NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

『恋愛論』

「恋の至極は忍ぶ恋」
葉隠』ではそう説きますが。。。


「告白しなかった恋、実は約3分の1が両想いだった!」(IRORIO)
 → http://irorio.jp/suke/20140513/134254/

 あの日伝えられなかった想いは、実るはずの恋だったのかもしれない。

 両想い確認アプリ「one heart」を運営するプールサイドが2014年5月9日に発表した調査結果によると、片思いの相手に告白しなかった人の約3分の1が実は両想いだったことが判明した。

 約8割が「告白しなかった」経験あり
 全国の1000人の男女にアンケートを実施したところ、76.8%が「好きな人に想いを伝えなかった」経験を持つとのこと。その理由としては「自分に勇気が無かったから」(56.4%)「自分に自信が持てなかったから」(41.7%)(複数回答可)が目立っている。

 しかし、告白しなかった人の35.2%が「片思いの相手が実は自分を好きだったと知ったことがある」らしい。768人中270人は、かなうはずの恋を片思いで終わらせてしまったということになる。

 理由は「今の関係を壊したくなかった」
 なぜ思いを伝えられなかったのか。理由の1位と2位は、それぞれ「友だちとしてすごく仲良くしていたから」(23.0%)「年上の憧れの人(先輩)だったから」(15.6%)。どうやら現状の心地良い関係を崩したくなかったようだ。

 今の関係に留まりたくないけれど、今の関係を壊したくもない……。そんな思いを、あの人もあなたに対して感じていたのだろうか。


そんな訳で安吾
『恋愛論』でも。

 恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸なものだ。
 若い人たちは同じことを知っていても、情熱の現実の生命力がそれを知らないが、大人はそうではない、情熱自体が知っている、恋は幻だということを。
 年齢には年齢の花や果実があるのだから、恋は幻にすぎないという事実については、若い人々は、ただ、承った、ききおく、という程度でよろしいのだと私は思う。

 教訓には二つあって、先人がそのために失敗したから後人はそれをしてはならぬ、という意味のものと、先人はそのために失敗し後人も失敗するにきまっているが、さればといって、だからするなとはいえない性質のものと、二つである。
 恋愛は後者に属するもので、所詮幻であり、永遠の恋などは嘘の骨頂だとわかっていても、それをするな、といい得ない性質のものである。それをしなければ人生自体がなくなるようなものなのだから。つまりは、人間は死ぬ、どうせ死ぬものなら早く死んでしまえということが成り立たないのと同じだ。

 人間の生活というものは、めいめいが建設すべきものなのである。めいめいが自分の人生を一生を建設すべきものなので、そういう努力の歴史的な足跡が、文化というものを育てあげてきた。恋愛とても同じことで、本能の世界から、文化の世界へひきだし、めいめいの手によってこれを作ろうとするところから、問題がはじまるのである。

 私はいったいに同情はすきではない。同情して恋をあきらめるなどというのは、第一、暗くて、私はいやだ。
 私は弱者よりも、強者を選ぶ。積極的な生き方を選ぶ。この道が実際は苦難の道なのである。なぜなら、弱者の道はわかりきっている。暗いけれども、無難で、精神の大きな格闘が不要なのだ。

 恋愛は人間永遠の問題だ。人間ある限り、その人生の恐らく最も主要なるものが恋愛なのだろうと私は思う。人間永遠の未来に対して、私が今ここに、恋愛の真相などを語りうるものでもなく、またわれわれが、正しき恋などというものを未来に賭けて断じうるはずもないのである。
 ただ、われわれは、めいめいが、めいめいの人生を、せい一ぱいに生きること、それをもって自らだけの真実を悲しく誇り、いたわらねばならないだけだ。

 人の魂は、何物によっても満たし得ないものである。特に知識は人を悪魔につなぐ糸であり、人生に永遠なるもの、裏切らざる幸福などはあり得ない。限られた一生に、永遠などとはもとより嘘にきまっていて、永遠の恋などと詩人めかしていうのも、単にある主観的イメージュを弄ぶ言葉の綾だが、こういう詩的陶酔は決して優美高尚なものでもないのである。

 人生においては、詩を愛すよりも、現実を愛すことから始めなければならぬ。もとより現実は常に人を裏ぎるものである。しかし、現実の幸福を幸福とし、不幸を不幸とする、即物的な態度はともかく厳粛なものだ。詩的態度は不遜であり、空虚である。物自体が詩であるときに、初めて詩にイノチがありうる。

 人は恋愛によっても、みたされることはないのである。何度、恋をしたところで、そのつまらなさが分る外には偉くなるということもなさそうだ。むしろその愚劣さによって常に裏切られるばかりであろう。そのくせ、恋なしに、人生は成りたたぬ。所詮人生がバカげたものなのだから、恋愛がバカげていても、恋愛のひけめになるところもない。バカは死ななきゃ治らない、というが、われわれの愚かな一生において、バカは最も尊いものであることも、また、銘記しなければならない。

 人生において、最も人を慰めるものは何か。苦しみ、悲しみ、せつなさ。さすれば、バカを怖れたもうな。苦しみ、悲しみ、切なさによって、いささか、みたされる時はあるだろう。それにすら、みたされぬ魂があるというのか。ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。

── 坂口安吾『恋愛論』

いのち短し 恋せよ少女(おとめ)

朱き唇 褪(あ)せぬ間に

熱き血潮の 冷えぬ間に

明日の月日の ないものを

── ゴンドラの唄(中山晋平 作曲 吉井勇 作詞)


『2012年11月06日(Tue) いのち短し』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20121106


人のこと言ってる場合じゃないのは重々承知!