NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

神道はなぜ「敵役」にされたのか

「【正論】神道はなぜ『敵役』にされたのか 東京大学名誉教授・平川祐弘」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/180525/clm1805250004-n1.html

 天正遣欧使節は宣伝用だった

 キリスト教の西洋と神道の日本の関係を巨視的に眺めたい。

 ザビエルが来日した1549年から三代徳川将軍、家光の鎖国までの100年を「キリスト教の世紀」と西洋人は呼んだ。宣教師たちは極東の島国の改宗に成功したと大宣伝を本国向けにしたが、その赫々(かっかく)たるローマの戦勝祝賀報告のだしに使われたのが天正遣欧使節で、四人の少年は法王グレゴリウス13世に謁見、歓待を受け、ティントレットの息子ドメーニコが伊東鈍満所の肖像を描いた。

 世間は麗々しく遣欧使節と呼ぶが実体は違う。少年が各地で書き残した礼状は同行イエズス会士が口授した文章で個性はない。イタリア語の理解力は低く、客観的な判断ができたわけではない。ボローニャへの途次、イーモラで休んだとき、日本の地名に似ている「井村だ、井村だ」とはしゃいだ。その程度だ。彼らは日本における宣教成果の西洋向け宣伝用の見世物(みせもの)使節だったのである。

 新井白石は『西洋紀聞』巻下にイエズス会士が九州で「いとけなき子を携来て」ローマへ連れて行こうとしたことにふれ、漢文が達者な利瑪竇ことマッテオ・リッチについても元東洋の穎悟(えいご)な少年をマカオあたりから連れ去り、西洋で教育した上で宣教にまた中国へ派遣したのでないかと疑った。

 日本開国は宣教師たちにとって「夢よ、もう一度」の好機と思われた。1865年、大浦天主堂の門前に浦上の農民があらわれ「サンタ・マリヤの像はどこ?」とたずねた。プチジャン神父は、厳しい徳川の禁教下でキリシタンの信仰は続いた、と知り驚倒した。

 しかし隠れキリシタンは、古野清人が調べたように、信仰のために死んだ祖先を神として敬う「家の宗教」と化しており、彼らの多くはカトリックに戻らない。プチジャンはいらだって帰国、ナポレオン三世に日本改宗のためのフランス軍による占領を進言し皇帝を苦笑させた。


 ◆「新宗教」が布教を妨げる?

 明治7年、横浜でパークス、ヘボン、ブラウン、サトウ、チェンバレンら西洋人日本通が一堂に会して神道について初めて議論し、祖先を祀(まつ)る土着の信仰は「空虚で人の心を動かさない」「文明開化とともに消滅する」と結論した(後にハーンだけがその見方に反対した)。

 だが神道国家主義の風潮に乗り勢いづくと、チェンバレンはそれを大正元年新宗教の発明」と断じた。一部宣教師も同調し、今の日本でキリスト教徒が人口の1%を超えないのは、神道天皇崇拝の国教として、布教を妨げるからだと言い出した。

 それに反し中国はキリスト教宣布の希望の土地で、蒋介石夫妻も入信した。そんなパール・バックも描く中国の良き大地を悪しき日本軍が侵略する、と非難を強めた。宣教師の意見を代弁する米国の『ライフ』誌も親中反日をあおり、世論や米国外交を動かした。

 私は戦争中に「八紘一宇」は「世界のすみずみまでが一つの屋根の下で仲良く暮らす」「人類みな兄弟」という趣旨で習った。宮城遥拝などの儀礼はあったが、神道を教える宗教のクラスはない。そんなだから「国家神道」という言葉を聞いたことがない。

 だが、米国側は神道を熱狂的な日本愛国主義のバックボーンと目し、神風特攻隊の必死の攻撃は天皇を神とする宗教的狂信のゆえとした。それを粉砕すべく米空軍は意図的に明治神宮を爆撃、火炎は天に沖(ちゅう)した。


 ◆人種偏見と結びつく宗教文化論

 昭和20年12月、占領軍総司令部は神道指令を出し、国家(神社)神道の政治的影響力の排除を命じたが、その際、State Shintoの訳語として国家神道は日本語に定着した。翌年元旦、昭和天皇はGod-Emperorは「架空ナル観念」であると宣言した。

 ユダヤキリスト教では創造主は人を創る全能のゴッドだが、日本の天皇は違う。神道では人が死んで神になり、神棚に先祖は祀られる。日本では人は死ねば「神去ります」。その神道の神をGodなどと訳すから、誤解は生じた。

 だが「天皇は日本人のゴッドだ」と言い出したのは、日本兵の強固な戦意におびえた人々の解釈で、それがまた米英人の敵愾(てきがい)心を強めた。宗教文化論は人種偏見と結びつきやすい。神道脅威論は黄禍論の一変形かもしれない。

 安倍晋三首相が先進7カ国首脳会議を伊勢志摩で2016年に開催したときも奇妙な批判が出た。しかし神道をこうして敵役(かたきやく)に仕立てたのはおかしくないか。今では米国大統領も明治神宮に参拝する。クリントン国務長官はお祓(はら)いも受けた。

 軍部が日本を泥沼に引きずり込んだ戦争は愚かだが、それでも「日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ス」と教えられたことはない。八紘一宇はそんな意味だとする米国側解釈こそ「架空ナル観念」だったのではなかろうか。宗教文化史的誤解はやはり解いておきたい。

新装版 市塵(上) (講談社文庫)

新装版 市塵(上) (講談社文庫)

西洋紀聞 (東洋文庫 (113))

西洋紀聞 (東洋文庫 (113))