怨親平等
横槍をひとつ。
八月六日は一日限りの広島の思想家が集まる日である。知るものは言わず、知らないものがしゃべる日である。そしてその他の日本国民が冷淡なくせに熱心に平和を口にする日である。
── 山本夏彦(『何用あって月世界へ』)
そして、沖縄の米軍ヘリ墜落事故。
「それ見たことか!」と雄叫びを上げる反対派。
それを煽り立てる新聞、テレビ。
「『米軍基地を撤去せよ』普天間ゲートで抗議集会」(スポーツニッポン)
→ http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/08/06/kiji/K20130806006365750.html
「米軍ヘリ墜落、三連協『懸念が現実に』」(沖縄タイムス)
→ http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-08-06_52565
「米軍ヘリ墜落 野嵩ゲート前集会で怒りの声」(琉球新報)
→ http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-210631-storytopic-1.html
「米軍ヘリ墜落事故 沖縄県内に広がる抗議 怒りの声」(朝日新聞)
→ http://www.asahi.com/national/update/0806/SEB201308060002.html
自分たちの主張ばかりで、何かを忘れてはいないか。
「墜落現場で遺体発見 米空軍、乗員か」(産経新聞)
→ http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130806/dst13080613030006-n1.htm
「沖縄で米軍ヘリ墜落、現場から遺体発見」(CNN.co.jp)
→ http://www.cnn.co.jp/world/35035616.html
遥か極東の地で命を落とした彼にも家族があったであろう。夢もあったであろう。
自分たちの権利を主張する前に、まずは国のために命を落とした彼の冥福を祈りたい。
米軍が嫌いなのか、軍人が嫌いなのか、個人の思想背景は知らないが、怨親平等の心を忘れてはならない。
日本には怨親平等(google:怨親平等)という言葉がある。
日本には古来、敵も味方も平等に弔う風習があった。
元寇の際には元の戦死者をも弔ったという。また、島原の乱においては、異教徒であるキリスト教徒も弔った。
敵国であろうと、異教徒であろうと、平等に弔うのが日本の怨親平等である。
季語と化している靖国問題も然り。
A旧戦犯がどうの、どこまでが戦犯か、分祀すれば良いのか。
そんな瑣末な事柄に振り回されることなく、怨親平等の心を忘れてはならない。
と切に願うのである。
「慈悲の眼に憎しと思ふものあらじ 科(とが)ある者をなほもあはれめ」
── 山本常朝(『葉隠』)より