NAKAMOTO PERSONAL

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書斎はなくとも読書はできる

「書斎はなくとも読書はできる 通勤途上を最大限に活用する法」(ダイヤモンド・オンライン)
 → http://diamond.jp/articles/-/85603

古今東西の学者、詩人、作家が大量の読書論を書いている。どの本にも1つか2つ、自分にとって有益な読書の技術が書いてあるので、目に留まれば読むようにしている。しかし、おおむね自邸の書斎で読書しているセンセイ方が多く、書斎なんぞ夢のまた夢の存在でしかない凡人にとっては「どこで読むか」が最大の問題となる(文中敬称略)。


「馬上、枕上、厠上」で発想が生まれる

 本は読みたいけれど「時間がない、書斎がない」というみなさん。帰宅時間を1時間ほど遅くして時間をつくろう。書斎がなければ外で読もう。

 書を読み、よい発想の浮かぶ三つの場所を「三上(さんじょう)」という。これは古代中国の名文家、「唐宋八大家」の一人、欧陽修(おうよう・しゅう、1007-1072)の言葉だ(「修」を「脩」と表記する場合もある)。

 欧陽修の名前は、私は高校の「漢文」の教科書で知っていた。「漢文」が得意だったわけではなく、高校生だった1972年に台湾の女性歌手、欧陽菲菲(おうやん・ふぃふぃ)の「雨の御堂筋」が大ヒットしたからである。彼女は本名であり、教科書に引用されている1000年前の漢詩の作者と同姓だったので強く覚えていたのだ。

 欧陽修が「三上」について書いていることを教えてくれたのは、経済思想史家として有名な水田洋(1919-)で、『読書術』(講談社現代新書、1982)に書いている。その後、外山滋比古(1923-)もロングセラーの『思考の整理学』(筑摩書房1983、ちくま文庫1986)の中で紹介している。

「三上」とは、「馬上、枕上、厠上」のことだ。「馬上」とは移動中の乗り物である。「枕上(ちんじょう)」は寝床、「厠上(しじょう)」はトイレの中だ。欧陽修は「三上」を思考の場所、文章を練る場所として書いているそうだが、これを読書の場所として置き換えたのが水田洋である。

「枕上」で読書する人は多い。ただ、紙の本を読むには姿勢がやっかいで、これは稿を改めて紹介する。「厠上」で読書する人もけっこう多いと思われるが、私は不得意で、さっさと出てきてしまう。それに、同居人がいる場合は迷惑だろう。

 こうして「馬上」の読書が残る。これは私が日々実行している方法でもある。ただし、混雑している朝の通勤電車では無理だ。効率的な読書を進めるとしたら、帰りの電車の中である。その際、遠回りしなくてはならない。読書には時間が必要で、通常より1時間は多く時間をつくりたい。そのためには帰りの経路を変えて時間をひねり出すことだ。

 鉄道は読書に最適である。立ったままでも読める。上下動があまりなく、動作の方向を予測できるので乗り物酔いすることがない。上下左右へ不規則に揺れる自動車では不可能だ。深夜のタクシーで高速に乗れば可能だが、そんなことはめったにない。

 乗合バスでも読書は可能である。ただし、横向きのロングシートでは頭が左右へ揺れるのでダメだ。酔ってしまう。バスでは進行方向へ向いた前向きシート、それもいちばん前、運転士の後ろではなく、反対側の椅子がよい。本を読んでいても視野に外の様子が入るので動作を予測できる。したがって酔うことはない。


帰宅の経路は迂回して時間をつくる

 会社や学校を出たら読書の時間を確保するために遠回りする。なるべく座れるルートを見つけることだ。どんなに遠回りしてもいいではないか。通勤経路を毎日のように変えるには定期券を買わない方がいい。支給される定期代はストックしておいて、スイカなどのカードで乗ればよい。大都市圏のJRや地下鉄は、遠回りしたって料金は変わらないのだ。

 私は渋谷駅からJR京葉線新浦安駅へ向かうが、渋谷駅からは地下鉄でさまざまな迂回ルートがあるので、毎日変えている。

 また、帰りの通勤時間帯には1時間に1本程度、成田エクスプレス埼京線ホームに現われるので、時間が合えば迷わず乗ってしまう。もちろん特急券は必要だ。千数百円で快適な空間と時間を確保できるのだから安いものだ。

 渋谷駅から千葉駅まで遠乗りして南下し、千葉駅からモノレールで千葉みなと駅へ出て、京葉線に乗り換えて北上する。千葉駅で下車すると運賃が上がるので、蘇我駅まで行って京葉線に乗り換える方法もある。めちゃくちゃな遠回りだが、読書には快適だ。

 渋谷駅から新浦安駅まで、どのルートでも50分くらいだが、成田エクスプレスでは渋谷駅から千葉駅まで45分、千葉駅から蘇我駅経由で京葉線新浦安駅まで35分、乗り換え時間に15分かかるとして、計1時間35分、通常より45分多い読書時間ができる。京葉線の快速はやり過ごして普通列車に乗れば約1時間は多くかかる。計2時間弱もあれば1冊の大半は読める。


目の前に現われたバスに乗れ

 帰宅でバスに乗る方法は、歩いていて目の前に現われたバスに乗ってしまうのである。前向きシート、できれば最前列が空いていれば行先はどうでもよろしい。どこかには着く。それから鉄道の経路を考えればいいのさ。

ダイヤモンド社明治通りに面した神宮前6丁目にあるが、この前を「早大正門」行きのバスが1時間に2、3本走っている。たまたまやってきた「早大正門」行きに乗ると、終点まで約40分読書できる。ただし、夜間はやめたほうがいい。バスの動きがわからなくなり、酔うことがある。また、「池袋駅東口」行きのバスもある。これにも乗ってしまう。渋滞していればやはり40分くらい時間ができる。電車では立ったまま本を読めるが、バスでは無理なので空いたバスに限る。

早大正門」に着くと、またバスに乗って「高田馬場」まで戻り、地下鉄を乗り継いで帰る。ざっと2時間は読書可能だ。「池袋駅東口」に行くと、有楽町線に乗り、終点の新木場駅まで約30分、じっくり本を読める。

「馬上」の読書にも問題はある。必ず到着してしまうからだ。中途半端な箇所で読むのを止めざるをえない。

 危険なこともあるので積極的には勧めないが、その場合は歩きながら読めばいい。「歩きスマホ」が危険だと指摘されているが、本の場合はそれほどでもない。視野に必ず周囲の風景が入るのでだいじょうぶ。ただし、ゆっくり、道の端っこを歩くこと。人通りが多い場所では避けたほうがいい。そして、切りの良いところで読むのは止めることだ。

 これまで、およそ40年間歩き読書を続けているが、人とぶつかりかけたことが一度あっただけだ。相手は同じダイヤモンド社の社員で、彼も歩きながら本を読んでいたのである。

直木賞作家の田中小実昌(たなか・こみまさ、1925-2000)は乗合バスが大好きで、映画の試写会がない週末はほとんどバスを乗り継いで過ごしていたそうだ。バスに関する著作もある(『コミさんほのぼの路線バスの旅』日本交通公社〈1996〉、『バスにのって』青土社〈1999〉)。

 ただ、彼がバスの中で読書していたかどうかはわからない。車中で何をしていたのか、どういうわけか書いていないのだが、車窓をながめるか、読書する以外にやることはないはずだ。鉄道好きの作家は珍しくないが、バスが大好きという作家は田中小実昌しか知らない。

 電車の中で読書するのは当り前、立ったままで原稿を書いていたのが文化人類学者の山口昌男(1931-2013)である。

 自宅のある西武線多磨駅から乗り継いで京王線新宿駅までおよそ50分、多少混んでいても車上で執筆してしまう。まず、手製の画板を改造した執筆道具をバッグから出す。画板の上部にヒモを通し、首からかけるようにしたものだ。この画板に200字詰め原稿用紙を何枚か挟んで立ったまま鉛筆で書いていた。

 80年代の半ばに、実際に600字のエッセイを依頼したところ、電車で立ったまま終点までに書き終え、そのまま原稿を渡されて仰天したことがある。メール程度の文章なら凡人にも可能だが、原稿はむずかしい。それ以来、山口昌男を師と仰ぐようになった。

 馬上(車中)読書のコツは、気が付いたポイントのページを折ることだ。車中でペンを使うことも可能だが、とりあえずページを折っていったほうが早く読める。2時間もすると折った箇所が増えていく。あとでパラパラと読み返すと、なぜ折ったのか覚えていない箇所もある。思い出せない場合は無視、鮮明に覚えている箇所をペンでマークし、メモしていく。ただし、ページを折った部分はそのままにしておく。後で思い出すこともあるからだ。

 やればできる。「馬上」を書斎にすればいいのだ。

読書について 他二篇 (岩波文庫)

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渡部昇一 青春の読書

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