『素直な心になるために』
素直な心の内容10条
- 私心にとらわれない - 素直な心というものは、私利私欲にとらわれることのない心、私心にとらわれることのない心である。
- 耳を傾ける - 素直な心というものは、だれに対しても何事に対しても、謙虚に耳を傾ける心である。
- 寛容 - 素直な心の内容の中には、万物万人いっさいをゆるしいれる広い寛容の心というものも含まれている。
- 実相が見える - 素直な心というものは、物事のありのままの姿、本当の姿、実相というものが見える心である。
- 道理を知る - 素直な心というものは、広い視野から物事を見、その道理を知ることのできる心である。
- すべてに学ぶ心 - 素直な心というものは、すべてに対して学ぶ心で接し、そこから何らかの教えを得ようとする謙虚さをもった心である。
- 融通無碍 - 素直な心というものは、自由自在に見方、考え方を変え、よりよく対処してゆくことのできる融通無碍の働きのある心である。
- 平常心 - 素直な心というものは、どのような物事に対しても、平静に、冷静に対処してゆくことのできる心である。
- 価値を知る - 素直な心というものは、よいものはよいものと認識し、価値あるものはその価値を正しくみとめることのできる心である。
- 広い愛の心 - 素直な心というものは、人間が本来備えている広い愛の心、慈悲の心を十二分に発揮させる心である。
── 松下幸之助(『素直な心になるために』)
1989年(平成元)4月27日 松下幸之助 没
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亡くなった“知の巨人”
「亡くなった“知の巨人”渡部昇一氏は世評に惑わされずに、…」(Viewpoint)
→ https://vpoint.jp/column/updraft/86271.html
巌流島の決闘で終わる『宮本武蔵』(吉川英治)は著者独白の、こんな一節で長編の幕を引く。<波騒は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を、水の深さを。>。
亡くなった“知の巨人”渡部昇一氏は世評に惑わされずに、自らの透徹した眼で“百尺下の水の心を、水の深さを”計れる人であった。そのことを如実に示すのは、主要メディアによる昭和57年の教科書問題誤報事件での氏の言論である。
事件は6月26日付の朝日などが56年度の高校歴史の教科書検定で、日本の「中国侵略」を「進出」に書き換えたと大々的に報じたことから火を噴き、国際問題化した。だが、「侵略→進出」の書き換え報道は事実無根の誤報であった。
それを最初に報じた小紙(8月6日付)記事をもとに、渡部氏らが独自の切り口などを加えて誤報メディアを糾弾した「萬犬虚に吠えた教科書問題」(「諸君!」10月号)は、同じ9月2日発売の週刊文春の特集記事とともに大きな衝撃を呼んだ。
「諸君!」で渡部氏から「七月二十七日頃からの連日の報道にもかかわらず、半月近く経った現在でも各教科書の名前をあげて具体的記述の変化を記述したものは、私の目に入ったものでは『世界日報』(八月六日三面)だけ」と評価を頂いた。
86歳の逝去。並の学者ならば大往生だろうが、氏においては少し早過ぎと惜しまれるのである。
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渡部昇一さんのこと
「熊野の旅と、渡部昇一さんのこと - 鈴木邦男」(BLOGOS)
→ http://blogos.com/article/218877/
4月14日(金)から16日(日)まで、熊野に行ってきた。イルカ・ジャーナリストの坂野正人さんに誘われたのだ。熊野本宮大社の宮司さんと知り合いで、15日(土)の大祭にも参列するという。熊野古道も歩けるし、那智の滝もある。イルカ漁に反対する映画『ザ・コープ』で有名になった太地町もある。そのあたりを車でまわるという。これは凄い。「ぜひ連れて行ってください」と即答した。
熊野は日本の原郷だ。行ってみたいと思っていたが、機会がなかった。内田樹さんと釈 徹宗さんの対談本『聖地巡礼』の第2巻は熊野学で、これを読んでぜひ行きたいと思い、自分のブログに書いた。坂野さんはこれを読んで「じゃあ」と誘ってくれたのだ。熊野の3日間は、まるで夢のようだった。予定された所はすべて見た。さらに、登るのが日本一厳しい神倉神社にも行った。「鈴木姓」のルーツといわれる藤白神社にも行った。作家の中上健次さんのお墓参りもした。よくこれだけまわれたものだ。6人ほどの旅だったが、皆、感動していた。
そして東京に帰ってきて、4月18日(火)の朝刊を見て驚いた。「渡部昇一氏 死去」と出ていた。エッ、この前会ったばかりなのに、と思った。渡部さんは昔から好きだったし、本はかなり読んでいる。でも、渡部さんについて書いたり、喋ったりすることはあまりない。だって、最近は左翼的な人ばかりと付き合っているから、「渡部昇一? 右翼だろう?」「もう学者じゃないよ。右翼のアジテーターだよ」「自民党の犬だよ」なんて言う。左翼やリベラルの人には圧倒的に評判が悪い。でも、僕は好きだし、尊敬している。政治思想以前の「生き方」「勉強の仕方」が好きなのだ。随分と影響を受けている。特に、昭和51年(1976年)に出した『知的生活の方法』だ。もう何回読んだか分からない。僕も、読書論の本を5冊くらい出しているが、皆、この本に影響を受けて書いてきたのだ。『知的生活の方法』は、読書を中心とした知的生活のための具体的方法論を書いて、100万部を超えるベストセラーになった。渡部さんの講演会に行ったし、いろいろな集会でも会った。ある時、勇気をふるって、挨拶をした。僕のことなど知らないだろうと思いながら、名刺を出すと「あ、知ってますよ。‟本を読む右翼“の人ですよね」と言う。「本を読む右翼」か。それ以来、何回かお会いしたが、いつも「あ、本を読む右翼の人ですね」と言う。いつも読書の話をした。一度時間をとって話を聞いて本にしたいと思っていた。でも相手は「知の巨人」だ。「読書の神様」みたいな人だ。とても話にならないだろうと臆していた。
ものを書いている人は、ほとんどの人が渡部さんの本を読み、影響を受けていると思う。これは断言できる。でも、そのことをあまり言わない。「右翼・反動と思われたくない」「俺はあんな反動じゃない」と思っているからか。僕の知っている限りでは、田母神俊雄さんくらいかな、「渡部昇一に影響を受けた」と公言している人は。田母神さんは福島県郡山市の出身だ。神童と言われるほどの秀才で、防衛大学校に入った。当時は、東大より「むずかしい」と言われた位だ。全寮制だが、全て無料だ。入学金も授業料もタダ。さらに〈月給〉までもらえる。それで家に仕送りしていた人もいた。田母神さんが防衛大学校に入ったのは、昭和45年(1970年)。その年の11月に三島事件が起きる。「じゃ、三島事件に影響を受けて、右寄りになったんですか」と田母神さんに聞いたら、「いえ、全く影響を受けていません」と言う。それには驚いた。でも、自衛隊にしろ、防衛大学校にしろ、「平和憲法下の自衛隊」であって、「旧憲法下の軍隊」ではないと、徹底的に教育されていた。又、外部からの影響、働きかけを警戒していた。だから三島事件の影響はなかったのだろう。「じゃ、いつから今のような考えになったんですか?」と聞いたら、防衛大学校の4年生のときに、渡部昇一さんの講演を聞いてからだと言う。それ以来、渡部さんの本を読みまくり、日本の歴史を勉強し、この日本を守る自衛隊ということを考え直すようになったと言う。
産経新聞(4月18日付)によると、渡部さんは昭和60年(1985年)、第一回正論大賞を受賞している。〈東京裁判の影響を色濃く受けた近現代史観の見直しを重視するなど、保守論壇の重鎮だった〉という。この正論大賞を受賞した理由として、産経はこう書いている。
〈(昭和)57年の高校日本史教科書の検定で、当時の文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたとする新聞・テレビ各社の報道を誤報だといちはやく指摘し、ロッキード事件裁判では田中角栄元首相を擁護するなど論壇で華々しく活躍。一連の言論活動で「正確な事実関係を発掘してわが国マスコミの持つ付和雷同性に挑戦し、報道機関を含む言論活動に一大変化をもたらす契機となった」として60年、第1回正論大賞を受賞。〉
政治的な考えでは、まだまだついて行けない点はあったが、そのことを含め、じっくりと話を聞いてみたかったのに、残念だ。86歳だった。本を読み、勉強している人は、僕は右でも左でも好きだし、尊敬している。本を読まず、勉強しないで、「そんなことは無駄だ! それよりも行動だ!」と叫んでいる活動家を多く見てきたから、そう思うのかもしれないが。