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NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

法隆寺よりは停車場を!

NHK「100分 de 名著『堕落論坂口安吾
今晩は3回目。


「第3回 法隆寺よりは停車場を」
 → http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/56_darakuron/index.html#box03

第3回 法隆寺よりは停車場を

【放送時間】
2016年7月18日(月)午後10:25~10:50/Eテレ(教育)


【再放送】
2016年7月20日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2016年7月20日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります


【指南役】
大久保喬樹東京女子大学教授)
比較文化研究者。 著書に「日本文化論の系譜」など。


【朗読】
青木崇高(俳優)
連続テレビ小説ちりとてちん」、大河ドラマ龍馬伝」などに出演。


堕落論」の文化論への応用ともいえるものが「日本文化私観」だ。安吾は、この本で、日本伝統文化の擁護者として金科玉条のように持ち出されるブルーノ・タウトの日本文化論を徹底的に批判する。タウトが伝統美の象徴として持ち出す桂離宮などは私たちの生活から遊離したものであり観念の遊戯にすぎない。今現在を生きるために欠かせない実用的なものこそ第一であり、その中にこそ真の美は生まれる、と安吾は説く。何の権威にも頼らない、暮らしに根ざした文化や美の復権を訴えるのだ。第三回は、「文化論」に展開された安吾の思想を紐解き、本来の「美の在り方」、「文化の在り方」を考えていく。

 見たところのスマートだけでは、真に美なる物とはなり得ない。すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。要するに、空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。法隆寺平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り、月夜の景観に代ってネオン・サインが光っている。ここに我々の実際の生活が魂を下している限り、これが美しくなくて、何であろうか。見給え、空には飛行機がとび、海には鋼鉄が走り、高架線を電車が轟々と駈けて行く。我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる。そこに真実の生活があるからだ。そうして、真に生活する限り、猿真似を羞(はじ)ることはないのである。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。

── 坂口安吾(『日本文化私観』)