NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

「平和なときの平和論」

「【主張】憲法9条 平和はだれが守るのか ノーベル賞騒ぎは何だった」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/141019/clm1410190002-n1.html

 戦後日本の平和と安全は、憲法9条によって守られてきたのではない。当たり前のことを言わねばならないのは「平和憲法」によってのみ安全が保たれたかのような錯覚に、国民や他国の一部が陥っているようにみえるからだ。

 今年のノーベル平和賞の候補として憲法9条が取り沙汰された。しかし、いま目を向けるべきは、在日米軍自衛隊を担い手とする日米安保体制による抑止力が機能していたからこそ、戦後、他国との武力衝突が一度もなかったという冷厳な現実である。


 ≪多くの問題点をはらむ≫

 「平和憲法で平和が保てるのなら、台風の日本上陸禁止も憲法に書いてもらえば安心して寝られる」と、皮肉を込めて憲法の欠陥を喝破した碩学(せきがく)の田中美知太郎の言葉を改めてかみしめよう。

 9条を含めた現行憲法は、多くの問題点をはらんでいる。

 産経新聞が昨年4月にまとめた「国民の憲法」要綱は、守るべき価値観として、天皇に加え、国民主権、平和主義、基本的人権などを挙げた。平和主義については、これまでのような「消極的平和主義」ではなく、「積極的平和主義」への転換を打ち出した。有事に備えて国防の軍を保持することも明示した。

 これらは国民の平和な暮らしを守る備えを万全にする方策だ。条文にとらわれるより、よりよき日本にすることの方が憲法の精神を生かす。備えの具現化に力を尽くしていきたい。

 この際、憲法をもっとよく知るべきだ。この憲法は、日本が米国に敵対しないように意図されたことに問題の出発点がある。占領下の昭和21年、連合国軍総司令部(GHQ)スタッフがわずか1週間で原案を作成し、日本側に押し付けた。

 占領者は占領地の法律を尊重することを定めたハーグ条約(陸戦法規、1907年)の明白な違反であった。日本の伝統的価値観を知らないGHQ作成のため、国家観や家族観も欠落した。

 9条へのノーベル平和賞授与を関係団体は来年も申請する構えだというが、日本の実態は自国の平和を他国に委ね、国際紛争を傍観してきたといえないか。

 受け身で他者依存、さらには危険から逃げ回ってきた戦後の消極的平和主義は限界に達している。前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」安全と生存を保持できないのは明らかだ。

 これらを正すという安倍晋三政権による集団的自衛権の行使容認の閣議決定を重ねて支持する。

 9条の基本理念は積極的平和主義にある。それは9条冒頭の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」との文言と、前文の「恒久の平和を念願」「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ」「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」が示している。


 ≪放棄したのは侵略戦争≫

 戦争放棄も侵略戦争を放棄した意味だ。9条1項の戦争放棄の対象は「国際紛争を解決する手段として」としているが、この文言は不戦条約(戦争放棄に関する条約、1928年)にも存在している。自衛戦争を排除するものでないことは国際合意でもあった。

 現実離れしているのは「陸海空軍その他の戦力」不保持条項だ。「前項の目的を達するため」が国会審議中に挿入された結果、禁止されているのは侵略戦争であり、自衛戦争と侵略を制裁する集団安全保障措置は対象にならないとの有力な憲法解釈があったが、政府はこれを受け入れなかった。

受け入れられていれば、自衛隊違憲論議などの不毛な論争は存在しなかっただろう。

 だが現実は、他国の武力行使との一体化は憲法上、許されないとの解釈で国際社会の共同行動への参加をしばしば逡巡(しゅんじゅん)してきた。

 直視すべきは、これからの平和をいかにして守るかだ。戦後70年近く続いた平和を大切にしたい思いは尊重したいが、祈りだけでは国は守れない。

 憲法改正が党是の自民党内からも、9条がノーベル平和賞の受賞候補になったことに、「誇りに思う」などの声が出た。憲法改正をどう進めるというのだろう。

 要は、日本の守りに欠かせぬ抑止力を強め、国際の平和と安全のためになすべきことを実行する。よりよき9条にすることが世界から促されている。


翁にも曰く、、、

 内村鑑三は「平和なときの平和論」と言いました。ずいぶん昔言った言葉ですが、いまだに生きて痛切ですから私は再三引用して、しまいには自分の言葉のような気がして失礼しています。これを聞いて何が分るかというと、平和なときに平和論を唱えるのは、勇気がいるように見えますから皆さん言いますが実はちっともいりません。

 勇気は戦争になってから平和論を唱えるほうにいります。言えば袋だたきにされます、うしろに手が回ります、それでも言いはると牢屋に入れられます。このとき袋だたきにするのは、ほかでもないあの平和なときに平和論を唱えた者どもです。

── 山本夏彦『何用あって月世界へ』