「キリスト教は邪教です!」
本好きとしては、本屋巡りが日課となっています。
近所の大型書店、時間があれば札幌駅周辺の本屋を徘徊する。
今日は札幌駅の旭屋書店で一冊の新書に目が留まった。
『キリスト教は邪教です!』の題に、ニーチェの横顔写真。哲学に興味のある人ならばピンとくる。
『アンチクリスト』の現代語訳版である。(それともパロディか!?)
それにしても、ケンカを売っているようなこの題は、、、良い! 『反キリスト(教)』とでもしておけば良いものを、“邪教です!”とは!
以下、訳者・適菜収氏の前文より。
さて、問題はキリスト教がどんな宗教なのかです。
もしキリスト教がよくない宗教なら、当然その悪影響は大きいわけですから。
ニーチェは「神は死んだ」と言いました。
しかし、実は彼は神の存在を否定したわけではありません。
本来の神の姿をゆがめたキリスト教の「神」を批判したのです。
「神」と言うからややこしくなる。なぜなら、「神」という言葉に、すでに人間のような姿をしたキリスト教の神のイメージが重なってしまっているからです。
「神」とは、そういうものではありません。
そこがポイントです。
ニーチェは危険な思想家です。
キリスト教の本拠地で「王様は裸だ」と言ってしまった。
あまりにも本当のことを言ったので、聞く耳を持ってもらえなかったり、都合よく解釈されてきた。それは当然です。ニーチェは、私たちの思考の土台そのものを批判したのですから。
ニーチェによると、体内にキリスト教という毒を持ったまま、考え続ける宿命を持っているのが私たち近代人なのです。
適菜氏が言う通り、ニーチェは危険な思想家である。
西尾幹二の『アンチクリスト』は名訳であると思うが、危険過ぎる。もっともその危うさがニーチェそのものであり、それが名訳たる所以であるのだが。
例えば、
善とは何か?――権力の感情を、権力への意志を、人間のうちにある権力そのものを高めるいっさいのもの。
悪とは何か?――弱さに由来するいっさいのもの。
幸福とは何か?――権力が次第に大きくなる感情――抵抗を克服してゆく感情。
満足ではなくて、より多くの力。総じて平和ではなくて、戦争。徳ではなくて、有能。
弱者と出来損ないは亡びるべし、――これはわれわれの人間愛の第一命題。彼らの滅亡に手を貸すことは、さらにわれわれの義務である。
およそ悪徳よりも有害なものは何か?――すべての出来損ない的人間と弱者に対する同情的行為――キリスト教・・・・・・
人権屋さんでなくとも、無垢で善良な市民が読んだら怒り出しそうだが...。
言うまでもなく、ニーチェの言う弱者や出来損ないは身体的・精神的な弱者のことではない。と、いちいち弁明しなければ誤解を受けるのがニーチェである。(そのうち弁解も面倒になって勝手しろと。諦める...。)
もっともニーチェ自身もそれを知っていて、書き出しにはこうある。
「この本は、ごく少数者向きの書物である」
と。
一方、同項『キリスト教は邪教です!』
では、
まず、最初に「善」とは何かということから考えたいと思います。
「善」とは私に言わせれば、権力の感情を、権力への意志を、権力自身を、人間において高めるすべてのものです。
それでは、「悪」とは何かといいますと、弱さから出てくるすべてのものです。
では「幸福」とは何でしょう。それは、力がみなぎっていくこと、勝ち抜いたということ、頂点をきわめたということ、なのです。
弱い人間やできそこなの人たちは、落ちぶれていくべきだと私は考えています。こういうことを言うと、皆さんは驚かれるかもしれません。
しかし、本当に人間というものを愛するのなら、落ちこぼれたちがダメになっていくのを、むしろ背中から後押しするべきです。人間という存在が本当に素晴らしいものになっていためには、それが必要なのです。それこそが、本当の人類愛というものです。だからダメな人間に同情することは、非常にいけないことなのですね。キリスト教という宗教がありますが、あれはその典型です。
少し柔らかく理解しやすい表現になっている。
「落ちこぼれを背中から後押しする。」というのがポイントで、これは安吾が『堕落論』で言った、「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し救わなければならぬ。」という言葉に通じるし、ニーチェ自身も『ツァラトゥストラ』で「私達は、好敵手からは手加減されたくない。また自分が心底から愛している人達からも、そのように扱われたくない。」と背中を押される立場から、同じことを言っている。
いわゆる“超人の思想”へと繋がってゆくのだが、要は、卑屈にならず、強い人間になれ、ということだ。
キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』 (講談社+α新書)
- 作者: フリードリッヒ・ニーチェ,適菜収
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ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)
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わたしは他人に同情することで
同時におのれの幸福をおぼえるような
あわれみ深い人たちを好まない
かれらはあまりにも羞恥の念にとぼしい
たとえぼくが同情するとしても
遠くからそれをしたい
わたしは悩む者を助けた自分の手を洗う
悩む者がその悩みをぼくに見られたとき
わたしはそのためのかれらの羞恥を察して
みずから羞しく思ったからだ
それにかれを助けたとき
わたしはかれの誇りを苛酷に傷つけたのだから