NAKAMOTO PERSONAL

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マスコミの『思考停止』

翁に曰く、

テレビは巨大なジャーナリズムで、それには当然モラルがある。私はそれを「茶の間の正義」と呼んでいる。眉ツバものの、うさん臭い正義のことである。

── 山本夏彦『何用あって月世界へ』


「現実主義の安倍政権に置いていかれるマスコミの『思考停止』」(現代ビジネス)
 → http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39818

安倍晋三政権が集団的自衛権憲法解釈見直しに伴う自衛隊法など関連法の改正審議を来年の通常国会に先送りした。当初は改正内容が整った法案から随時、今秋の臨時国会に提出して審議を仰ぐ予定だった。ここへ来て、先送りしたのはなぜか。

改正が必要な法案はぜんぶで15本以上ある、といわれている。まず、これらの改正案づくりが大変な作業で時間がかかる、という事情はあるだろう。安倍首相は日本経済新聞との会見で「全体を一括して進めたい。少し時間がかかるかもしれない」と説明している。

中身は相互に密接にかかわっているので、法案を1本ずつ審議するより、まとめて審議したほうが効率的で議論の密度も濃くなるのはたしかだ。だが、本音は「ここで一息入れて、じっくり国民の理解が熟成するのを待つ」という政治判断ではないか。

解釈変更を閣議決定してから、マスコミ各社の世論調査では内閣支持率が急落した。たとえば解釈変更を支持している読売新聞(7月2~3日)でも、支持率は57%から9ポイント下落し、48%と初めて5割を切った。


肝心なのは閣議決定ではない

安倍政権は解釈変更を急ぐ理由を「12月に米国との防衛協力指針(ガイドライン)の改定作業が控えているので、それに間に合わせる必要がある」と説明していた。だが、専門家によれば「ガイドライン見直しに間に合えば、それに越したことはないが(日本の政策方針変更と法整備の方向について米国が確信できれば)すべての法案が見直しまでに成立している必要は必ずしもない」そうだ(森本敏『日米同盟強化のための法整備を急げ』「Voice」8月号)。

森本によれば、現行ガイドラインも策定後に「おおよそ3年ほどかかって一連の有事法制を整備していった。ガイドラインの前に1本の法律も成立していなかったのである」という。そうだとすれば、ガイドライン見直しの話は、公明党の妥協を促す方便の1つだった、ということになりかねない。

このあたりはプロ同士は分かっていたのだろうが、報じるマスコミ側を含めて、政府の話はあまり鵜呑みにしないほうがいい、という例の1つではある。

それはともかく、あれほど大騒ぎした解釈見直しを受けて、肝心の法改正は先送りとなると、これをどう受け止めるべきか。まず強調しなければならないのは「肝心なのは最初から法改正であって、閣議決定ではない」という点だ。

閣議決定は所詮、政府内の話である。それで物事が決まるわけではない。日本は法治国家であり、実際の政策はあくまで法律に基づくのだから、法改正されなければ、何一つ事態は変わらない。極端に言えば、政府がいくら閣議決定しようと、国会で関連法案を否決されてしまえばそれまでだ。

そこを、大々的に反対論を展開したマスコミは勘違いしているのではないか。国会は衆参両院とも与党多数なので、国会で関連法案が可決成立する見通しはたしかにある。だが、たとえばその前に衆院解散・総選挙があって与党が敗北したり、あるいは与党の中から採決で造反が起きて可決できなければ、何も起きない(もっと言えば、法案が可決成立したとしても、その後に政権交代が起きて、見直しに反対する勢力が法律を元に戻してしまえば同じである)。

安倍政権はだから当たり前の話だが、法改正こそが主戦場とみていた。「閣議決定は政府の仕事だから、本格的な国会審議は法改正のときに」と説明していたのは、そういう事情である。そう考えると、そんな大事な法改正を先送りしたのは、別に本質的な理由がある。私は「安倍政権が現実主義を身に付けてきた証拠」とみる。


第1次政権の崩壊で学んだ安倍首相

政権側からみると、いまの状況で与党が可決しようと思えば、できないことはない。公明党だけでなく日本維新の会や次世代の党、みんなの党が賛成しているから、衆参両院で過半数は十分確保できる。

それを避けてあえて先送りしたのは、先に書いたように「国民世論の熟成」を重視したからだ。無理押しして反発を招くよりも、じっくり時間をかける。それで支持率の回復を待つ。そういう政治判断である。私は、ここが2006年第1次政権の失敗から学んだ最大の教訓になっている、と思う。

第1次政権は一言で言えば「正しいこと、やるべきことをやるのが大事。そうすれば国民は必ず理解してくれる」と考えていた政権だった。それで公務員制度改革をはじめ、さまざまな改革に手を付けたが、政権自体に地力が備わっていなかったために、霞が関や党内守旧派の抵抗に遭ってあえなく崩壊した。

今回の政権は当時の痛い経験を踏まえてスタートしている。つまり「正しいこと、やるべきことであっても、機が熟していなければ手を付けない。政権が十分な地力を備えたときに初めて前に進む」と考えているのだ。

内閣支持率の低下は、あきらかに政権体力の低下を示している。そこでもっと激しい運動をすれば、思わぬ怪我をしかねない。そうみたのではないか。

それは「政権の現実主義」と言い換えてもいい。「正しいこと、やるべきことの実現にまい進する」理想主義の政権ならば、ここは当初方針通り、臨時国会から法案提出を考えただろう。だが、いまの安倍政権はどうやら、そんな理想主義を卒業したようだ。

私がそう考える別の例は、内閣人事局である。どういうことか。民主党政権交代する前、麻生太郎内閣が2009年3月に提出した法案は、人事院の機能を大幅に内閣人事局に移す内容になっていた。ところが、今回の安倍政権が提出し成立させた国家公務員制度改革基本法人事院を事実上、温存した形になっている(参議院の調査室が作成したリポートが参考になる)。

だから09年当時の考え方からすると、今回は実は改革後退といってもいい。理想主義に立つなら09年法案の成立を目指すのが筋なのだが、そこを安倍政権は一歩引いて「人事院の意見を聞く」形に妥協した。それで、とにかく内閣人事局の発足を優先したのである。

まずは幹部人事の官邸掌握を目指した。それは今回の人事で省庁間交流や女性幹部の登用という形で実現した。これも「正しいことを一挙にできなくても、半歩は前に進む」という現実主義の例である。


マスコミは思考停止に陥っている

ちなみに、6月13日公開コラムで触れたように、マスコミ各紙は官僚出身である杉田和博内閣官房副長官の初代内閣人事局長就任を確定的に報じていた。だが、結果は衆院議員である加藤勝信官房副長官が就任した。人事局の体制では霞が関の主張に配慮したが、肝心のトップは政治主導を貫いたのだ。

余談だが、この人事について、あるコラムは「杉田に内定していたものを菅官房長官が安倍首相に進言してひっくり返した、とされているが、反対派を抑えこむために最後に『だまし討ち』することを決めていたかもしれない」という推測を書いている。

本当は安倍と菅は早い段階から加藤の起用を決めていた。単にマスコミ報道がそろって間違っただけだ。それを証明するエピソードを紹介しよう。

ある政権幹部はあまりに間違った報道が続くので、さすがに心配になって最高責任者に「方針を変えたのですか」と聞いてみた。すると、その最高責任者は「何も変えていないよ。ぼくもあんまり報道が間違うから、あなたが目くらましに喋っているのかと思ったよ(笑)」と答えた。「いや、それは大変失礼しました(笑)。了解しました(笑)」。以上である。

安倍政権政権運営について現実主義を身に付ける一方、一部のマスコミはますますイデオロギーに凝り固まって、歪んだ理想主義に走っている。もはや暴走状態といってもいい。典型的なのは「安倍政権立憲主義を無視している」という主張である。

内閣法制局は長く「集団的自衛権憲法違反」と言ってきた。にもかかわらず、安倍首相は「政府の最高責任者は私」と言って解釈を変えたから「立憲主義や法の支配を否定している」と批判しているのだ。そういう論者は、内閣法制局憲法解釈の全権を握っている、とでも思っているのだろうか。

憲法解釈をするのは、憲法第81条で「最高裁違憲法令審査権を有する終審裁判所」と決まっている。内閣法制局は法律問題について内閣総理大臣に意見を述べる役所にすぎない(内閣法制局設置法第3条)。

総理を飛び越えて内閣法制局が判断し、それが結論という話になったら、それこそ立憲主義と法の支配の否定ではないか。官僚万能という話になる。最高裁が示した範囲内で憲法解釈を考えていくのは、政府の仕事だ。

実際、政府は集団的自衛権について過去、解釈が揺れ動いてきた。4月18日公開コラムで指摘したように、当初はそもそも「解釈に自信がない」とさえ言っていたのだ。

このままだと、こうした一部のマスコミは政権の現実主義にけっして追いつけないだろう。政権が何をしようと「戦争をめざす安倍政権」の一言で反対し、後は思考停止状態で一切の議論を受けつけないのだ。いったん、こういう病に陥れば、あとは現実がどうなろうと関係ない。ひたすら空理空論を唱えるだけになる。

私は新聞社に勤めて38年になるが、自分が勤める新聞を含めてマスコミがこういう展開になったのは初めての経験だ。現実から遊離したマスコミは「現実を伝える」という報道の基本に立ち返るべきだ。