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NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

三浦朱門

「作家の三浦朱門さんが死去 91歳 元文化庁長官 妻は曽野綾子さん 夫婦で正論大賞受賞」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/life/news/170205/lif1702050010-n1.html

 元文化庁長官で作家の三浦朱門(みうら・しゅもん)さんが3日午前6時50分、肺炎のため、亡くなった。91歳。葬儀・告別式は近親者で営んだ。喪主は妻で作家、曽野綾子(その・あやこ=本名・三浦知寿子=みうら・ちずこ)さん。

 大正15年、東京生まれ。「朱門」の名前はイタリア文学者だった父・三浦逸雄氏が十二使徒の一人、シモン・ペテロから付けたという。旧制高知高校を経て、東大文学部卒。

 昭和26年に「画鬼」(のちに「冥府山水図」)を発表し、「第三の新人」の一人として活躍。28年に同人仲間だった曽野綾子さんと結婚した。42年、「箱庭」で新潮社文学賞を、58年には「武蔵野インディアン」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。日大芸術学部では教授を務めた。エッセーも多く、著書は100冊を超える。「第四次元の小説」など、翻訳も手がけた。60~61年に文化庁長官を、63~平成6年に日本文芸家協会理事長を務めた。11年、正論大賞。同年、文化功労者にも選ばれている。16年から26年まで、日本芸術院院長も務めた。

 産経新聞では昭和50~51年の夕刊に「雑草の花」、59~60年の朝刊に「風のまにまに」を連載。昭和天皇崩御に際して平成元年、「天皇の昭和」を220回にわたって朝刊に連載し、実証主義的な精神を欠いて国民が自己を見失った先の大戦の問題点を冷静に洗い出した。

 また本紙「正論」欄などで、左右に偏らない常識的で毅然とした言論活動を展開した。

『2016年10月01日(Sat) 汚辱にまみれても生きよ』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20161001

我が家の内輪話

我が家の内輪話

箱庭 (講談社文芸文庫)

箱庭 (講談社文芸文庫)

 実は、どんなに用意しようと、私たちはやがて目がかすみ、耳が遠くなり、すべての機能が悪くなる。本当の老年の到来を迎えた時、私はたった一つの態度しか思いうかべることができない。それは汚辱にまみれても生きよ、ということである。
 「風になぶられるしなやかな髪、みずみずしい唇」の少女の日も、それは一つの状態であった。目も耳もダメになり、垂れ流しになりながら苦痛にさいなまれることも、しかし、やはり一つの人間の状態なのである。願わしい状態ではないが、心がけの悪さゆえにそうなるのではないのだから、どうして遠慮することがあろう。
 人間らしい尊敬も、能力もすべて失っても人間は生きればいいのである。尊敬や能力のない人間が生きていけないというのなら、私たちの多くは、すでに青春時代から殺されねばならない。

── 曽野綾子(『戒老録』)