NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

西洋哲学者の金言

ニーチェヤスパースフランクル……西洋哲学者の金言」(PRESIDENT Online)
 → http://president.jp/articles/-/12287

 時代を超えて私たちの胸を打つ、哲学者たちの名言の数々。大ベストセラー『超訳 ニーチェの言葉』の著者が厳選、“超訳”してお届けする。

 愛からなされる
 ことはいつも
 善悪の判断の
 向こう側にある。
ニーチェ『善悪の彼岸』

 実は私たちは善悪の基準というものを持っていない。善悪と言いながら、ほとんどの場合は自分の損得や欲得で判断している。だからしばしば自分に都合のいいものが善で、都合の悪いものは悪とみなされる。

 一方で宗教的な善悪や社会の伝統的な善悪といったものが私たちの生活を律している。しかし、それは善悪の一つの基準であって、それが本当に正しいのかどうかはわからない。何が正しくて、何が正しくないか、などというのは時代や環境によっていかようにでも変わるからである。

 ニーチェは彼が生きていた当時の世間の常識、善悪の基準だったキリスト教的な道徳がいかに薄っぺらなものであるかを見破って、『善悪の彼岸』で批判した。この一節にある「善悪の判断の向こう側」とは善悪の彼岸、要するに善悪を超えた領域という意味だ。

 ニーチェは「愛からなされること」は「善悪の判断を超える」という。たとえば、愛する人を守るために嘘をつくことも、愛しいわが子を飢えさせないために食べ物を盗むことも、「(薄っぺらな)善悪の判断を超える」行為だというのだ。

 人間の本能や野性をクローズアップし、極端に言えば、「愛からなされる行為なら何をしたっていい」というのがニーチェの考え方である。しかし、キリスト教的な価値観が支配的だった当時の世の中では、下品で非常識としか受け取られなかった。

 意味のある日、
 無駄な日が
 あるのではない。
 この一日、またこの一日、
 毎日毎日が
 高価なのである。
ヤスパース『哲学入門』

 ヤスパースは精神科医から哲学者に転じたドイツ人である。実存主義の代表的な哲学者で、『哲学入門』は彼がラジオで行った講演をもとに著された。

 ナチス体制下のドイツで、ヤスパース強制収容所に送られることになったユダヤ人の妻を庇って抵抗し続け、自宅に立てこもった。自殺寸前まで追い込まれたが、米軍が彼らの住む街を占領したことで難を逃れたという。ヤスパースが死と隣り合わせの極限的な体験をしていることを知ると、彼の言葉に一層重みを感じるのではないだろうか。

 時間が足りない
 のではない。
 時間をみすみす
 浪費しているから、
 そう思うにすぎない。
セネカ『人生の短さについて』

 思ったような成果が得られないと無駄足を踏んだと考える現代人は多い。誰もが無駄のない時間を過ごして、効率よく生きようとする。しかし、意味がある日も、無駄な日もない。人生はわずかな一滴までも味わい尽くすべきであり、限られた生の中では日々は決して取り戻すことのできない高価なものなのだ。

 今は誰も彼も忙しいと言いながら、その合間にもテレビを見たり、ゲームをしたり、ツイッターフェイスブックをやっている。あるいは酒を飲んだりしている。時間がなくなるのは当然である。そして、時間をひねり出すために、便利な道具を使って効率を上げようとする。たとえばパソコンを導入して本当に仕事の効率は上がるのだろうか。むしろ無駄な手順ばかりが増えているという気がする。

 時間を増やす努力をするより、時間を無駄にしない努力をするべきだと思う。しかし、私たちは自分のくだらない習慣やつまらないこだわり、不要な趣味や耽溺、密かな逃避にみすみす時間を浪費しているという自覚がない。経験的に言えば、時間が足りないのであれば集中するしかない。私の場合、瞑想で集中を高める。足を組まずに椅子に真っ直ぐに座って、何も考えずに呼吸だけに集中する。これを15~20分、1日に2回ぐらい続けていると、集中力が非常に高まってくる。

 セネカは紀元前後のローマ帝政時代の政治家であり哲学者だが、悲劇や人生についての随筆を数多く記した文筆家として知られている。『人生の短さについて』は非常に薄い本で読みやすいが、生き方についてのダメ出しが多いキツイ本でもある。セネカの言葉に頷けるならば、豊かな人生を見出せるかもしれない。

 安定していないこと。
 それこそが、
 世界がここにこうして
 存在するときの
 定まった形なのである。
ショーペンハウアー『自殺について』

 『自殺について』というショーペンハウアーの短い著作は、自殺を肯定している本ではなく、自殺がいかにバカバカしいものであるかということが書かれている。紹介した言葉はその中に出てくる一節である。

 世の中、不安定なものなのだから、それに対応した生き方をするべきだとショーペンハウアーは言う。

 彼が勧めるのは、「今を感じて生きる」ということだ。人は明日のことをあれこれと考えすぎる。たとえば明日のデートがうまくいくように、デートコースをシミュレーションしたり、話題を一生懸命考える。そのためのハウツー本もたくさん売られている。しかし、前もって準備をしてもうまくいかないのは当然で、相手も自分も生き物だから日々刻々状況は変わる。

 大切なのはその場、その場に応じて感応することだ。つまり、感じて、対応するのである。世の中は常に不安定なのだから、その場を楽しむ。その瞬間を楽しむ。

 厳しいことを言えば、震災や津波原発災害からの「復興」というが、それはありえない。元の生活に戻ることは決してなく、置かれた状況に応じてやっていくしかないのだ。「元に戻りたい」と思って足掻けば足掻くほど、苦しむ結果になる。

 現代人は効率よく生きるために、喪失や艱難や苦悩はなるべく避けるというスタンスで生きている。しかし、そういう苦しみを引き受けることが人を成長に導き、豊かな人生につながる。

 仕事で失敗したくないと誰でも思うだろう。しかし仕事の失敗というのは、損得でしかものを考えない経営者から見た失敗であって、人間的な失敗ではない。むしろ失敗から得られるものは多い。それをいかに汲み取るかである。

 私の人生も8割、9割が失敗と苦労の連続だったが、それが糧になっていると思う。

 父親と母親の介護を8カ月間やったが、1日3食作って朝から晩まで下の世話をするというのは本当にしんどい。食事が喉を通らなくなり、体重がみるみる減った。血を吐き、鬱になり、こちらの身が持たなくなった。

 しかし、人間は極限まで追い込まれると世界が変わるらしい。介護生活が5カ月目に入った頃、あれだけ苦しみに満ち溢れていた世界がガラリと変わって、澄み切った世界になった。そのときにたまたまニーチェを読んだら、これまでとは違う理解ができるようになったのである。あの苦労がなかったら、本(『超訳 ニーチェの言葉』)は書けなかっただろう。

 成果がなかったということは、
 無意味だったということではない。
 たとえば、恋愛に成功しなかった
 ということが、無駄だったとか、
 心を痛めただけだったということを意味
 しているのではない。
 なぜならば、その苦悩の中で人は
 たくさんのものを得るからだ。苦悩が
 あるから成熟する。苦悩したからこそ、
 新しく成長できる。喪失、艱難、苦悩は、
 人に豊かなものを与えてくれるのだ。
フランクル『死と愛』

 前出のヤスパース同様、フランクルもまたナチス強制収容所に送られて米軍に解放される経験をしている。数多くの著作を残しているが、自らの経験に裏打ちされたフランクルの言葉は平易でありながら力強く、非常に感動する。一度、読んでみてほしい。


しかし、まぁ、ぼのちゃんに曰く、、、

結局みんなにはわかってもらえなかったけど、それでもいいのだ。だってボクはつまらない話ってなかなかいいと思うのだ。

── ぼのぼの『ぼのぼの 20』