NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

「全ては可能だ」

「やりたいことだけをだな、やり続けていくと、類は友を呼ぶの法則に従って、俺達から何かを学ぼうと思う人達を引きつける。そして俺達もまたその人達から何かを学ばなくてはいけない」

「でも人を引きつけられるようになるまでには、長い間の信仰が必要だろう?」

「信仰なんて言葉どこから持ってきたの?」

「いや別に、ちょっと使ってみただけ」

「信仰なんてバカの使う言葉だ」

「じゃ何だ」

「想像力」

 そう言ってドンはチーズバーガーをかじった。パンの表面についていた胡麻がパラパラとテーブルに落ちる。ドンはその胡麻の一粒をつまんで見せた。

「君にこの胡麻くらいの想像力があれば、全ては可能だ」

── リチャード・バック著(村上龍訳)(『イリュージョン』

イリュージョン (集英社文庫)

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Illusions

Illusions

賢を行はんとして、

 賢を行はんとして、
 自ら〔を〕賢とするの心を去らば、
 いずくんぞ
 往きて美ならざらんや。
    韓非子』説林上


往きて ─ どういう場合でも

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)

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  • 作者:韓 非
  • 発売日: 1994/04/18
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人を自在に動かす 武器としての「韓非子」

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一日一言「幼児の心」

三月三日 幼児の心


 子供達のひな祭りの様子を見ていると、幼児の優しいしいここにはここには学びたいものがある。大人も幼児のような心を失ってはならず、幼い子のような透明な心は、見習うべきものである。


 <明治天皇御製>
 思ふこと繕ふこともまだ知らぬをさな心のうつくしきかな

 思ふことうちつけにいふ幼子の言葉はやがて歌にぞありける

── 新渡戸稲造(『一日一言』)


小さな王子は言いました。

 おとなというものは、数字がすきです。新しくできた友だちの話をするとき、おとなの人は、かんじんかなめのことはききません。〈どんな声の人?〉とか、〈どんな遊びが好き?〉とか、〈チョウの採集をする人?〉とかいうようなことは、てんできかずに、〈その人、いくつ?〉とか、〈きょうだいは、なん人いますか〉とか、〈目方はどのくらい?〉とか、〈おとうさんは、どのくらいお金をとっていますか〉とかいうようなことを、きくのです。そして、やっと、どんな人か、わかったつもりになるのです。
 おとなの人たちに〈桃色のレンガでできていて、窓にジェラニュウムの鉢がおいてあって、屋根にハトのいる、きれいな家を見たよ・・・〉といったところで、どうもピンとこないでしょう。おとなたちには〈十万フランの家を見た〉といわなくてはいけないのです。すると、おとなたちは、とんきょうな声をだして、〈なんてりっぱな家だろう〉というのです。

── サン=テグジュペリ(『星の王子さま』)

ホムサにも曰く、

「その調子だと、おまえ、すぐにおとなになっちまうぞ」と、ホムサ兄ちゃんがさとしました。
「父さんや母さんみたいな、おとなになるんだ。おまえにゃ、ぴったりだぜ。ごくふつうに見て、ごくふつうに聞くだけのおとなだ。つまり、なーんにも見ないし、なーんにも聞かないってことだな。とどのつまり、おまえは、なんにもできなくなっちまうんだ。」

── トーベ・ヤンソン(『ムーミン谷の仲間たち』)

星の王子さま―オリジナル版

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一日一言「慈眼慈心」

三月二日 慈眼慈心


 身分の高い低いを問わず、どんな人でもその心の内を察すると、かわいそうと思うことがある。自分の才能や家柄、地位、財産を得意になっている人も流行の女性歌手も、人の車に乗る旦那も、またその車を引く人も、みんなそれぞれ身の上を問いただしてみると、誰一人として悩みのない者はない。


  慈悲の目に憎しと思ふ人はなし
      科(とが)ある身こそ猶哀れなれ

── 新渡戸稲造(『一日一言』)



漱石先生に曰く、

のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする。

── 夏目漱石『吾輩は猫である』

吾輩は猫である (岩波文庫)

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小林秀雄

 理想や真理で自己防衛を行うのは、もう厭(いや)だ、自分は、裸で不安で生きて行く。そんな男の生きる理由とは、単に、気絶する事が出来ずにいるという事だろう。よろしい、充分な理由だ。他人にはどんなに奇妙な言草(いいぐさ)と聞こえようと自分は敢えて言う、自分は絶望の力を信じている、と。若(も)し何かが生起するとすれば、何か新しい意味が生ずるれば、ただ其処からだ。

── 小林秀雄『白痴』について2


昭和58年(1983年)3月1日 小林秀雄 没

 小林さんは極く素直な人だつたのであり、こちらが素直に対すれば、小林さんも亦素直に応じてくれる人だつだと信じてをります。それにもかかはらず私は物を書く時、それがどんな些細なものであれ、小林さんの鋭い眼を意識せずにはゐられませんでした。時折、私の右肩越しに後ろから私の文章を見つめてゐる鋭い眼光を実感するのです。時には敢へてそれを振切り、全くその存在を忘れて暴走して見ますが、そんな時に限つて、これを小林さんに見られたら何と言はれるかなと、必ず心の引緊る思ひがしたものです。

── 福田恆存(『小林秀雄弔辞』)

 また、私が越後の親戚へ法要に赴くとき、上野駅で彼に会った。彼は新潟高校へ講演に行くところであった。彼は珍しくハカマをはいていた。私は人のモーニングを借り着していたのである。
 大宮から食堂車がひらいたので、二人で飲みはじめ、越後川口へつくまで、朝の九時から午後二時半まで、飲みつづけたね。二人ともずいぶん酔っていたらしい。越後川口で降りるとき、彼は私の荷物をひッたくッて、急げ急げと先に立って降車口へ案内して、私を無事プラットフォームへ降してくれた。ひどく低いプラットフォームだなア。それに、せまいよ。第一、誰もほかに降りやしない。駅員もいねえや。田舎の停車場はひどいもんだと思っていたが、バイバイと手をふって、汽車が行ってしまうと、私はプラットフォームの反対側の客車と貨物列車の中間に立たされていたのだね。私がそこへ降りたわけじゃなくて、彼が私をそこへ降したのである。親切に重い荷物まで担いでくれてさ。小林さんは、根はやさしくて、親切な人なんだね。

── 坂口安吾(『小林さんと私のツキアイ』)

小林秀雄 (批評家) - Wikipedia』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%A7%80%E9%9B%84_%28%E6%89%B9%E8%A9%95%E5%AE%B6%29
学生との対話

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新装版 考えるヒント (文春文庫)

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小林秀雄の流儀 (文春学藝ライブラリー)

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小林秀雄の悲哀 (講談社選書メチエ)

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一日一言「日々の仕事を自分のものと思う」

二月二十九日 日々の仕事を自分のものと思う


 二月の平年は二十八日までだが、閏年は二十九日となっている。この一日を仕事する人は損をしたと思うし、商売する人は得をしたという、同じ一日がこのように正反対なのは、日々の仕事を自分のものと思うか否かによるものである。


  我がものと思へば軽し笠の雪

── 新渡戸稲造(『一日一言』)

[新訳]一日一言

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武士道 (岩波文庫 青118-1)

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自警録 (講談社学術文庫)

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一日一言「栄誉と恥辱」

二月二十八日 栄誉と恥辱


 世の中で栄誉と恥辱というものを考えると、世間への聞こえや評判、見栄に関するものが多く、中には良心とまったくかけへだてているものもある。高い位や高い地位に就くことは、名誉なことに違いないが、これを得るまでの行動や手段によっては、良心に恥じるようなこともある。人を蹴落として求めた栄誉は、得たときから卑しいものとなる。


   諂(へつら)ひて富める人よりへつらはで
       まづしき身こそ心やすけれ       <一休禅師>


── 新渡戸稲造(『一日一言』)

 あの男は、王さまからも、うぬぼれ男からも、呑み助からも、実業屋からも、けいべつされそうだ。でも、ぼくにはこっけいに見えないひとといったら、あのひときりだ。それも、あのひとが、じぶんのことでなく、ほかのひとのことを考えているからだろう。

── サン=テグジュペリ『星の王子さま』

星の王子さま―オリジナル版

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