NAKAMOTO PERSONAL

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優れたリーダーが避けるべき2つのこと

「【君主論】優れたリーダーが避けるべき2つのこと」(STAGE)
 → https://stage.st/articles/Sunp7

従来の道徳や倫理から切り離してリーダーシップを論じたマキァヴェリの「君主論」。君主論では、君主は愛されるよりも怖れられるほうが好ましいとするほか、怖れられる君主であっても、憎まれたり蔑まれてはならないと述べています。それはなぜなのでしょうか。


リーダーは憎悪と軽蔑されることを怖れよ

リーダーが避けるべき憎悪とは

君主たる者は、・・・(中略)・・・憎悪や軽蔑を招くような事態は逃れるように心しなければならない。・・・(中略)・・・大多数の人びとから名誉や財産を奪い取らないかぎり、人びとは満足して生活する。

君主論』第十九章「どのようにして軽蔑と憎悪を逃れるべきか」より抜粋


マキァヴェリは、国民から憎悪されたり軽蔑されることは没落の始まりだとし、絶対に君主が避けなければならないことだと警告しています。そして、国民が何より憎悪するのは、君主が国民の財産や持ち物を奪ったり、名誉を傷つけたときだと述べています。
ここからビジネスシーンに置きかえてみると、リーダーが憎悪されるのは、部下の手柄や名誉を傷つけたりしたときだと考えられます。
人前で部下を叱りつけることは、見せしめの効果があることから、手段としてこのような行為を敢えてとるリーダーもいます。しかし、人前で叱りつけられた側からすれば、叱られた理由を真摯に受け止めるのは少数にすぎず、恥をかかされたと逆恨みする可能性だってあるのです。
また、正当な理由があって部下を叱った場合であっても、それを傍から見ている周囲がどう思うのかについても、リーダーは思慮を巡らさなくてはなりません。
そして過去に諍いや揉め事が起きた場合、今は親切にしているから大丈夫だと油断するのは禁物です。マキァヴェリ風にいえば、なぜなら人は消して昔のことを水に流しはせず、ずっと記憶にとどめておくものだからです。


リーダーが避けるべき軽蔑とは

軽蔑を招くのは、一貫しない態度、軽薄で女々しく、意気地なしで、優柔不断な態度である。これを君主は暗礁のごとくに警戒しなければならない。そして自分の行動が偉大なものであり、勇気に溢れ、重厚で、断固たるものであると認められるように努めねばならない。

君主論』第十九章「どのようにして軽蔑と憎悪を逃れるべきか」より抜粋


今度はリーダーが人から軽蔑されることについて考えてみましょう。
ビジネスシーンにおいてリーダーが軽蔑されるケースとは、リーダー自身の態度に問題がある場合です。はっきりとした方向性を打ち出せず、指示を的確に出せない上司。そして言うことが頻繁に変わる上司は部下から信頼されるどころか、軽蔑されかねない態度でもあります。
さらに、リーダーの資質が問われるのは、会社内で何かしらの問題が起きたときでもあります。
何か会社にとって不都合な問題を報告しにきた部下を怒鳴りつける上司と、部下からの報告が上がりやすい環境を整える上司とでは、どちらがリーダーとして優れているでしょうか。
前者であれば、部下は問題を隠し、組織的にも隠蔽体質の風土が生まれやすくなります。隠蔽体質の組織が行き着く先が、リーダーであるはずの責任者の無責任さと不祥事であることは、パナソニック(旧松下電工)で発生した不良品ヒーターの回収対応と雪印乳業による食肉偽装事件の比較からも明らかです。
前者は自社製品である石油暖房機による一酸化炭素中毒事件が起こったあと、あらゆるメディアを使って同製品の修理・点検や回収を呼びかけ、消費者からの信頼回復に努めました。反対に、後者は組織の隠蔽体質から食中毒や食肉偽装という不祥事を数度引き起こし、最終的に解体してしまったのです。


ではリーダーは結局どうふるまえばいいのか


思慮深く、落ち着いた立ちふるまいを磨くべし

信じることや行動においては慎重であり、かつ己の影におびえてはならない。そして熟慮と人間味とで抑制しつつ、過度の信頼によって無用心を招くことなく、また過度の不信によって耐えがたい者とならぬように行動すべきである。

君主論』第十七章「冷酷と慈悲について。また怖れられるよりも慕われるほうがよいか、それとも逆か」より抜粋


リーダーは、道徳に反することをしても良い(ただしその必要に迫られた場合のみ)が、憎まれたり軽蔑される行為をしてはいけない。
とすれば、リーダーは結局どのようにふるまえばいいのだ?と混乱する人もいるかもしれませんね。その答えが上記の引用文に集約されているのではないでしょうか。
軽々しく人の言い分を信じたり、性急に行動を起こしたりすべきではなく、かといって臆病になりすぎてはいけない。つねに思いやりと思慮を持ち、落ち着いた行動を心がけるべきである、と。そうすれば、疑うことを忘れて軽はずみなことをしたり、疑いすぎて嫌われたりすることもない、ということなのです。
自身の立場に慢心せず、何がリーダーとしてあるべき姿であるのか。リーダーはこのことを絶えず考えながら行動しなければならないのかもしれませんね。

君主論 (岩波文庫)

君主論 (岩波文庫)

 わたしがここに書く目的が、このようなことに関心をもち理解したいと思う人にとって、実際に役立つものを書くことにある以上、想像の世界のことよりも現実に存在する事柄を論ずるほうが、断じて有益であると信ずる。
 古今東西多くの賢人たちは、想像の世界にしか存在しえないような共和国や君主国を論じてきた。しかし人間にとって、いかに生きるべきかということと、実際はどう生きているかということは、大変にかけ離れているのである。
 だからこそ、人間いかに生きるべきか、ばかりを論じて現実の人間の生きざまを直視しようとしない者は、現に所有するものを保持するどころか、すべてを失い破滅に向かうしかなくなるのだ。
 なぜなら、なにごとにつけても善を行おうとすることしか考えない者は、悪しき者の間にあって破滅せざるをえない場合がおおいからである。
 それゆえに、自分の身を保とうと思う君主(指導者)は、悪しき者であることを学ぶべきであり、しかもそれを必要に応じて使ったり使わなかったりする技術も、会得すべきなのである。

── 『君主論』(塩野七生マキアヴェッリ語録』)

マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)

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