「最悪の事態」に備えた総社市の対応の速さ
「【野口健の直球&曲球】『最悪の事態』に備えた総社市の対応の速さ」(産経新聞)
→ http://www.sankei.com/column/news/180712/clm1807120006-n1.html
またしても大規模災害が発生した。西日本を中心としたこの度の災害は、豪雨災害として平成に入って最悪の被害をもたらした。先月は大阪北部を震源とした直下型地震で大きな被害を出したばかり。一昨年の熊本地震の際、共同でテント村を運営した岡山県総社市も豪雨によって大きな被害を受けた。片岡聡一市長は「われわれが助けてもらう立場にたってしまった」と。この国で生きていく以上、自然災害はまさに「明日はわが身」なのである。
今回も総社市の対応の速さには目を見張るものがある。被災地で重要となってくるのはタイムリーな情報。片岡市長が発信し続けるツイッターからの情報がリアルで具体的だ。「総社市全域に避難勧告を発令」「高梁川が危険です。高いところに避難してください」から始まり、全国から集まるボランティア団体の受け入れや活動の内容や感謝の言葉まで、現場の写真とともに詳細に情報発信し続ける。
連日、1千人近いボランティアが市庁舎に集まる。驚かされるのがその多くが高校生や大学生たちだったこと。片岡市長は、活動を行った学生たちと意見交換を行い、現場の声を集め、次の指示に生かしていく。それらの様子もタイムリーにアップされるため、さらにボランティアは集まり、必要な救援物資が全国から届けられる。
「災害の時は全て1・5倍増しのスピードでジャッジし、1・5倍の熱意と量をこなす。首長が決断しないと現場が動けない。無理やり、決めることもある」と片岡市長。平成25年、総社市は全国に先駆けて「総社市大規模災害被災地支援に関する条例」を制定、市長の権限において即座に被災地支援が行える体制を整えた。昨年9月には「総社市大規模災害被災者受け入れに関する条例」を制定。市内の空き家を想定し、所有者と交渉を進め、被災者の住居に充てるというものだ。
よく「想定外」という言葉が使われるが、日頃から「最悪の事態は起きるもの」とリアルにイメージし備えておくことによって「より多くの命」が救われていくのだろう。私も現場に入り、できることをやっていく。
“幸福三説”
今日は蝸牛忌。
昭和22(1947)年7月30日、幸田露伴 没
海舟、評して曰く、
小説もたいくつなときには、読んでみるが、露伴という男は、四十歳くらいか。あいつなかなか学問もあって、今の小説家には珍しく物識りで、少しは深そうだ。聞けば、郡司大尉の兄だというが、兄弟ながらおもしろい男だ。
露伴流、幸福になるための3つの方法。
『努力論』より“幸福三説”
- 惜福 = 福を惜しむ。→ http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20131220
- 分福 = 福を分ける。→ http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20131224
- 植福 = 福を植える。→ http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20131229
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小中学校での「教科化」が目指すべき真の目的
「道徳教育が必要なのは『ゲスの極み』な大人だ」(東洋経済オンライン)
→ https://toyokeizai.net/articles/-/230922
今年4月から、小学校の「道徳」が「特別の教科」に格上げされた(中学校は2019年4月から)。これに伴い、道徳も「評価」の対象となった。
では、そもそも私たちにとって「道徳」とは何だろうか。この問いに答えられる親や教師、「大人」はいるのか。ほんとうに「道徳教育」を必要としているのは誰なのか。新刊『大人の道徳』を上梓した気鋭の若手教育学者が、大人たちが最低限知っておくべき前提から問い直す。「サムライ」戦士たちの「清々しさ」
サッカーワールドカップロシア大会が7月18日閉幕しました。日本代表チーム「サムライブルー」の戦士たちの、じつに「きよきよしい」……いや、「すがすがしい」活躍は、まだ記憶に新しいところでしょう。たしかに、大会途中には、「サムライブルーはサムライではない」といった、厳しい批判を浴びたこともありました。言うまでもなく、あのポーランド戦終盤の「ボール回し」戦術です。
それについては、いまでも賛否の分かれるところではあるでしょう。私自身も、全面的に肯定とも否定ともいえない、微妙な思いが残ります。
しかし、1つ考えてみてください。
もし、同じ状況で、同じ戦術を、フランスやベルギーといったヨーロッパのチームがとったとしたら、それでも今回と同じようなバッシングが巻き起こったでしょうか。
たしかに、批判が出たことは出たでしょう。けれども、おそらく私たちは、「やっぱりヨーロッパは合理主義だなぁ」と、諦めて納得するしかなかったのではないでしょうか。少なくとも、日本代表が国内外から受けたような「汚い」「醜い」「それでもサムライか」などといった激しいバッシングにまでは、ならなかったのではないかと思われます。
つまり、あの「ボール回し」が激しい批判を浴びたのは、いやしくも「サムライ」を名乗る「日本」の代表チームであるからには、正々堂々、潔く、清々しい戦いぶりをみせてほしいという、期待や願望の裏返しでもあったわけです。しかも、その期待や願望を、日本人のみならず、世界の人びともまた、共有していたのです。
だから、その後、力の限り正々堂々と戦ったベルギー戦での戦いぶりや、何より、それに敗れた後、ロッカールームをみずから清掃し、「スパシーバ(ありがとう)」と書き残して去っていった、あの潔く美しい去り方が、やはり国内外からの激賞を受けたことは、じつは「ボール回し」が酷評を受けたことと、表裏の関係にあるわけです。「それでもサムライか」という侮蔑を受けた日本代表は、「やっぱりサムライブルーはサムライだった」という尊敬を得て、「サムライ」にとって何よりも大事な、「名誉」を回復したのです。
若き「サムライ」とゲスの極みな「大人」
ところで、「サムライ」と聞いて、私が思い出すのは、同じスポーツ界で、少し前に起こった一大事件、すなわち日大アメフト部の悪質タックル問題です。ワールドカップの熱狂にかき消されて、もはや「そういえば、そんなこともあったな」という過去の出来事になろうとしていますが、これはいろいろな意味で、現代の、そして将来の日本を考えさせてくれる、たいへん示唆深い出来事であったように、私には思われます。
この事件でも、「顔を出さずして何が謝罪か」といって、メディアの前に堂々と顔を出し、実名まで公にして、正直な言葉と誠実な態度で、心を尽して謝罪した、加害選手の潔く清々しい姿が話題になりました。
いや、より正確にいえば、嘘とデタラメを並べ立て、本来守るべき学生にむしろ罪をなすりつけ、なんとしてでも地位を保って利権にしがみつこうとする、あのあまりにも醜く恥知らずな監督(当時)の姿と、一度はその監督の権力に屈したものの、あくまでもみずからの良心に従って行動し、潔く謝罪した加害選手の姿との、あまりのコントラストに、日本国民は、ほとんど唖然とするほかなかったのです。
私が印象的だったのは、テレビの街頭インタビューなどで(もちろん、それは意図的に編集されたものではあるのでしょうが、そうであるとしても)、世代を問わず、多くの人が、加害選手に対して、「潔くて立派だ」「正直でいい」「誠実な態度でよかった」等々といった、圧倒的な好感のコメントを寄せていたことでした。
それのどこが印象的なのかといえば、まさにこれらの「潔さ」「正直さ」「誠実さ」という観念こそは、いわゆる伝統的な「武士道」という思想において、最も核心的な価値とされてきたものであり、また、したがって、近代になってからは、「日本人」が最も大事にすべきとされてきた、道徳的価値にほかならないからです。
これだけ、カネがすべて、利益がすべて、経済がすべてという世の中にあって、それとはほとんど正反対ともいえる「サムライ」の道徳が、まだ日本の庶民たちのなかに生き続けていたのだということに、私はむしろ、新鮮な驚きを感じました。
しかも、その「サムライ」の道徳を見事に体現してみせたのは、「道徳意識が低下している」などと言われて久しい「若者」だったのです。そして、むしろ、「最近の若者には道徳教育が必要だ」などと言っている「大人」の「教育者」のほうが、カネと利益のためなら恥も名誉も知ったことかという「ゲス」さ加減を、これまた見事なまでに、体現してみせたのです。
道徳を知らない「大人」たち
さて、かねて報道され、賛否が飛び交っているとおり、2018年4月から、小学校の「道徳」が「特別の教科」に格上げされました(中学校は2019年4月から)。子どもや若者たちの道徳意識が低下しているのは、学校がきちんと道徳教育をしていないからだ。だから、たんなる教科外活動としての「道徳の時間」ではなく、「道徳科」という「教科」として、教科書を使ってきちんと授業をして、子どもたちの道徳性を「評価」せよ、というわけです。しかし、いったい、ほんとうに「道徳教育」を必要としているのは、誰なのでしょうか。
今回のワールドカップの日本代表は、ベテラン選手が中心で、一部では「おっさんジャパン」などとも揶揄されましたが、スポーツ選手としてはともかく、社会的には、30代はまだじゅうぶん「若い世代」です。ましてや、日大の加害選手にいたっては、まだ学生でした。
10代の学生や、20代、30代の若いスポーツ選手たちが、見事に「サムライ」らしい道徳を発揮したのです。そして、それに対して、日本の圧倒的多数の庶民たちが、共感と称賛を寄せました。
他方、何万人という前途ある若者たちを預かり、彼らを「教育」すべき立場にある「大人」のほうは、「サムライ」らしい道徳のカケラもなく、むしろその若者たちを、おのれの利益のための「手段(道具)」にさえしていたのです。
しかも、その日大アメフト部監督の姿は、ある人物を、まざまざと連想させるものでさえありました。
言うまでもなく、わが日本国民を「代表」する内閣総理大臣、安倍晋三氏その人です。
当時、「内田正人と安倍晋三は瓜二つじゃないか!」というコメントが、ネット上にあふれかえりました。まさにそのとおりです。
潔さも正直さも誠実さもなく、厚顔無恥で、保身のためには、あからさまな嘘をひたすら並べ立てて、はばからないところ。本来、政治や教育の「目的」であるはずの国民や学生を、私的な利益のための「手段(道具)」に貶めて、平然としているところ。これらの点において、まさに両者はまったく瓜二つです。
ところが、です。ほかならぬその安倍首相こそ、2006年の第一次政権以来、「最近の若者には道徳教育が必要だ!」と声高に訴え続け、教育基本法の改正や「道徳」の教科化を断行した、張本人なのです。
こうなると、この主客転倒ぶりは、ほとんどグロテスクであるとさえ、言わなければならないでしょう。ともすれば、自身の道徳性のあまりの欠如に対する心理的な不安から、それを「国民」や「若者」に投影しようとする、病的なメカニズムがはたらいているのではないかと、疑いたくなるほどではないでしょうか。
誤解のないように断っておきますが、私自身は、「道徳教育」は必要であると考えています。「道徳教育」は、「学校」という近代の公教育制度が担うべき、本質的な役割の1つです。だから、「道徳は個人の内面の問題だ。教育がそこに介入してはならない」などといった、戦後日本のステレオタイプな道徳教育批判に与するつもりは、まったくありません。「道徳」の教科化にも、原理的には賛成です。
けれども、むしろそういう思想的立場からみて、安倍政権による道徳教育政策は、まったくナンセンスで、首をひねるどころか、頭を抱えざるをえないものなのです。
福沢諭吉、中江兆民、幸徳秋水の「武士道」と「道徳」
では、いま本当に必要な「道徳教育」とは、どのようなものなのでしょうか。それは、若者や子どもに、「道徳心」を植えつけることではありません。「道徳心」が低下しているから、それを植えつけるべきだという話ではないのです。
サッカーワールドカップや、日大タックル問題が示しているのは、「最近の若者」は、じゅうぶん道徳的だということです(ワールドカップでは、サポーターが会場のゴミ拾いをしていたというではありませんか)。そして、それを道徳的だと評価できる大多数の国民も、やはりじゅうぶん道徳的なのです。彼らはみな、「サムライ」の何たるかを、いわば肌感覚として、知っています。つまり、「サムライ」の道徳は、日本国民のなかに、暗黙の規律、いわば「心の習慣」として、いまなお、生き続けているのです。
大事なことは、その暗黙の規律として、日本国民のなかに生きている道徳心に、言葉と論理を与えることです。そして、それによって、いわば無自覚に抱いている道徳心を意識化し、みずからのものとして、自覚的に追求することができるようになるということです。それが、ほんとうに必要な、日本人の道徳教育であると、私は考えます。
というのは、じつはそれは、かつて明治において、「近代日本」の建設に立ち会った人びとが、理想としてめざしていたことでもあったのです。『武士道』で有名な新渡戸稲造だけでありません。福沢諭吉や中江兆民など、立場は異なれど、それぞれに日本の近代化のために尽くした人びとは、みな一様に、日本が近代化をめざす真の目的は、日本人の道徳的な向上にこそあり、それはすなわち、日本人が「サムライ」になるということである、と考えていました。
福沢諭吉は、近代の日本人が何よりも大切にしなければならないのは、「富」を失っても「名」を貶めてはならぬとする、「やせ我慢」の「士風」であると力説しました。中江兆民は、西洋近代社会でいう「市民」とは、日本でいう「士」であると言いました。つまり、民主主義とは、国民全員が「士」すなわち「サムライ」になることだと、彼は考えたのです。さらに意外に思われるかもしれませんが、兆民の弟子で社会主義者となった幸徳秋水は、国民全員が「武士道」という道徳的理想を実現することこそが、社会主義のほんとうの目的なのだと訴えました。
これが、彼らにとっての「近代日本」だったのです。
自然な欲望の追求は「奴隷」の道徳
そして、彼らが最も恐れたのは、カネがすべて、利益がすべて、生産性がすべてという価値観に支配され、経済成長こそが国家の至上命題となるような社会でした。それは彼らにとって、人間が「人間」としての名誉と誇りをかなぐり捨て、みずから「奴隷」となることに満足を見いだすような社会だったのです。なぜなら、「奴隷」とは、自分で自分を支配し、独立するのではなく、自分以外の何ものかに服従し、支配される存在であるからです。おのれの利益や快楽を求める本能的な欲望に抵抗しようとせず、その支配に、みずからを喜んで委ねる者。強力な権力者が自分(たち)を支配してくれることに、むしろ平和と安楽を見いだし、みずから望んで、その支配に服従しようとする者。それが「奴隷」にほかなりません。
私たちが、「サムライ」という観念に、まだどこか「人間」としての理想をみているのだとすれば、それは、私たちはけっして、そのような奴隷の生き方も、奴隷の社会も、望んではいないということです。そのことを、私たちはまず、はっきりと自覚する必要があります。
スポーツ選手だけが、スポーツの世界のなかだけで「サムライ」であっても、意味がありません。国民一人ひとりが、それぞれの現実の生において、「サムライ」の道徳を実現してこそ、はじめて日本人は、奴隷状態を脱却し、人間として、また国民としての、「名誉」を獲得(回復)することができるのです。
「道徳教育」とは、そのためにこそ、あるものではないのでしょうか。
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ところで小林君、
ところで小林君、この事件では常識では説明のできないような点がいろいろあるね。それをひとつかぞえあげてみようじゃないか、これが探偵学の第一課なんだよ。
昭和40年7月28日 江戸川乱歩 没
かくいうぼくも、名探偵明智小五郎と小林君をはじめとする少年探偵団の活躍に胸踊らせた一人です。
そのころ、東京中の町という町、家という家では、ふたり以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、怪人「二十面相」のうわさをしていました。
「二十面相」というのは、毎日毎日、新聞記事をにぎわしている、ふしぎな盗賊のあだ名です。その賊は二十のまったくちがった顔を持っているといわれていました。つまり、変装がとびきりじょうずなのです。────
このお話は、そういう出没自在、神変ふかしぎの怪賊と、日本一の名探偵明智小五郎との、力と力、知恵と知恵、火花をちらす、一騎うちの大闘争の物語です。
大探偵明智小五郎には、小林芳雄という少年助手があります。このかわいらしい小探偵の、リスのようにびんしょうな活動も、なかなかの見ものでありましょう。
さて、前おきはこのくらいにして、いよいよ物語にうつることにします。
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