NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

植村直己

今日のお山。





「ご存知ですか? 5月11日は松浦輝夫植村直己が日本人初のエベレスト登頂成功をした日です」(文春オンライン)
 → http://bunshun.jp/articles/-/2454

「いや、おまえ、先に行け」山頂直前のドラマ


 いまから47年前のきょう、1970(昭和45)年5月11日、日本山岳会エベレスト登山隊の松浦寿夫植村直己が日本人初のエベレスト登頂に成功した。

 登山隊のうち第1次アタック隊に選ばれた二人はこの日早朝6時に、8513メートル地点のキャンプから出発、植村が先に行きながら山頂をめざした。これは大学山岳部では下級生が先に行くという慣習にしたがったものである。松浦としては、植村が万が一滑落したとき自分が止める絶対の自信があったし、植村としても松浦が後ろにいると思うと恐怖を感じなかったという。

 いよいよ頂上が見えたとき、植村は後ろを振り返ると、松浦に先に登頂するよう勧めた。これに松浦は「いや、おまえ、先に行け」と合図するも、植村は動かない。結局、松浦と植村は肩を並べるようにして頂上に立った。ときに午前9時10分。植村は感極まっていきなり松浦に抱き着くと、涙を流したという。松浦も植村をしっかりと抱きしめ、互いに無言のまま息がつまるほど背中を叩き合った(長尾三郎『マッキンリーに死す 植村直己の栄光と修羅』講談社文庫)。植村はこの時点ですでにヨーロッパのモンブラン、アフリカのキリマンジャロ南アメリカアコンカグアに登頂しており、70年中にはエベレストに続いて北アメリカのマッキンリーに登頂し、5大陸最高峰を制覇している。

 なお、松浦・植村の登頂の5日前、1970年5月6日には、プロスキーヤー三浦雄一郎がエベレストのサウスコル8000メートルからのスキー滑降に成功した(日本山岳会エベレスト登山隊もその様子を見届けている)。三浦はその後もエベレストにチャレンジし続け、2013年5月23日には80歳でエベレストに登頂し、最高齢登頂記録を更新する。ちなみにエドモンド・ヒラリーとテンジンによる世界初のエベレスト登頂は1953年5月29日、日本女子登山隊の田部井淳子による女性による世界初登頂は1975年5月16日と、いずれも5月のできごとだった。

植村直己 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%9D%91%E7%9B%B4%E5%B7%B1
植村直己冒険館』 http://www3.city.toyooka.lg.jp/boukenkan/

 高い山に登ったからすごいとか、厳しい岩壁を登攀したからえらい、という考え方にはなれない。山登りを優劣でみてはいけないと思う。要は、どんな小さなハイキング的な山であっても、登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山がほんとうだと思う。

── 植村直己(『青春を山に賭けて』)

青春を山に賭けて (文春文庫)

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植村直己、挑戦を語る (文春新書)

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