NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

『ハリネズミの願い』

「ネガティブすぎるハリネズミの姿が共感を呼んで9万5000部。本屋大賞受賞の海外小説」(文春オンライン)
→ http://bunshun.jp/articles/-/2453

 自分のハリが大嫌いで、ほかの動物たちとうまく付き合えないハリネズミ。突然みんなを自宅に招待しようと思い立つが、本当にやってきたらとんでもないことが起こりそう。せっかく書いた招待状を出さないまま、ハリネズミの妄想と不安は広がっていく……。

 そんな風変わりなシチュエーションを描いた海外小説が、静かな共感の輪を広げ、部数を伸ばしている。

「〈キミたちみんなを招待します。……でも、だれも来なくてもだいじょうぶです。〉という招待状の文を読んだ瞬間、この本はおもしろいと確信しました」(担当編集者の須貝利恵子さん)

 著者のトーン・テレヘンさんは、オランダで子供から老人までとても幅広い読者を獲得している、国民的作家。本書の日本での読者も、30代・40代の女性を中心に、高校生から年配の男性まで、性別・年齢を問わない。谷川俊太郎さん、江國香織さん、小川洋子さんら著名人からも共感の声が寄せられ、全国の書店員からも猛プッシュを受け続けている。つい先日には、定評ある本屋大賞の翻訳小説部門で1位を獲得した。

「何が面白いのかという人もいますが、好きな人にはたまらない1冊なのではと思います」(須貝さん)

 8月には新たな訳書が刊行予定。また、長らく絶版となっていた既訳の『だれも死なない』も復刊の予定があるという。著者の名前が日本でも広く知られるようになる日は近そうだ。


2016年6月発売。初版8000部。現在17刷9万5000部

ハリネズミの願い

ハリネズミの願い

一日一言「克己復礼」

五月十六日 克己復礼


 寛政四年(西暦一七九二年)の今日は、林子平が禁固に処せられた日で、その彼の言葉に次のようなものがある。

 克己とは「己」に勝つということである。己とは私欲のかたまりであり、自分勝手なことをするのはすべてそのせいである。この己を除くのが克己である。復礼とは、その欲に勝って道と義にかなうことを行うべきである。世の中には、礼にかなうものとそうでないものがあり、いちいち顧みるべきである。みだりに怒ってしまうようなときなどに、これはどうしてかと顧みるならば、そのれは自分のわがままから生じる病のようなものであり、一度顧みることでたちまち消散するはずである。もっとも、それには強い精神力を必要とする。


  堪忍と聞けば易きに似たれども己に勝つ替へ名なるべし 〈林子平

── 新渡戸稲造(『一日一言』)


雨上がりの夕暮れ。


一日一言「言わせておけばいい」

五月十四日 言わせておけばいい


 人が自分の悪口をどれほど言ったとしても、言い訳などする必要はない。言わせておけばよいのである。昔の偉い人は皆そのことを守ってきた。


  思ふ川深き渡りの船人は
      打ちくる波に争はぬなり

  世の人が邪見をぬいてかゝるとも
      我がりようけんの鞘にをさめよ

── 新渡戸稲造(『一日一言』)


かの偉大なる肝臓医にも曰く、

言いたい者には、言わしめよ。人に対して怒ってはならない。ただ、汝の信ずるとろころを正しく行えば足りるものである。

── 坂口安吾『肝臓先生』

肝臓先生 (角川文庫)

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カンゾー先生 [DVD]

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偶然を味方にする

「成功する人とは『偶然を味方にできる人』だ 偶然を味方にする具体的な手段は存在する」(東洋経済ONLIEN)
 → http://toyokeizai.net/articles/-/171251

 本書『成功する人は偶然を味方にする』はコーネル大学の人気教授で、ニューヨーク・タイムズの人気コラムニストでもあるフランク教授の著書ということで、よくありがちなアメリカ的な成功指南書なのかと思って読み始めた。


偶然や運の果たす役割

 特に、邦題が『成功する人は偶然を味方にする』となっているので、偶然さえも自分の力でコントロールできるという意味なのかと誤解しそうだが、実際には成功者に自分の成功をもっと謙虚に受け止めるよう諭すと同時に、才能や努力といった個人の力だけではどうにもならない社会的な問題を解決し、幸運な社会を作るための公共政策的な提案を行っている経済学の本である。

 それで改めて原題を見てみると、「Success and Luck : Good Fortune and the Myth of Meritocracy」(成功と運:幸運と実力主義という神話)となっていて、邦題とは微妙にニュアンスが違う。この原題から読み取れるように、著者は成功に至る過程で運が果たす役割の重要性に焦点を当て検証しているのである。

 他方、本書に関するネット上の書評や感想を見てみると、成功を左右するのは個人の才能や努力ではなくて、結局のところ偶然や運なのだと、身も蓋もない解釈しているものが多く見られたが、それも本書の理解としては正しくない。

 著者の言わんとしていることは、才能と努力なしに成功するのは難しいが、才能があって努力をしても必ずしも成功できる訳ではなく、生まれや育ちも含めて、実際にはそこに数多くの偶然や幸運が関わっており、決して個人の力だけで成功した訳ではないという、両者の中間辺りのニュアンスなのである。要は、かつてナポレオンが言ったように、「すぐれた能力も、機会が与えられなければ価値がない」ということである。

 本書では、著者自身の生い立ちや心不全で倒れて奇跡的に生還した実体験などから、ビル・ゲイツを始めとする企業家、アスリート、音楽家、映画俳優の成功ストーリーまで、様々な事例や社会実験を通じて、成功には如何に多くの偶然や運が関わっているかが示されている。

 更に、才能があって努力するという資質そのものが、家庭環境によって早い段階から獲得される幸運な優位性なのだとして、著者は次のように述べている。

“才能と努力だけで経済的成功が保証されるとしても(実際はされないのだが)、運が不可欠であることに変わりない。才能豊かで、まじめに働く意欲が高いこと自体が、そもそも大きな幸運によるものなのだから。わたしは運・不運が個人の資質の違いにつながると訴えたいわけではない。近年の研究で明らかになった、偶然のできごとや環境的要因が――個人の資質や欠点とはまったく無関係のものが――人生を左右するという事実をみんなにも知ってほしいのだ。”

 そして、こうした偶然や運の果たす役割は、ITやグローバル化の進展によって「ひとり勝ち市場(winner-take-all) 」が拡大し、競争が激化したことで、この数十年で格段に大きくなったと言う。

 他者より1%頑張って働く人や 、1%多く才能がある人が 、1%多い所得を得るというのなら分かるが 、今やこうした小さな違いが何千倍もの収入の違いにつながるため、偶然の果たす役割はどんどん重要になってきているというのである。


外的な力の役割をどう考えるか

 こうした著者の主張を我々はどう受け止めるべきなのか?

 この点について、ニューヨーク・タイムズのコラムニストのデイヴィッド・ブルックス氏は、2012年の大統領選の最中にオハイオのビジネスマンから届いた手紙に対して、次のように上手に答えている。

 質問:「ここ数年で、事業に成功しました。これまで懸命に働き、成し遂げたことに誇りをもっています。ところがオバマ大統領は、成功には社会や政治の力も寄与していると言います。ミット・ロムニーイスラエルを訪問し、国の貧富の差は文化の力によると言いました。わたしは混乱しています。成功の要因のうち、わたしの力によるものはどのくらいで、わたし以外の力によるものはどのくらいなのでしょうか?」

 回答:「外的な力の役割をどう考えるかは、あなたが人生のどの段階にいるのかと、先を見ているのか後ろを振り返っているのかによります。将来のすべての業績は自分ひとりで成し遂げるもの、過去のすべての成功は大いなる恩恵を受けたものと考えるべきです……人生を歩むにつれ、自分がどれだけの功績に値するかについての考えは変わります。人生を始めるときは、自分がすることはすべて自分がコントロールしているという幻想を抱くと良いし、人生を終えるときは総じて、自分の功績以上のものを得たと認めるべきです……野心的な企業幹部にとって大切なのは、自分の実績はすべて自分の力によるものだと信じることですが、これは人としては愚かな考えだと知ることが重要です。」

 以上が、本書の成功と運に関する部分なのだが、実はここからが本題で、著者が最も言いたかったのは、人々が幸運を掴みやすくするための具体的手段は存在するということなのである。そのひとつは個人の行動や生き方や姿勢に関わるもので、もうひとつは政策的なアプローチとしての税制改革を通じた公共投資である。


多くの人々が幸運を享受できる環境

 先ず、前者について、著者は次のような興味深いことを言っている。

“わたしの長年の研究テーマは、道徳心と利己心の不一致は思ったほど大きくないというものだ。1988年に出版した本では……過酷な競争環境のなかであっても真に誠実な人々は成功することを紹介した。信頼が求められる状況で信頼される人には、大きな価値がある。……
私たちがしっかり人を見分ければ、誠実な人は、その誠実さゆえに手に入れ損なった儲けよりも多くのものを手に入れるだろう。”

 こうした一見矛盾するような考え方は、「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一の『論語と算盤』にも通じるものがあるように思う。即ち、渋沢栄一が「道徳経済合一説」を説き、論語に基づく企業経営を実践したのと同じ文脈で、著者も道徳心論語)と利己心(算盤)は両立すると言っているようである。

 また、後者については、税制のあり方を抜本的に見直して「累進消費税」を導入することで、社会の活力を削ぐことなく多くの人々が幸運を享受できる環境を創り出すことができることを示したかったのが、本書を執筆したそもそもの動機だと言っている。

 尚、ここで言う累進消費税とは、いわゆる個々の商品購入に対してかかる消費税ではなく、個人の年間収入から貯蓄額と基礎控除を差し引いた総消費額に対して、今の所得税と同じように、一年に一度、累進課税するという仕組みである。

 この累進消費税を活用して、個々人の成功の前提となる社会基盤を整備し、より多くの人々が幸運を享受できる環境を創り出そうというのである。著者の例えで言うなら、でこぼこで穴だらけの道をフェラーリで走るのと、平らに舗装された道をポルシェで走るのと、お金持ちにとってどちらが心地良く感じるかということである。つまり、仮に累進消費税によって税金を多く取られることで、金持ちの車がフェラーリからポルシェにダウングレードすることになったからといって、実際の効用も相対的な満足度も下がらないし、むしろ後者の方が心地良いはずだというのである。

 このように、本書を単なる個人が成功に至る上での運の重要性を解明したものと捉えるか、或いは多くの人々により開かれたチャンスを提供するインクルーシブな社会への提言と見るか、読み方は読者の視点に委ねられているのである。

成功する人は偶然を味方にする 運と成功の経済学

成功する人は偶然を味方にする 運と成功の経済学

歴史とは虹のようなものである

「【編集者のおすすめ】歴史とは虹のようなものである 『渡部昇一の少年日本史』渡部昇一著」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/life/news/170422/lif1704220032-n1.html

 次世代への切なる「遺言」

 博識と鋭い洞察力で、幅広い評論活動を行う著者。17日、多くの人に惜しまれながら86歳で逝去された渡部昇一氏が、これからの日本を担う若い世代に向けてつづった日本通史の決定版です。

 「少年少女諸君!」という呼び掛けに始まり、神代から古代・中世・近世・近代・現代に至るまで、著者は日本史の中で重要だと考える出来事だけを抽出されたといいます。300ページに及ぶこの一冊に、日本史の面白いエキスがまるごと詰まっていると言っても過言ではありません。

 実際に本書の基になる原稿を読んでもらった高校生からは、「今まで学校で教わったり、新聞やテレビで形作られたりした私の価値観が大きく変わりました」「教科書よりも丁寧にわかりやすく書かれていてとてもよかったです」「歴史を好きな高校生も苦手な高校生も、この本を読めば歴史への見解が変わると思います」といった声が…。

 著者は述べます。「歴史とは単なる事実の積み重ねではなく、虹のようなものである。歴史的事実という水滴を、日本という場所、現代という時代から、われわれの目を通して眺めた時に見えてくるもの。それこそ日本人にしか見えない虹、国史(=国民の歴史)である。自分の目に虹のように映る国を持てることが何よりの幸いである」と。

 日本人と日本の行く末を最後まで案じておられた著者。本書はその切なる思いを託した、次世代への“遺言”ともいえる一書です。(致知出版社・2000円+税)

渡部昇一の少年日本史

渡部昇一の少年日本史

少年日本史

少年日本史

植村直己

今日のお山。





「ご存知ですか? 5月11日は松浦輝夫植村直己が日本人初のエベレスト登頂成功をした日です」(文春オンライン)
 → http://bunshun.jp/articles/-/2454

「いや、おまえ、先に行け」山頂直前のドラマ


 いまから47年前のきょう、1970(昭和45)年5月11日、日本山岳会エベレスト登山隊の松浦寿夫植村直己が日本人初のエベレスト登頂に成功した。

 登山隊のうち第1次アタック隊に選ばれた二人はこの日早朝6時に、8513メートル地点のキャンプから出発、植村が先に行きながら山頂をめざした。これは大学山岳部では下級生が先に行くという慣習にしたがったものである。松浦としては、植村が万が一滑落したとき自分が止める絶対の自信があったし、植村としても松浦が後ろにいると思うと恐怖を感じなかったという。

 いよいよ頂上が見えたとき、植村は後ろを振り返ると、松浦に先に登頂するよう勧めた。これに松浦は「いや、おまえ、先に行け」と合図するも、植村は動かない。結局、松浦と植村は肩を並べるようにして頂上に立った。ときに午前9時10分。植村は感極まっていきなり松浦に抱き着くと、涙を流したという。松浦も植村をしっかりと抱きしめ、互いに無言のまま息がつまるほど背中を叩き合った(長尾三郎『マッキンリーに死す 植村直己の栄光と修羅』講談社文庫)。植村はこの時点ですでにヨーロッパのモンブラン、アフリカのキリマンジャロ南アメリカアコンカグアに登頂しており、70年中にはエベレストに続いて北アメリカのマッキンリーに登頂し、5大陸最高峰を制覇している。

 なお、松浦・植村の登頂の5日前、1970年5月6日には、プロスキーヤー三浦雄一郎がエベレストのサウスコル8000メートルからのスキー滑降に成功した(日本山岳会エベレスト登山隊もその様子を見届けている)。三浦はその後もエベレストにチャレンジし続け、2013年5月23日には80歳でエベレストに登頂し、最高齢登頂記録を更新する。ちなみにエドモンド・ヒラリーとテンジンによる世界初のエベレスト登頂は1953年5月29日、日本女子登山隊の田部井淳子による女性による世界初登頂は1975年5月16日と、いずれも5月のできごとだった。

植村直己 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%9D%91%E7%9B%B4%E5%B7%B1
植村直己冒険館』 http://www3.city.toyooka.lg.jp/boukenkan/

 高い山に登ったからすごいとか、厳しい岩壁を登攀したからえらい、という考え方にはなれない。山登りを優劣でみてはいけないと思う。要は、どんな小さなハイキング的な山であっても、登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山がほんとうだと思う。

── 植村直己(『青春を山に賭けて』)

青春を山に賭けて (文春文庫)

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植村直己、挑戦を語る (文春新書)

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