NAKAMOTO PERSONAL

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『身を修む』

「【正論】『身を修む』教養を根幹に据えよ 社会学者・関西大学東京センター長 竹内洋」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/141006/clm1410060001-n1.html

 今年は夏目漱石の『こころ』刊行百周年だが、漱石の弟子阿部次郎の『三太郎の日記』も同じく刊行百周年にあたる。大正3年に世にでて以来、教養主義のバイブルとされ、1970年代まで、知的青年の必読書となってきた。『三太郎の日記』は、「青田三太郎は机の上に頬づえをついて二時間ばかり外を眺めていた」ではじまる。今で言えばブログ上の日記のようなもの。取っつきやすさもロングセラーの要因だっただろう。


 ≪西洋哲学を修めた阿部次郎≫

 『三太郎の日記』が読まれた時代は教養の時代だった。「教養がないねえ」と言われると、恥ずかしさを感じたものである。そんな時代だったから、全共闘世代あたりまでの大学キャンパスでは学生たちの自発的な読書会がさかんだった。しかし、いまの大学生は「教養がない」といわれても、「今日用(きょうよう)がない」と聞こえるらしい。そんなことからも改めて大学での教養教育のあり方について議論がなされている。そこでは、『三太郎の日記』のような大正教養主義風の考えはもう古い、グローバル化時代の教養は英語とICT(情報通信技術)だという論もでている。

 『三太郎の日記』に始まった大正教養主義は、確かに問題も含んではいる。たとえば、さまざまな花(古典)から蜜を集め、あれもこれもためこむ式の教養であり、行為と鍛錬を欠いた観照的教養であると批判されてきた(唐木順三)。その顛末(てんまつ)が岩波文庫を何冊読んだかを自慢したり、そんなことも知らないのかという多知多趣味を「ひけらかす」教養である。

 しかし、『三太郎の日記』にはじまる大正教養主義の成り立ちを探ってみると、そんなものではないことがわかる。阿部次郎は明治16年生まれ。子供の頃から四書五経などの漢籍に親しんでいた世代である。『南洲遺訓』(西郷隆盛)を愛読し、「聖人になりたい」と思っていた。ここでいう聖人は儒教の理想的人間像で、知徳にすぐれた人の謂(いい)である。しかし、同時に阿部は明治の子だった。聖人になるためには西洋哲学を修めなければならないと思ったのである。阿部は自分の哲学志望は「聖人志望の随伴者」である、と述べている。


 ≪人格主義をそぎ落とした教養≫

 ここらあたりのことを知れば、阿部が教養主義という言葉を使わなかったことがわかるはずである。阿部が強調したのは聖人への道を示唆する人格主義である。教養とは「自分を造り上げること」、つまり人格を鍛えることだった。読書だけが教養であるなどとも言ってはいない。阿部の人格主義は儒教のいう「聖人」に新カント学派の人格価値論を接木したものであるが、あれもこれもの知識を「ひけらかす」教養ではなく「身を修む」(身の行いを正す)教養だった。

 とみてくると、大正教養主義は、阿部などの始祖の考えから離れて似て非なるものに変形したものということになる。インテリ系が彼らのオタク(主知主義)的世界を覇者とするために、知識によって大衆を差異化する教養主義にしてしまったということになるだろう。人格主義をそぎ落とした教養は魂のない仏のようなものだ。

 そうであればこそ、教養主義が隆盛する一方で、教養の先祖返りを試みる日本的教養が台頭してきた。政治家や財界人、官僚などの実務系に多くの支持者をもった陽明学安岡正篤の教養=人格論をそのひとつの表れとしてみることができる。


 ≪思想を再構築した安岡正篤

 安岡は阿部より15歳下で、大正11年に東京帝大法学部政治学科を卒業している。若き日の安岡は、大正教養主義の空気の中でトルストイニーチェマルクスなどの読書遍歴をする。しかし安岡は、それらの思想が第一次世界大戦後の人格の機械化や支離滅裂化を打破することはできないと考えた。そこで、少年時代から親しんだ儒教国学の書に立ち返り、人格の統一と完成を目指す思想の構築に取りかかる。悟性人(教養主義インテリ)は、木を分析観察するのみで「木の生命」を味わえないとして、「孔孟に還れ」と唱えた。

 毀誉褒貶(きよほうへん)があるにせよ、安岡が教養のルーツに照準し、知識人の間にひろがった教養主義によって影が薄くなっていた「身を修む」教養を復位させたことは注目されるべきであろう。本紙でも健筆を振るわれている加地伸行先生は、こう言っている。「君子」を教養人、「小人」を知識人とし、「教養人」とは知識・道徳ともに身につけている人、「知識人」とは、知識だけつけた人、と。人格主義を脱離させた教養主義は教養人ではなく、口舌の徒でしかない知識人という小人を生んだ。君子=教養人とはまさに「身を修む」教養の持ち主ということである。

 英語やICTなどの「役に立つ」教養も必要だろう。しかし教養教育の根幹になりうるとは思いにくい。「ひけらかす」教養でも「役に立つ」教養でもなく、「身を修む」教養を教養教育の根幹に据えてほしいと思うのである。

新版 合本 三太郎の日記 (角川選書)

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人生は自ら創る (PHP文庫)

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 「教育がある」ということは、かならずしも「教養がある」ことを意味しません。それどころか、今日では、残念なことに、この両者は往々にして一致しないのであります。高い学校教育を受けた人ほど教養がなく、現代文明の先端をいく都会人ほど教養がない。そういいきってさしつかえないものがあります。
 では、教育と教養とはどうちがうのか。一口にいえば、教育によって私たちは知識を得、文化によって私たちは教養を身につける。もちろん、元来は、教育は私たちに知識とともに教養を授けてくれるものだったのです。それがそうではなくなってしまった。教育は文化と直接かかわりなく、教育が与える知識は文化から遊離してしまったのです。

── 福田恆存(『私の幸福論』)

私の幸福論 (ちくま文庫)

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