NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

心に「無敵の鎧」を

「『頭にくる人』に心を乱されないよう、自分に『無敵の鎧』を着せよう」(ライフハッカー
 → https://www.lifehacker.jp/2017/06/170629_marcus_aurelius.html

今週紹介する言葉は、マルクス・アウレリウスが、現在のスロバキア、フロン川沿岸で、ゲルマンのクァディ族と戦っているときに、書いたものです。

あけがたから自分にこういいきかせておくがよい。うるさがたや、恩知らずや、横柄な奴や、裏切り者や、やきもち屋や、人づきの悪い者に私は出くわすことだろう。この連中にこういう欠点があるのは、すべて彼らが善とはなんであり、悪とはなんであるかを知らないところから来るのだ。しかし私は善というものの本性は美しく、悪というものの本性は醜いことを悟り、悪いことをする者自身も天性私と同胞であること──それはなにも同じ血や種(たね)をわけているというわけではなく、叡智と一片の神性を共有しているということを悟ったのだから、彼らのうち誰一人私を損ないうる者はない。というのは誰ひとり私を恥ずべきことにまき込む力はないのである。また私は同胞にたいして怒ることもできず、憎む事もできない。なぜなら私たちは協力するために生まれついたのであって、たとえば両足や、両手や、両眼瞼(がんけん)や上下の歯列の場合と同様である。それゆえに互いに邪魔し合うのは自然に反することである。そして人にたいして腹を立てたり毛嫌いしたりするのはとりもなおさず互いに邪魔し合うことなのである。

── マルクス・アウレーリウス(『自省録』神谷恵美子訳、岩波文庫


その意味するもの

あなたは人生のあいだに何度も、我慢ならない、いじわるで厄介な人びとに出会うことになります。アウレリウスはこうした人たちを「悪」と呼びつつも、そうした人たちは、ある大切なことを知らないか、無視しているだけなのだと言っています。つまり、あなたが日常生活で遭遇する問題のある人たちは、単純に、あなたが持っている知識を持っていないだけなのです。彼らは、あなたが知っていることを知らないがゆえに、過ちをおかし、「悪」に陥っています。しかし、あなただって、彼らが知っていることのすべてを知っているわけではありません。そしておそらく、相手からはあなたこそが悪に見えていることでしょう。

上のアウレリウスの言葉のなかで、一番の学びは以下の部分です。

彼らのうち誰ひとり私を損ないうる者はない。というのは誰ひとり私を恥ずべきことにまき込む力はないのである。また私は同胞にたいして怒ることもできず、憎む事もできない。なぜなら私たちは協力するために生まれついたのであって、たとえば両足や、両手や、両眼瞼(がんけん)や上下の歯列の場合と同様である。それゆえに互いに邪魔し合うのは自然に反することである。そして人にたいして腹を立てたり毛嫌いしたりするのはとりもなおさず互いに邪魔し合うことなのである。

こうした、「うるさがたや、恩知らずや、横柄な奴や、裏切り者や、やきもち屋や、人づきの悪い者」たちは、あなたの内なる精神を傷つけることはできません。そうした人たちによってあなたの認識が変わったときにはじめて、あなたは傷つくのです。

どれほど頭にくる厄介な相手でも、(たいていは)本人が意図的にそうしているわけではありません。ですので、彼らを責めたてたりしないでください。怒らないでください、激昂しないでください、押しのけないでください。そうではなく、お互いの違いを認め、できるかぎり協力し合うようにします。わたしたち人間は、楽しいときも苦しいときも、他者と共に働くようにできているのです。


そこから学べること

仕事やプライベートで、あるいは、FacebookTwitterで、誰かの発言に怒りを覚えたとしても、たいていの場合、当の本人にはその意図はないことを覚えておきましょう。そうした人たちは、ただ、あなたとは人生観が異なる人びとに過ぎません。なかには意図的にあなたを傷つけようとする人もいるかもしれませんが、あなた自身で無敵の鎧を着ることを選べることを忘れないでください。悪意ある人たちからの攻撃をかわし、内なる精神、心、意識、魂、どう呼んでもいいですが、あなたのオペレーティングシステムに触れさせないことを選ぶことができます。あなたがそれを許さないかぎり、彼らの言葉があなたに感染することはありません。

最後に、協力することこそが、進歩の鍵であることを理解してください。日常で出会う、無知な人たちに怒れば怒るほど、また、そうした人たちとの間に距離を置こうとすればするほど、長い目で見たときに、進歩を達成することが難しくなります。攻撃的になるのをやめ、エゴを手放し、何者もあなたの内なる精神を傷つけられはしないことを理解し、他者と共に働くことを選んでください。妥協点を模索してください。もちろん、言うは易し行うは難しです。しかし、そうすることで、あなたは忍耐強くなり、人に慕われるような人物になるでしょう。

CANADA 150

カナダ・デー
カナダ建国150周年。



『CANADA 150』 https://www.canada.jp
『カナダ観光局』 http://jp-keepexploring.canada.travel
『Make the most of your Canada 150!』 http://canada.pch.gc.ca/eng/1468262573081
『The 150 Alliance』 https://alliance150.ca
『150th anniversary of Canada』 https://en.m.wikipedia.org/wiki/150th_anniversary_of_Canada

「六月の夜の都会の空」

今日の藻岩山頂。


六月の最後の夜。

タルホ。

 或る昼休みの教室の黒板に、I は「六月の夜の都会の空」という九字を走り書きして、直ちに消してしまった。「いや何でもありやしない」と彼は甲高い声で江美留に云った。「―でも、ちょっといい感じがしやしないかい?」

 なるほど! 六月の夜の都会の空。

 この感覚は自分にも確かに在った。夕星を仰いで空中世界を幻視する時、そんな晩方はまた、やがて「六月の夜の都会の空」でなければならない。汗ばんで寝苦しがっているまんまるい地球を抱くようにのしかかっている暗碧の空には、星々がその星座を乱したのであるまいかと疑われるほど狂わしげな位置を採って燦めき、そして時計のセカンドを刻む音と共に地表の傾斜がひどくなって、ついに酸黎のように赤ばんだ月をその一方の地平線におし付けてしまった刻限には、昼間から持ち越しの苦悩に堪えかねた高層建築物たちは、もはや支え切れずに、水晶の群簇のように互いに揺らめきかしいで、放電を取り交わしているのでなければならない。

── 稲垣足穂『弥勒』

弥勒 (河出文庫)

弥勒 (河出文庫)

一千一秒物語

一千一秒物語

第三半球物語

第三半球物語

「正道」示した渡部昇一氏を悼む

「【正論】『正道』示した渡部昇一氏を悼む 忠君愛国の士と感じた 東京大学名誉教授・平川祐弘」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170627/clm1706270006-n1.html

「日本が人民民主主義国にならなかったことは僕らの生涯の幸福ですね」「近隣諸国が崩壊し、何十万の難民が舟で日本へ逃げてきたらどうします」「大陸へ強制送還するより仕方がない」。今春そんなテレビ対談をした。それが渡部昇一氏との永の別れとなった。


≪武骨なオピニオン・リーダーに≫

 氏は極貧の学生生活を送った人だが、正直で明るい。86歳になっても書生の初々しさがあった。

 大学生だった昭和20年代、朝日新聞岩波書店にリードされた論壇は資本主義は邪道で社会主義が正道であると説いていた。共産党野坂参三皇居前広場を埋め尽くしたデモ隊に向かい、「第一次大戦のあとソ連が生まれ、人類の6分の1が社会主義になった。第二次大戦のあと人民中国が生まれ、人類の3分の1が社会主義になった。この次の革命の際は…」とアジった。

 あのころ講和をめぐる論戦が『文芸春秋』誌上で交わされた。全面講和論とはソ連圏諸国とも講和せよ、という一見理想主義的、その実は容共左翼の平和主義的主張で、私は南原繁東大総長のそんな言い分が正しかろうと勝手に思い込んでいた。それに対し米国中心の自由陣営との講和を優先する吉田茂首相を支持したのが慶應小泉信三塾長で、朝鮮半島で激戦が続き米ソの話し合いがつかぬ以上、全面講和の機会を待つことは日本がこのまま独立できずにいることだ。それでよいか、という。その小泉氏に上智の学生だった渡部氏は賛意の手紙を書いた。すると小泉氏から返事が来たという。

 ところが西洋には言語を意思伝達の道具としか考えない一派があり、米国の学術誌が渡部氏を非難し、私が氏のために英文で弁じたことがある。渡部氏は皇統百二十五代が日本の誇りである所以を説く。その男系の歴史を踏まえ、拙速な女性天皇容認論を排する。雅子妃の「適応障害」でも皇室の本質から論点を指摘する。その時はこれぞ忠君愛国の士と感じた。


≪冷笑するような御厨氏の記述≫

 今回の天皇の公務軽減の有識者会議に氏は病身をおし松葉づえをついて出席、摂政を置かれることを提言した。今の天皇様はもう十分外回りのおつとめは果たされた。これからはご在位のまままず祭事(まつりごと)のおつとめをお果たしください、というのが私どもの意見である。杉浦重剛が若き日の昭和天皇に講義した『倫理御進講草案』にも「神事を先にし、他事を後にす」とある。この優先順位の提言が間違いとは思えない。この主張のインパクトが大きかったのは筋が通っていたからではないか。

 有識者会議の論点は当初は「譲位か、ご在位のままお休みいただくか」であった。それが整理の過程で「譲位は一代限りか、恒久的にすべきか」に替わり、ある意味で予想通りの、特例法の制定により今回決着をみた。すると御厨貴氏が『文芸春秋』7月号に退位に反対した渡部昇一氏、櫻井よしこ氏、平川を冷笑するような「『天皇退位』有識者会議の内実」を書いた。

 私に関しての記述はおぼえのない発言が書いてある。速記録もあるのだから確認できるはずだ。座長代理ともあろう人がこんな失礼なオーラル・ストーリーを拵(こしら)えるのか。だが同じ調子で渡部氏も悪く書かれたのだとするなら故人に気の毒だ。

 陛下のご意向なるものが新聞の1面に出る。翌日、宮内庁が否定するがテレビでは田原総一朗氏がとりあげる。こんなリークの繰り返しが続くマスコミ文化に、わが皇室も侵されてゆくのだろうか。

一日一言「努力には必ず報いがある」

六月二十八日 努力には必ず報いがある


 草木が繁るのを見ていると、春の手入れをした様子がわかる。夏のあいだの草取りに骨を折れば、秋の収穫はまちがいないだろう。努力をすれば、そのときにはまだ効果は表れてこないが、後には、必ずその効果が表れるものである。


 怠りも夏のかせぎもほどほどに穂にあらはれて見ゆる秋の田
 米蒔いて米がはゆれば善に善あくには悪が報ゆとぞ知れ

── 新渡戸稲造(『一日一言』)


とは言うものの、報われない努力が多いのも世の常である。
それは、なぜか。


露伴に曰く、「それは努力の方向が悪いからであるか、しからざれば間接の努力が欠けて、直接の努力のみが用いらるるためである。」と。


久しぶりに『努力論』でも。


『初刊自序』(抜粋)

 努力とは一である。しかしこれを察すれば、おのずからにして二種あるを観る。一は直接の努力で、他の一は間接の努力である。間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。直接の努力は当面の努力で、尽心竭力(けつりょく)の時のそれである。

 人はややもすれば努力の無効に終ることを訴へて嗟嘆(さたん)するもある。しかれど努力は功の有と無とによって、これを敢てすべきや否やを判ずべきでは無い。努力ということが人の進んで止むことを知らぬ性の本然であるから努力すべきなのである。そして若干の努力が若干の果を生ずべき理は、おのづからにして存して居るのである。

 ただ時あって努力の生ずる果が佳良ならざることもある。それは努力の方向が悪いからであるか、しからざれば間接の努力が欠けて、直接の努力のみが用いらるるためである。無理な願望に努力するのは努力の方向が悪いので、無理ならぬ願望に努力して、そして甲斐(かい)のないのは、間接の努力が欠けて居るからだろう。

 瓜の蔓(つる)に茄子(なすび)を求むるが如きは、努力の方向が誤って居るので、詩歌の美妙なものを得んとして徒(いたず)らに篇を連ね句を累(かさ)ぬるが如きは、間接の努力が欠けて居るのである。誤った方向の努力を為すことはむしろ少ないが、間接の努力を欠くことは多い。詩歌の如きは当面の努力のみで佳なるものを得べくはない。不勉強が佳なる詩歌を得る因にはならぬが、ただ当面の努力のみによって佳なる詩歌が得らるるものではない。

 努力は好い。しかし努力するということは、人としてはなお不純である。自己に服せざるものが何処かに存するのを感じて居て、そして鉄鞭を以てこれを威圧しながら事に従うて居るの景象がある。
 努力して居る 、もしくは努力せんとして居る、ということを忘れて居て、そして我が為せることがおのずからなる努力であって欲しい。そうあったらそれは努力の真諦であり、醍醐味である。

 努力して努力する、それは真のよいものではない。努力を忘れて努力する、それが真の好いものである。しかしその境(さかい)に至るには愛か捨(しゃ)かを体得せねばならぬ、然らざれば三阿僧祇劫(さんあそうぎごう)の間なりとも努力せねばならぬ。愛の道、捨の道をこの冊には説いて居らぬ、よってなおかつ努力論と題している。

努力論 (岩波文庫)

努力論 (岩波文庫)

moomin

今日の山頂。キツネと散歩。


2001年6月27日 トーベ・ヤンソン


ムーミン』名言二十選。


子供の童話と侮るなかれ。
元来は北欧の神話であり、なかなか哲学的。

  • 「おだやかな人生なんて、あるわけがないですよ」スナフキンが、ワクワクしながらいいました。(『たのしいムーミン一家』)
  • だれかを崇拝しすぎると、ほんとうの自由は、得られないんだよ。(スナフキンムーミン谷の仲間たち』)
  • せっかくの人生なのに! きみたち、修繕にてんてこまいで、朝から晩まで、とびまわってるんですね。骨おって働くなんて、考えただけでも、気がめいってきますよ。なんのためになるんですか。ぼくの親戚にね、触覚やひげがたれ下がってヨレヨレになるほど三角法の勉強をしたやつがいたんだけど、習い終わったとたんモランがやってきて、食べられてしまった。そう、やつは今や、すごい秀才になって、モランのお腹の中で、のびてるんだ!(ヨクサル『ムーミンパパの冒険』)
  • (大危機への憧れを静めて、細やかで優しい穏やかさで心を満たしてみたんだ。しかし、状況は、ちっとも好転しなかった。こんなことをしていたら、ニョロニョロたちに、ごく普通のベランダ・パパと思われてしまうかも・・・・・・) パパは、気が気ではありませんでした。(ムーミンパパ『ムーミン谷の仲間たち』)
  • みんなも知ってるでしょう? 毎日毎日、おびえてばかりいると、だれだって、すきとおって消えてしまいそうになるわよね?(トゥーティッキ『ムーミン谷の仲間たち』)
  • 「その調子だと、おまえ、すぐにおとなになっちまうぞ」と、ホムサ兄ちゃんがさとしました。「父さんや母さんみたいな、おとなになるんだ。おまえにゃ、ぴったりだぜ。ごくふつうに見て、ごくふつうに聞くだけのおとなだ。つまり、なーんにも見ないし、なーんにも聞かないってことだな。とどのつまり、おまえは、なんにもできなくなっちまうんだ。」(『ムーミン谷の仲間たち』)
  • (道や川って、なんだか、とっても不思議なんだ)スニフは思いました。(どこへ行くんだろう・・・・・・って見つめていると、なんだか、ワクワクするみたいな、なつかしいみたいな気持ちになるんだ。どこか知らないところへ、たまらなく行ってみたくなって、いったいどこまで行くんだろう・・・・・・って、ついてってみたくなってしまう・・・・・・)(スニフ『ムーミントロールと彗星』)
  • なんだってできるわ。だけど、なんにもやらないでいましょ。ああ、なんだってできるって、なんてステキなことなの!(ミムラねえさん『ムーミン谷の十一月』)
  • だれも心配しすぎないって、いいことでした。ムーミンたちは、ほかのひとのために、やたらと心配しないでいようと、きめていました。つまり、そのほうが、心配をかけたと思って良心をいためなくても、すみます。それに、ありったけの自由をあたえあっていることにもなるのです。(『ムーミン谷の仲間たち』)
  • ムーミンママにいわせれば、「堕落の人生なんて、楽しくさえないに、きまっています」ということですが、パパは、そんなきっぱりしたことは、いいませんでした。(『ムーミン谷の仲間たち』
  • (そのひとのことをだれも話さない、それに、だれにも話しかけてもらえない、なんてひとがいたら、そのひと、だんだん消えてってしまうにちがいないぞ。だって、自分がいるって、信じられなくなってしまうもの)(ムーミントロールムーミンパパ海へいく』)
  • 「この子、怒ることも、できないのよ」ちびのミイが、いいました。「それが、この子の悪いところだわね」(『ムーミン谷の仲間たち』)
  • 未知のことばかりでした。でも、全部、自分で判断してきめました。そして、なにひとつとして、いままでどおりのやりかたではやりませんでした。わたしは、すこぶる幸せでした。(『ムーミンパパの冒険』)
  • むかしあるところに、自分が持っている品物たちをこよなく愛している奥さんがいたんだ。奥さんには、子どもがなかったので、よろこびも悩みもなく、はたらいたり食事をつくったりする必要もなかった。ほかの人がどんなふうに思うかなんて、気にもしなかった。こわいものは、なにもないひとだったんだ。だけどね、奥さんは、遊び心というものを、失っていた。つまり、とてもさびしい毎日を、すごしていたんだ。(スナフキンムーミン谷の仲間たち』)
  • 秋になると、残るものと旅立つものがいます。いつだって、そうでした。好き好きでいいのです。でも、とりかえしがつかなくならないうちに、早めに決心することです。(『ムーミン谷の十一月』)
  • 「ものは、自分のものにしたくなったとたんに、あらゆるめんどうが、ふりかかってくるものさ。運んだり番をしたり・・・・・・。ぼくは、なんであろうと、見るだけにしている。立ち去る時には、全部、この頭にしまっていくんだ。そのほうが、かばんを、うんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからねぇ・・・・・・」(スナフキンムーミントロールと彗星』)
  • 「こうして彗星探しの旅をしていることに比べたら、コーヒー沸かしの一つや二つ、どこへ消えたって、たいした問題ではないだろう?」(スナフキンムーミントロールと彗星』
  • ふたりは、たがいにさりげなく敬意をはらいあい、そのくせふたりとも、自分の世界をしっかりと保っていました。相手のためになにかをしてあげるなんてことはなく、わかりあおうともしなけてば、気にいられようともしませんでした。こういうのも居心地よくいっしょにすごす、一つの方法ではないでしょうか。(『ムーミンパパ海へいく』)
  • 「その奥さん、親戚は多いし、知りあいもたくさんいたんだ。でもね、いうまでもなく、“知りあいがわんさといたって、友だちはひとりもいない”ってことは、ありうるんだよ」(スナフキンムーミン谷の仲間たち』)

ムーミン公式サイト』 http://moomin.co.jp/


ティティウー

ビョーク”דムーミン”『コメット・ソング』。