
『SHERLOCK(シャーロック)4』(NHK) http://www4.nhk.or.jp/sherlock4/
SHERLOCK/シャーロック シーズン1-3 コンプリート Blu-ray-BOX
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
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シャーロック・ホームズの冒険 全巻ブルーレイBOX [Blu-ray]
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- 作者: コナンドイル,Arthur Conan Doyle,延原謙
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1953/06/01
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一日一言「視線を空に」
七月七日 視線を空に
地上のことのみにこだわっていないで、たまには空にも目を向けるとよい。太陽や月などの天体は、焚き火や提灯の代用品ではない。日が照ると暑いとか、雲がかかれば寒いとか、月が出ると明るいとかいうだけで、それ以上のことを知らないのは、天体が自分に語りかけてくれている「声」を聞いていないからである。
たなばたのまれの契りは名のみにて
つきぬまことの悟とぞ聞く
〈明治天皇御製〉
天の原満ちたる星の影消えて
月の光になれる空かな
今日は七夕。
夜になったら、星をながめておくれよ。
夜になったら、星をながめておくれよ。ぼくんちは、とてもちっぽけだから、どこにぼくの星があるのか、君に見せるわけにはいかないんだ。だけど、そのほうがいいよ。きみは、ぼくの星を、星のうちの、どれか一つだと思ってながめるからね。すると、きみは、どの星も、ながめるのがすきになるよ。星がみんな、きみの友だちになるわけさ。
死についての「思想」を考える
「【正論】死についての『思想』を考える 京都大学名誉教授・加藤尚武」(産経新聞)
→ http://www.sankei.com/column/news/170705/clm1707050005-n1.html
死についてほぼ毎日、新しい書物が出版されている。私も『死を迎える心構え』(PHP研究所)を出したのだが、狙いは死についてのあらゆる思想を集めて要約することにある。
≪来世の存在かすべての終わりか≫
人間は古今東西、概(おおむ)ね2つの型の思想を語ってきた。1つは死ぬことは体が分解してなくなることだという思想である。旧約聖書には「すべてのものは塵から出て、すべてのものは塵に帰る。誰が知ろう。人の子の霊は上にのぼり、獣の霊は地の下にくだるなどと」(伝道の書)と書かれている。
同じことを中国の荘子(前4世紀)は「気が集合すれば生となるが、離散すれば死となる」(荘子・知北遊篇)と述べている。そこで私はこの塵が集まれば生となり、散れば死となるという考え方を「集散論」と呼ぶことにした。
インドでは、アジタ・ケーサカンバリン(ブッダに先行する思想家)が集散論を唱えており、西洋ではエピクロス(前341~前270年)が「死とは無になることである。そのような経験は存在しない。死が存在するとき、われわれは存在しない、われわれが存在するとき、死は存在しない」と述べたことが、集散論と同じ「死は一回的である」という見方を示している。
これに対して、天国、地獄などの「来世」のイメージを背景として、「死は来世への旅立ちである」という見方がある。
結局、古今東西の死についての考え方は、2つしかない。
1つは、死は来世への旅立ちであるという考え方である。現世と来世というイメージが背景になって、来世が無限に続く場合、来世が一回的である場合、直接天国に行ける場合、中間の逗留(とうりゅう)点がある場合などなど、さまざまのイメージが描き出される。
もう1つの考え方は死はその人のすべての終わりである。生死の一回性という見方で、そのほとんどが「集散論」という形をとる。
伝統的な思想がすべて来世型で、近代科学が普及すると生死の一回性という見方に変わっていくのではなくて、伝統的な思想のなかに両方の見方があるのだ。
≪共存する矛盾したイメージ≫
この2つの見方には、共通の時間も空間もないのだから、全く異質の見方であるのに、多くの思想家は両方の側面を自分の心に取り入れている。たとえば、道元禅師の場合「身体が死んでも霊魂が生き残る」という考えでは「人家が火事で焼けても、家主は出て行くようなもの」で、これは間違いだと来世を否定している。
他方、「三時業」という言葉で、現世の行為が現世に結果を及ぼす場合や、来世に結果を及ぼす場合、来来世に結果を及ぼす場合があるとみなしている。
死生観は、概ね一回的生と反復的生(来世・輪廻(りんね))という矛盾したイメージの重なり合いとなっている。その矛盾が意識されることはない。心情的に破綻をきたすこともない。西洋ではプラトンが、身体が滅びても心は不滅という見方を強く打ち出して、その見方と整合するような宇宙像を作ろうとしたが、プラトンの弟子のアリストテレスが異議を唱えて以来、一回的生と反復的生(来世・輪廻)という思想に整合性をもたらすことには失敗している。
世界には全く違ったものの見方があるので、自分とは違った見方に対しても寛容でなければならないというのは真実であるが、実際には、さほど大きな違いがない。
違った宗教のなかにも、同じ型の考え方がある。世界中のさまざまな考え方について、どういう共通の型があるのか、違いはどの点にあるのかを明確にすることで、人類共通の見方があれば、それを明らかにすることが、これからの哲学では大事である。
≪世界共通の考え方を認識せよ≫
明治期、日本の大学ではドイツの哲学を重視する政策をとった。それはドイツの哲学が英米の哲学よりも進歩していると考えたからである。つまり西洋哲学史の最先端がドイツ哲学だという見方を前提にしていた。第二次大戦後、英米哲学やフランスの現代哲学が重視されるようになった。そこに哲学の歴史の最先端があるという前提があった。哲学の授業が哲学史の授業になってしまった。
インターネットで古い文献が発掘・公開されるようになると、今まで通用してきた哲学史の大枠が信用できないということが明らかになった。哲学史の研究は、きわめて高度な文献学の調査とならざるをえない。それは誰もが知ることを要求されるようなものではない。文献と文献の間の特殊な影響作用史とならざるをえない。
哲学史の重箱の隅をつつくのではなくて、古今東西の共通思想の大筋を示すことが今、哲学に求められている。私はまず「死についての共通思想」を描き出してみた。武器を手に闘っている人々に「あなたがあなたの敵とどれくらい共通の思想を持っているか」を伝えたいが、共通の考え方が何であるか、普段からしっかりと認識しておくことが大事だと思う。
一日一言「天の前では皆平等」
七月四日 天の前では皆平等
西暦一七七六年の今日、米国は独立を宣言して共和国をつくった。国家の組織形態は我が国とは根本から異なるが、人間の平等を認めたところは大いに参考になる。この世では、人の上下はなく、人間は皆平等である。この世の中に上下の階級があるのは、国を治めるためであり、国の事情によっては必要なことであるが、人間に区別はない。人はみな責任を負っており、役人も平民も、また高貴な者もそれぞれ自分にあった忠誠を尽くすべきである。
あがりたり又おちぶるゝ物と知り
つるべの水もむざと使ふな
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
と、諭吉にも曰く。
されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。
→ http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20130203
- 作者: 福澤諭吉,斎藤孝
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- 作者: 福沢諭吉
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