NAKAMOTO PERSONAL

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civility・礼節の欠如

「【正論】『加計』批判にみる危うさ 『証拠主義』無視など『礼節の欠如』が日本にも生じている 東洋大学教授・竹中平蔵」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170921/clm1709210004-n1.html

≪深刻になった「礼節の欠如」≫

 アメリカのコミュニケーション会社ウェーバー・シャンドウィック社などが、面白い調査を行っている。キーワードはシビリティ(civility)、すなわち「節度、礼節」である。

 昨年の調査結果によると、アメリカ人の95%は civility に問題があると認識しており、74%がここ数年で civility が低下したことを指摘している。そして政策に関する問題で、全体の76%の人々が、 incivility(礼節の欠如)が有効な政策論議を妨害していると認識している。

 言うまでもなくこれは、トランプ政権の誕生と結びついている。トランプ流のツイッターでの一方的で扇動的な発言には、エビデンス(証拠)に基づき政策を真摯(しんし)に議論する姿勢が欠如している。

 また、相手の主張に耳を貸しつつ建設的な議論をするという基本的なマナー(礼節)が見られない。しかしこうした姿勢が、今の社会に不満を抱えている人々の共感を呼び、現体制に心情的に反発する社会的な流れを生み出した。

 考えてみれば、日本にも同様の傾向が存在する。その典型が、獣医学部新設をめぐる、一部野党やメディアの偏向した議論・報道だ。政策問題を論じる際に必要な“そもそも論”とは、獣医学部の新設を52年間も認めてこなかったこれまでの政策は正しいのか、なぜこのような現実が生まれたのか、どう是正すべきか、という問題を正面から論じることだ。

 しかし、こうした議論はほとんどなされないまま、決定のプロセスに首相官邸の圧力があったのではないか、というポイントばかりに焦点が当てられた。


≪強調されるスキャンダル的視点≫

 政策を決定するプロセスはもちろん重要だ。しかし、政策の“そもそも論”がないままスキャンダル的な視点のみが強調され、成熟した市民社会の常識(civility)を著しく欠くものとなった。

 欠如の最大のものは、「証拠主義」の無視だ。ある主体を批判し責任を求める場合、きちんとした証拠に基づくことが求められる。司法の場では証拠裁判主義、とも呼ばれる。

 しかし今回の批判の出発点となったのは、真偽のほどが明らかではない文部科学省内部のメモだった。これを政府側は「怪文書」と呼び、その後は文書が実在する(本物)かどうかで大騒ぎになった。しかしこの文書が実在するとしても、「本物の怪文書」と言わざるをえない。

 会議に参加した双方が合意した正規の議事録には証拠性があるが、一方的な利害を持つ主体が作成したメモは当然、バイアスがかかっており、証拠性に欠ける。今後は合意に基づいた議事録を作成し、それ以外は証拠性を認めないという常識的なルールを確立すべきだ。

 第2は「立証責任」の転嫁だ。責任を問う場合、その立証責任は問う側にある。何か疑わしいと責任を問われた側が、何もしていないことを自ら立証するのは不可能だ。にもかかわらず、首相や内閣府の関係者は、こうしたむちゃな答弁を強いられた。

 筆者が野党に期待するのは、元文部科学次官がこの問題に登場して政府批判を行ったとき、「あなた自身は学部新設を52年間行ってこなかったことの責任をどう感じているのか」を糺(ただ)すことだった。

 メディアに解明を期待するのは、最終的な決定に至る過程で、抵抗勢力がどのような圧力をかけたのか、という点だ。この点を無視して、一方的に内閣府などへの批判が行われた。しかも、文書が存在するのか、閣僚の発言は矛盾していないかなど論点がどんどんすり替わり、その都度、政府側が何かを隠蔽(いんぺい)しているかのような印象が与えられた。


≪政治社会への悪影響を認識せよ≫

 今回のもう一つの教訓として、告示による規制という大きな課題がある。獣医学部新設がかくも長期にわたって行われなかったのは、学部の設置そのものの規制ではなく、設置したいという申請を認めない、という規制があったからだ。異様な措置だといえる。

 しかもこれが、国会で審議される法律ではなく、告示という、いわば一片の通達によって実施されてきた。気がつけば、こうした告示による規制は、極めて多岐にわたる。そしてそれらが「岩盤規制」の重要な部分をなしている。

 しばしば話題になる混合診療の規制や遠隔教育の規制も、告示に基づいている。医学部・歯学部新設の規制も同様だ。告示という手法そのものを全面的に見直すことが必要ではないか。

 冒頭の civility 調査に参加したパウエル・テイト社のジェンキンス氏は、次のように述べている。「アメリカ国民は今や、礼節欠如の高まりが私たちの政治プロセスを傷つけ政府の機能を損ねたという、明確な認識を持っている」

 加計学園批判の最大の教訓は、 civility の欠如が政策論議を歪(ゆが)めるという現象が、日本でも生じていることだ。それが政治や社会に悪影響を及ぼすことに強い問題意識を持たねばならない。