NAKAMOTO PERSONAL

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歴史を殺せば人間も死ぬ

小林秀雄はなぜ太平洋戦争に『黙って処して』反省しなかったのか」(現代ビジネス)
 → https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58382

ここ数年、出版界は歴史書ブームだ。定説となっていた事実や人物像が覆されるところに、こうしたブームの理由がありそうだ。しかしこの動きは、私たちの骨の髄まで染まっている近代的な進歩的歴史観までも覆していけるだろうか。適菜収氏は、小林秀雄は歴史を「生身の人間のいるところ」と捉え、後から歴史を裁断する人間の傲慢さに憤ったという。『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』から小林が歴史を見る目とは何かをご紹介しよう。


人間のいないところに歴史はない
近代人は時間の経過とともに人類は進化してきたと考えるようになった。学校の教科書には、一番左にアウストラロピテクスのイラストが、一番右にわれわれ現代人のイラストが描かれていたりします。人類は古代から中世、近代へと一直線に進歩してきたという西欧中心のいわゆる進歩史観です。

昔の人間よりも現在の人間のほうが、理性的で合理的で優れていると彼らは考える。理性的で合理的な判断が「正解」にたどりつくなら、「正しい歴史」「歴史の目的」も存在することになる。

ドイツの哲学者ヘーゲルは、世界は弁証法的な運動の過程にあると考えた。いろいろな矛盾や対立を発展解消していくうちに、理念が実現されるようになると。歴史を弁証法的に捉えれば進歩史観になるが、小林はこうした発想自体を拒絶しました。

私達は、歴史に悩んでいるよりも、寧(むし)ろ歴史工場の夥(おびただ)しい生産品に苦しめられているのではなかろうか。例えば、ヘーゲル工場で出来る部分品は、ヘーゲルという自動車を組立てる事が出来るだけだ。而(しか)もこれを本当に走らせたのはヘーゲルという人間だけだ。そうはっきりした次第ならばよいが、この架空の車は、マルクスが乗れば、逆様(さかさま)でも走るのだ。──「蘇我馬子の墓」

ドイツ出身の哲学者マルクスは、ヘーゲル弁証法を利用して、歴史科学なる概念をつくりあげた。

あらゆる歴史事実を、合理的な歴史の発展図式の諸項目としてしか考えられぬ、という様な考えが妄想でなくて一体何んでしょうか。例えば、歴史の弁証法的発展というめ笊(ざる)で、歴史の大海をしゃくって、万人が等しく承認する厳然たる歴史事実というだぼ沙魚(はぜ)を得ます。──「歴史と文学」

ヘーゲルのような妄想の体系を打ち立てれば、歴史はどのようにでも解釈できる。ヘーゲルは歴史上の一人物に過ぎず、歴史がヘーゲルのシステムのなかにあるのではないと小林は言う。

史観は歴史を考えるための手段であり道具にすぎない。しかし、その手段や道具が精緻になるにつれ、当の歴史の様な顔をし出す。

人間は理性的で論理的で合理的だ。そこが人間の弱さである。だから簡単に理論に流される。よって、小林が言うように「人間のいないところに歴史はない」という常識を、常に努力して救い出さなければならない。


「史観」さえあれば歴史はいらないのか?
近代啓蒙主義とは、理性や明示的なものを信仰し、説明不可能なものを「迷信」と斬り捨てる運動だった。合理的な目的が存在するなら、それに従うことが「正義」となる。その成れの果てに登場した「絶対的な知的自己決定」という発想が地獄を生み出したのは歴史を振り返れば明らかだ。

唯物史観に限らず、近代の合理主義史観は、期せずしてこの簡明な真理を忘れて了う傾きを持っている。迂闊で忘れるのではない、言ってみれば実に巧みに忘れる術策を持っていると評したい。これは注意すべき事であります。史観は、いよいよ精緻(せいち)なものになる、どんなに驚くべき歴史事件も隈(くま)なく手入れの行きとどいた史観の網の目に捕えられて逃げる事は出来ない、逃げる心配はない。そういう事になると、史観さえあれば、本物の歴史は要らないと言った様な事になるのである。──「歴史と文学」

こうして近代人は歴史を見失った。

歴史は「生きているもの」「動いているもの」である。

小林は自然科学のような実証主義が、歴史の命を殺してしまったと言う。歴史とは諸事実を発見したり、証明したりといった退屈なものではない。歴史を考えるとは歴史に親身に交わることなのだと。

「調べる」という言葉は、これとは反対の意味合いの言葉で、対象を遠ざかって見るという言葉だ。今日の歴史家は歴史と交わるという困難を避けて通っているのだよ。歴史という対象は客観化する事は出来ない。宣長は歴史研究の方法を、昔を今になぞらえ、今を昔になぞらえ知る、そのような認識、あるいは知識であると言っている。厳密な理解の道ではない、慎重な模倣の道だと言うのだな。この方法は歴史学というものがある限り変わらない。変わり得ないと私は思っているよ。──「交友対談」


無知と野心がなければ戦争は起きなかったか?
昭和二一年、雑誌『近代文学』の座談会で、文芸評論家本多秋五から戦時中の姿勢を追及された小林は次のように答えた。

僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。大事変が終った時には、必ず若(も)しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度(めでた)い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。──「コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで」

非常に有名な言葉だが、別に小林は戦争や軍国主義を肯定したわけではない。歴史を後から裁断する人間の傲慢さ、みっともなさを指摘しただけである。史観の中に整理づけることがそもそもアホだと言ったのである。

こうあって欲しいという未来を理解する事も易しいし、歴史家が整理してくれた過去を理解する事も易しいが、現在というものを理解する事は、誰にもいつの時代にも大変難かしいのである。歴史が、どんなに秩序整然たる時代のあった事を語ってくれようとも、そのままを信じて、これを現代と比べるのはよくない事だ。その時代の人々は又その時代の難かしい現在を持っていたのである。少くとも歴史に残っている様な明敏な人々は、それぞれ、その時代の理解し難い現代性を見ていたのである。あらゆる現代は過渡期であると言っても過言ではない。──「現代女性」

歴史は理論では裁断できない。封建時代というものを設定し、その時代の道徳や思想に、「封建」という言葉を冠せ、「封建道徳」「封建思想」と呼んだところで、その時代の道徳や思想はわかるものではないと小林は言う。どの時代にも矛盾や混乱があったのであり、その中にそこで苦しみ、生活をしていた人々を理解しようとしなければならないと。

歴史は、人類の巨大な恨みに似ていると小林は言う。それは、われわれの愛惜の念であり、因果の鎖ではない。

小林は、子供に死なれた母親を例に出す。母親にとって、歴史事実とは、子供の死という出来事が、幾時、何処で、どういう原因で、どんな条件の下に起こったかという、単にそれだけのものではない。そこには、かけ代えのない命が、取り返しがつかず失われてしまったという感情が伴う。

望みが打ち砕かれるところに、われわれは歴史の必然を経験する。抵抗するから、歴史の必然は現れる。

これは因果関係や史観といったものとなにも関係はない。われわれが日常生活において感じる素朴な歴史感情である。

痛みは伝達不可能だ。

 僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。
 大事変が終った時には、必ず若(も)しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。
 必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起こらなかったか。
 どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。
 僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。

── 小林秀雄