日本は「自己」に目覚めよ
「【正論】『トランプ外交』は危機の叫びだ 評論家・西尾幹二」(産経新聞)
→ http://www.sankei.com/column/news/180608/clm1806080004-n1.html
やや旧聞に属するが、昨年の東京都議会選挙で自由民主党が惨敗し、続く衆議院選挙で上げ潮に乗った小池百合子氏の新党が大勝利を収めるかと思いきや、野党に旗幟(きし)を鮮明にするよう呼びかけた彼女の「排除」の一言が仇(あだ)となり、失速した。そうメディアは伝えたし、今もそう信じられている。
≪「排除」は政治的な自己表現≫
私は失速の原因を詮索するつもりはない。ただあのとき「排除」は行き過ぎだとか、日本人の和の精神になじまない言葉だとか、しきりに融和が唱えられたのはおかしな話だと思っていた。「排除」は失言どころか、近年、政治家が口にした言葉の中では最も言い得て妙な政治的自己表現であったと考えている。
そもそも政治の始まりは主張であり、そのための味方作りである。丸く収めようなどと対立の露骨化を恐れていては何もできない。実際、野党第一党の左半分は「排除」の意思を明確にしたので立憲民主党という新しい集団意思を示すことに成功した。右半分は何か勘違いをしていたらしく、くっついたり離れたりを重ね、意思表明がいまだにできていない。
今の日本の保守勢力は政党人、知識人、メディアを含め、自己曖昧化という名の病気を患っている。今後の新党作りの成功の鍵は、自民党の最右翼より一歩右に出て、「排除」の政治論理を徹底して貫くことである。小池氏はそれができなかったから資格なしとみられたのだ。
実際、日本の保守勢力は自民党の左に立てこもり、同じ所をぐるぐる回っているだけで「壁」にぶつからない。新しい「自己」を発見しない。今までの既成の物差しでは測れない「自己」に目覚めようとしない。
≪秩序の破壊は危険水域を越えた≫
世界の現実は今、大きな構造上の変化に直面している。かつてない危機を感じ取り、類例のない手法で泥沼の大掃除をすべく冒険に踏み出そうとしている人がいる。米国のトランプ大統領である。
彼はロシアと中国による世界秩序の破壊が危険水域を越えたことを警鐘乱打するのに、他国から最もいやがられる非外交政策をあえて取ってみせた。中国を蚊帳の外にはずして、急遽(きゅうきょ)、北朝鮮と直接対話するという方針を選んだ4月以降、彼は通例の外交回路をすべてすっとばして独断専行した。
同時に中国には鉄鋼とアルミに高関税を課す決定を下した。それは当然だが、カナダや欧州やメキシコなど一度は高関税を免除していた同盟国に対し、改めてアメリカの国防上の理由から高関税を課す、と政策をより戻したのは、いかな政治と経済の一元化政策とはいえ物議を醸すのは当然だった。
彼はなぜこんな非理性的な政策提言をしたのだろうか。世界の秩序は今、確かに構造上の変化の交差路に立たされている。アメリカ文明はロシアと中国、とりわけ中国から露骨な挑戦を受け、軍事と経済の両面において新しい「冷戦」ともいうべき危機の瀬戸際に立たされている。トランプ政権は、北朝鮮情勢の急迫によってやっと遅ればせながら中国の真意を悟り、この数カ月で国内体制を組み替え、反中路線を決断した。
トランプ氏は人権や民主主義の危機などという理念のイデオロギーには関心がない。しかし軍事と経済の危うさには敏感である。アメリカ一国では支えきれない現実にも気がつきだした。そのリアリズムに立つトランプ氏がアメリカの「国防上の理由」から高関税を遠隔地の同盟国にも要求する、という身勝手な言い分を堂々と、あえて粉飾なしに、非外交的に言ってのけた根拠は何であろうか。
≪日本は「自己」に目覚めよ≫
トランプ氏はただならぬ深刻さを世界中の人に突きつけ、非常事態であることを示したかったのだ。北朝鮮との会談に世界中の耳目が集まっているのを勿怪(もっけ)の幸いに、アメリカは不当に損をしている、と言い立てたかった。自国の利益が世界秩序を左右するというこれまで言わずもがなの自明の前提を、これほど露骨な論理で、けれんみもなく胸を張って、危機の正体として露出してみせた政治家が過去にいただろうか。
政治は自己主張に始まり、「排除」の論理は必然だと私は前に言ったが、トランプ氏は世界全体を排除しようとしてさえいる。ロシアと中国だけではない。西側先進国をも同盟国をも排除している。いやいやながらの同盟関係なのである。それが今のアメリカの叫びだと言っている。アメリカ一流の孤立主義の匂いを漂わせているが、トランプ氏の場合は必ずしも無責任な孤立主義ではない。北朝鮮核問題は逃げないで引き受けると言っているからだ。
ただ彼の露悪的な言葉遣いはアメリカが「壁」にぶつかり、今までの物差しでは測れない「自己」を発見したための憤怒と混迷と痛哭(つうこく)の叫びなのだと思う。日本の対応は大金を支払えばそれですむという話ではもはやない。日本自身が「壁」にぶつかり、「自己」を発見することが何よりも大切であることが問われている。
『行動することが生きることである』
自分の貧乏なぞに気にしないで、とにかく生きていくチャンスを探しに、一歩前進する、構わず歩き出して見る。
そういうのが好きです。
── 宇野千代 (『行動することが生きることである』)
平成8年(1996)の今日は、宇野千代さんの命日です。
『行動することが生きることである』より厳選25言。
名言の宝庫です。
- 人間の考えることは、その人の行動によって引き出されることが多い。
- 自分から進んでその中に這入っていくことによって、私は傷つかないことを覚えた。
- 何事をするにも、それをするのが好き、と言う振りをすることである。それは、単なるものまねでもいい。すると、この世の中に、嫌いなことも、また嫌いな人もいなくなる。
- 悪口を言わない、ということは、そう難しいことではない。悪口を言うと、気持ちが悪い。私はただ、気持ちの悪いことはしないだけなのだ。
- 恋とか愛情とか言うものは、そこにないものを見る心の作用のことなのだ。
- 人はその人自身の思っているほど、自分の嫌いな、自分に不似合いな行き方はしないものである。
- 人には信じられないことだけれど、言って見れば、私は、何か困ることがあって、それを少しずつ直して行くのが好きである。
- 人間というものは、一旦覚悟を決めたとなると、どんなことでも出来るものです。
- どん詰まりの状態になったときに、私ならどうするのか、と言うことをお話しましょうか。 私なら、自分が最後に下した判断を、絶対に信じる、と言うことです。
- 人間は自分の可厭(いや)なことは決してしないものだ。
- 人間は、ちょうど自分の見ようとするもの、自分の聞こうとするもののほかは、理解しないものだ。
- 人間は自分の作った観念に支配されるのが好きだ。
- 人と言うものは面白いもので、自分の思っていることを人に話したりするたびに、どうしてもこのことを実行したい、と切実に思うよになる。
- 人はその持っている能力によって失敗する。
- おかしなことですが、自信のない人間は、褒められた事柄に対しても、また新しい不安を持つものであり得ると言うことです。
- 人間は誰でも、自分が平静であると言う状態を装って、それで生きて行く。
- 人間というものは、他愛もないことであればあるほど、腹を立て、それを止めないことがある。
- しかし、一ぺん人に笑われたら、あとは笑われた者の得だ。
- やりきれない状態と言うものは、その当人がやりきれないと思う分量が多ければ多いほど、やりきれない形になる。平気でいれば或る程度、平気になれるものである。
- 人間と言う動物は、何事にも飽きるものである、と言うことをお忘れなく。
- 真の友だちに対しては残酷になりたい、と私はそんなことを思ったのでした。
- 未練の感情くらい、人を愚かに、そして弱々しくさせるものはない。
- 人は、自分の好きなことをするためにする少しばかりの苦労は、心にかけぬものである。
- どんなことでも一生懸命でやっていると、とても面白くなるものです。
- 自分の貧乏なぞに気にしないで、とにかく生きていくチャンスを探しに、一歩前進する、構わず歩き出して見る。そういうのが好きです。
『宇野千代の札幌時代を歩く』 http://www.tokyo-kurenaidan.com/uno-chiyo1.htm#unochiyo3
『淡墨桜と根尾谷断層』 http://sakura5.net/neo/
十数年も前に立ち寄った岩国、錦帯橋。
『2005年08月16日(Tue) 「15日目」』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20050816
『2005年08月02日(Tue) 「旅に出ます」』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20050802
お国はどちらです?と訊かれると、「岩国です、あの錦帯橋の」と答えるのが私の癖である。いつ帰ってみても錦川の水は澄んでいる。魚がおよいでいるのがよく見える。春夏秋冬の錦帯橋は、それぞれに美しいが、桜のころの錦帯橋は、特に大好きである。この錦帯橋をわたるたびに、私は何ともいえない幸福な気持ちになる。いくら自慢しても自慢しきれないほどの気持ちになるのである。
── 宇野千代
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一日一言「断じて行えば鬼神も避く」
六月九日 断じて行えば鬼神も避く
今日は曇っている、今日は雨が降ると不平を言っても、空は晴れない。雨が降ったら、傘一本で自分の行動は決まる。くよくよと嘆いて自分の望みがかなうのなら、人生など寝ぼけている奴がみる現(うつつ)みたいなものだろう。物事を起こすときは、断行することである。断じて行えば鬼神もこれを避けるものである。
為せば成りなさねばならぬものなるを
成らぬといふは為さぬなりけり
赤猫にも曰く、
雨はまだ、降っているけれど。歩き出さなきゃ。 空が晴れるまで、待っているわけにはいけないくて。だからね、歩きださなきゃ。 少しずつ。
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一日一言「無欲の幼心」
六月八日 無欲の幼心
いつも欲のない幼心になりたいものである。富める者をうらやましいと思うこともなく、人を憎まない優しいあかんぼうの心に戻ったなら、世の中のわずらわしさも感じずに、やすやすと毎日を過ごすことができる。路上で知らぬ人に逢っても嬉しく、夜、床についてもうなされる心配もない。
寝し夢もさめし現(うつつ)も幼児の
母に添寝のふところの中
おのづから我を離れてみどり子に
なりて教にまかせ皆人
そんな時の良寛さん。
花は無心にして蝶を招き、
蝶は無心にして花を尋ねる
花開く時 蝶来たり
蝶来る時 花開く
吾もまた人を知らず
人もまた吾を知らず
知らずして帝則に従う
── 良寛禅師
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ヘタな人生論より良寛の生きかた―不安や迷いを断ち切り、心穏やかに生きるヒント (河出文庫)
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1つぐらい諦めてもよかったのに…
「【野口健の直球&曲球】栗城史多さん、1つぐらい諦めてもよかったのに…」(産経新聞)
→ http://www.sankei.com/column/news/180607/clm1806070006-n1.html
また1人、仲間が山で逝(い)ってしまった。ヒマラヤから帰国したその日に栗城史多(くりき・のぶかず)さんの訃報(5月21日、35歳で死去)が報じられた。エベレストを単独無酸素で挑戦中の遭難だった。
4月下旬、ベースキャンプ手前の氷河の中で栗城さんとすれ違った。その日はうっすらと粉雪が降り、霧に覆われるモレーン(氷堆石)の彼方(かなた)から影が現れた。栗城さんだった。その日の栗城さんは、とても小さく見えた。「健さん、元気そうですね」と小さな声が聞こえた。言葉の代わりに息遣いによる会話が続く。手を握り「無事に降りてきてね」に「うんうん」と小さくうなずいていた。
別れ際、遠ざかっていく栗城さんの後ろ姿をカメラに収めようと構えたが、シャッターを押せなかった。その行為自体に意味をもってしまうことが怖かったのだ。「いつも通り戻ってくるさ」とつぶやいてみたが、その言葉が霧とともにモレーンの彼方に消えていくようでむなしかった。
彼が20代前半の頃「僕も7大陸最高峰を登ります。単独、無酸素でエベレストに登ります」と声をかけてくれたのが初対面。多くの学生が同じようにやってきたが、大半は「やってみたい」と言うだけ。「やってみたい」と「やります」では、まるで違う。彼は、はにかみながらも「やります」と宣言した。自ら厳しい条件をつけ、エベレストに挑み続けるが、敗退を繰り返す。凍傷により手の指を9本切断。それでも挑戦を続ける彼に「単独か無酸素か、どちらかを捨てるべきだ。捨てることによってつかめるものもある。このままでは登れないどころか命を落とす」と話した。彼はいつも小さくうなずくだけで、翌年には同じスタイルでエベレストに向かった。
世間に大きく注目され、引くに引けない状況まで追い込まれていたのかもしれない。登山家は、無事に登り、生きて帰ってくるためには自分を客観しなければいけない。心の弱さが招いてしまった遭難だろうとも感じる。登山スタイルを変えても栗城さんの魅力がうせることはなかったはず。人生、1つぐらい諦めてもよかったのに、と。
『白骨の御文』
朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。
── 『白骨の御文』
『真宗大谷派(東本願寺)TOMO-NET』 http://www.tomo-net.or.jp/
『吉崎御坊蓮如上人記念館』 http://www.honganjifoundation.org/rennyo/
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