一日一言「天を相手にせよ」
九月二十四日 天を相手にせよ
明治十年(西暦一八七七年)の今日、西郷南州翁が城山で戦死した。西郷(隆盛)は「敬天愛人」を貫いたが、それは次の言葉から生まれた。
道は天地自然の道にして、人は之を行ふものなり、故に天を敬するを以て目的となす。天は人も我も同一に愛す、故に我を愛する心を以て人を愛すべし。
人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。
「西郷隆盛の人望が驚くほど厚かった根本理由 600人が『ついていきたい』と後追い辞職」(東洋経済)
→ http://toyokeizai.net/articles/-/187631
「西郷軍と官軍…140年目の『和解』 西南戦争の戦没者慰霊塔が完成」(産経新聞)
→ http://www.sankei.com/west/news/170923/wst1709230055-n1.html
人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、己を尽し、人を咎めず。
もしわが国の歴史から、もっとも偉大な人物を二人あげるとするならば、私は、ためらわずに太閤と西郷との名をあげます。二人とも大陸方面に野望をもち、世界を活動の舞台とみていました。ともに同国人とはくらべものにならないほど偉大でしたが、二人の偉大さはまったく相反していました。太閤の偉大さは、思うにナポレオンに似ていました。太閤には、ヨーロッパの太閤に顕著なほら吹きの面が、その小型ながら、かなりあったのです。太閤の偉大さは、天才的な、生まれつきの精神によるもので、偉大をのぞまなくても偉大でありました。しかし西郷は、そうではありません。西郷の偉大さはクロムウェルに似ていて、ただピューリタニズムがないためにピューリタンといえないにすぎないと思われます。西郷には、純粋の意思力との関係が深く、道徳的な偉大さがあります。それは最高の偉大さであります。西郷は、自国を健全な道徳的基盤のうえに築こうとし、その試みは一部成功をみたのであります。