他人が耐えられることなら、私も耐えるべきである
曾野綾子さんの『自分をまげない勇気と信念のことば』より。
あらゆる点において抜きんでている、という人はあり得ない。ひとが偉いなら、その程度に自分も偉くなれるかも知れないという可能性はある。ひとが卑怯なら、恐らくその程度に自分も卑怯なのである。ひとがかかった病気なら私も冒されることはあるだろう。ひとが得ている健康なら努力すれば私にも与えられるかも知れない。ひとが持つ愚かしさなら、私にも必ずあるだろうし、ひとが耐えられることなら、私も耐えるべきである。父母は、どのような父母でも、父母であり得るのである。よき父母はそれなりに、悪き父母もまけずおとらず、死んだ父母も能弁に、強く、父母であり得るのである。
何というつまらぬことを、などと言ってはいけないと思う。このようなつまらぬことも、偉大な真理だし、このような日常的な真理さえも、私たちは完全に自分のものにしているとは言えない。だからこそ、私たちは体裁をつくろい、死にものぐるいで恥をかくそうとして、たてまえで物を喋り、かくしてどんどん真理から遠ざかり、不自由な人間になるのである。
── 曾野綾子(『私を変えた聖書の言葉』)
- 作者: 曽野綾子
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- 発売日: 2010/07/17
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