NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

一日一言「幸と不幸の標準」

二月十八日 幸と不幸の標準


 何が福で、何が禍(わざわい)か。昨日までは川の淵だったものが今日は浅瀬となるような変化の激しい世の中で、禍福の区別を定めても何の意味もない。何事も、自分に返ってくることは、みな天のなせるものとして受けとめれば、他人には災難と見えても、自分にとっては福であることもある。幸と不幸の標準は、ただ自分自身の心の持ち方にある。


  世の中はつねる飛鳥川
      きのふの淵ぞ今日は瀬になる   〈古今集

── 新渡戸稲造(『一日一言』)


福田さんの幸福論。

 失敗すれば失敗したで、不幸なら不幸で、またそこに生きる道がある。その一事をいいたいために、私はこの本を書いたのです。べつの言葉でいえば、自分の幸と不幸とは、自分以外の誰の手柄でも責任でもない。誰もが、いままで誰一人として通ったことのない未知の世界に旅だっているのです。なるほど忠言はできましょう。が、その忠言がどの程度に役だつかどうか、それはめいめいが判断しなければなりません。第一、つねに忠言を期待することは不可能です。
 究極において、人は孤独です。愛を口にし、ヒューマニズムを唱えても、誰かが自分に最後までつきあってくれるなどと思ってはなりません。じつは、そういう孤独を見きわめた人だけが、愛したり愛されたりする資格を身につけえたのだといえましょう。つめたいようですが、みなさんがその孤独の道に第一歩をふみだすことに、この本がすこしでも役だてばさいわいであります。

── 福田恆存(『私の幸福論』)

私の幸福論 (ちくま文庫)

私の幸福論 (ちくま文庫)

人間・この劇的なるもの (新潮文庫)

人間・この劇的なるもの (新潮文庫)

  • 作者:福田 恆存
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1960/08/22
  • メディア: 文庫

安吾忌

すべて「一途」がほとばしるとき、人間は「歌う」ものである。

── 坂口安吾『ピエロ伝道者』


あちらこちら命がけ


安吾忌。
昭和三十年(1955年)年2月17日 坂口安吾 没。


安吾のことば。
厳選(しきれなかった)五十、とちょっと。
ぼくの生きる指針!

  • もしそれ電車の中で老幼婦女子に席をゆずる如きが道義の復興であるというなら、電車の座席はゆずり得ても、人生の座席をゆずり得ぬ自分を省みること。(『エゴイズム小論』)
  • 道義退廃などと嘆くよりも先ず汝らの心に就いて省みよ。人のオセッカイは後にして、自分のことを考えることだ。(『エゴイズム小論』)
  • 人間の尊さは、自分を苦しめるところにあるのさ。満足はだれでも好むよ。けだものでもね。(『風と二十の私と』)
  • 人生を面白がろうとしないのだ。面白くないことを百も承知で平気で生きている奴の自信に圧倒されたのである。(『神サマを生んだ人々』)
  • 私は善人は嫌いだ。なぜなら善人は人を許し我を許し、なれあいで世を渡り、真実自我を見つめるという苦悩も孤独もないからである。(『蟹の泡』)
  • 私は悪人だから、悪事が厭だ。悪い自分が厭で厭でたまらないのだ。ナマの私が厭で不潔で汚くてけがらはしくて泣きたいのだ。私はできるなら自分をズタ/\に引き裂いてやりたい。そしてもし縫ひ直せるものならすこしでもましなやうに縫ひ直したい。(『蟹の泡』)
  • 言いたい者には、言わしめよ。人に対して怒ってはならない。ただ、汝の信ずるとろころを正しく行えば足りるものである。(『肝臓先生』)
  • 人情や愛情は小出しにすべきものじゃない。全我的なもので、そのモノと共に全我を賭けるものでなければならぬ。(『詐欺の性格』)
  • 盲目的な信念というものは、それが如何ほど激しく生と死を一貫し貫いても、さまで立派だとは言えないし、却って、そのヒステリィ的な過剰な情熱に濁りを感じ、不快を覚えるものである。(『青春論』)
  • 持って生まれた力量というものは、今更悔いても及ぶ筈のものではないから、僕には許された道というのは、とにかく前進するだけだ。(『青春論』)
  • モトデをかけずにホンモノをつかみだすことはできない。表面の綺麗ごとで真実の代償を求めることは無理であり、血を賭け、肉を賭け、真実の悲鳴を賭けねばならぬ 。(『続堕落論』)
  • 善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然と死んでゆく。(『続堕落論』)
  • もとより死にたくないのは人の本能で、自殺ですら多くは生きるためのあがきの変形であり、死にたい兵隊のあろう筈はないけれども、若者の胸に殉国の情熱というものが存在し、死にたくない本能と格闘しつつ、至情に散った尊厳を敬い愛す心を忘れてはならないだろう。(『特攻隊に捧ぐ』)
  • 我々はこの戦争の中から積悪の泥沼をあばき天日にさらし干し乾して正体を見破り自省と又明日の建設の足場とすることが必要であるが、同時に、戦争の中から真実の花をさがして、ひそかに我が部屋をかざり、明日の日により美しい花をもとめ花咲かせる努力と希望を失ってはならないだろう。(『特攻隊に捧ぐ』)
  • いのちを人にささげる者を詩人という。(『特攻隊に捧ぐ』)
  • 我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか。軍部の欺瞞とカラクリにあやつられた人形の姿であったとしても、死と必死に戦い、国にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか。(『特攻隊に捧ぐ』)
  • 青年諸君よ、この戦争は馬鹿げた茶番にすぎず、そして戦争は永遠に呪うべきものであるが、かつて諸氏の胸に宿った「愛国殉国の情熱」が決して間違ったものではないことに最大の自信を持って欲しい。(『特攻隊に捧ぐ』)
  • 人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し救わなければならぬ。(『堕落論』)
  • 人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。(『堕落論』)
  • ともかく、希求の実現に努力するところに人間の生活があるのであり、夢は常にくづれるけれども、諦めや慟哭は、くづれ行く夢自体の事実の上に在り得るので、思惟として独立に存するものではない。(『デカダン文学論』)
  • 人間は先づ何よりも生活しなければならないもので、生活自体が考へるとき、始めて思想に肉体が宿る。生活自体が考へて、常に新たな発見と、それ自体の展開をもたらしてくれる。(『デカダン文学論』)
  • 私はたゞ人間、そして人間性といふものゝ必然の生き方をもとめ、自我自らを欺くことなく生きたい、といふだけである。(『デカダン文学論』)
  • 日本文学は風景の美にあこがれる。然し、人間にとつて、人間ほど美しいものがある筈はなく、人間にとつては人間が全部のものだ。(『デカダン文学論』)
  • めいめいが各自の独自なそして誠実な生活をもとめることが人生の目的でなくて、他の何物が人生の目的だろうか。(『デカダン文学論』)
  • 私は風景の中で安息したいとは思はない。又、安息し得ない人間である。(『デカダン文学論』)
  • 偉くなるといふことは、人間になるといふことだ。人形や豚ではないといふことです。(『デカダン文学論』)
  • 俗なる人は俗に、小なる人は小に、俗なるまま小なるままの各々の悲願を、まっとうに生きる姿がなつかしい。(『日本文化私観』)
  • 忘れな草の花を御存知?あれは心を持たない。しかし或日、恋に悩む一人の麗人を慰めたことを御存知?(『ピエロ伝道者』)
  • 親がなくとも、子は育つ。ウソです。親があっても、子が育つんだ。(『不良少年とキリスト』)
  • 負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありゃせぬ。戦っていれば、負けないのです。(『不良少年とキリスト』)
  • 人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。名声だの、芸術は長し、バカバカしい。私はユーレイはキライだよ。死んでも、生きているなんて、そんなユーレイはキライだよ。(『不良少年とキリスト』)
  • 死ぬ時は、ただ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。私は、これを人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、ただ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。(『不良少年とキリスト』)
  • 要するに今あるよりも「よりよいもの」を探すことができるだけだ。絶対だの永遠の幸福などというものがある筈はない。(『欲望について』)
  • 無為の平穏幸福に比べれば、欲望をみたすことには幸福よりもむしろ多くの苦悩の方をもたらすだろう。(『欲望について』)
  • ほんとうのことというものは、ほんとうすぎるから、私はきらいだ。死ねば白骨になるという。死んでしまえばそれまでだという。こういうあたりまえすぎることは、無意味であるにすぎないものだ。(『恋愛論』)
  • 私はいったいに同情はすきではない。同情して恋をあきらめるなどというのは、第一、暗くて、私はいやだ。(『恋愛論』)
  • 私は弱者よりも、強者を選ぶ。積極的な生き方を選ぶ。この道が実は苦難の道なのである。(『恋愛論』)
  • 所詮人生がバカげたものなのだから、恋愛がバカげていても、恋愛のひけめになるところもない。バカは死ななきゃ治らない、というが、われわれの愚かな一生において、バカは最も尊いものであることも、また、銘記しなければならない。(『恋愛論』)
  • 人生において、最も人を慰めるものは何か。苦しみ、悲しみ、せつなさ。さすれば、バカを恐れたもうな。(『恋愛論』)
  • 孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。(『恋愛論』)
  • 私は悪人です、と言うのは私は善人ですというよりもずるい。(『私は海を抱きしめていたい』)
  • 人生はつくるものだ。必然の姿などといふものはない。歴史といふお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである。仮面をぬぐ、裸の自分を見さだめ、そしてそこから踏み切る、型も先例も約束もありはせぬ、自分だけの独自の道を歩くのだ。自分の一生をこしらへて行くのだ。(『教祖の文学』)
  • 人間孤独の相などとは、きまりきつたこと、当りまへすぎる事、そんなものは屁でもない。そんなものこそ特別意識する必要はない。さうにきまりきつてゐるのだから。(『教祖の文学』)
  • 自分といふ人間は他にかけがへのない人間であり、死ねばなくなる人間なのだから、自分の人生を精いつぱい、より良く、工夫をこらして生きなければならぬ。人間一般、永遠なる人間、そんなものゝ肖像によつて間に合はせたり、まぎらしたりはできないもので、単純明快、より良く生きるほかに、何物もありやしない。(『教祖の文学』)
  • 人間は悲しいものだ。切ないものだ。苦しいものだ。不幸なものだ。なぜなら、死んでなくなつてしまふのだから。自分一人だけがさうなんだから。銘々がさういふ自分を背負つてゐるのだから、これはもう、人間同志の関係に幸福などありやしない。それでも、とにかく、生きるほかに手はない。生きる以上は、悪くより、良く生きなければならぬ。(『教祖の文学』)
  • 大人はずるいものだ。表と裏が別で、口では正義を説きながら裏では利慾をはかり、自らの為し得ざえることを人には要求し、カラクリだの陰謀術数を人生の経緯とし、これを称して人間ができてゐるとか、大人物だとか、申してゐます。青年の純潔さや一本気な情熱などは青二才の馬鹿さ加減と考へてゐるのが常識で、又、悲しむべき現実でもあります。(『青年に愬ふ』)
  • 他をたよつたり、味方をふやすことを考へる必要もない。他の嘲笑を恐れる必要もないし、自分だけ正しく行動してゐるのに他の人々が悪いことをいてゐるといつて怒ってしまつてはもう駄目だ。(『青年に愬ふ』)
  • 青年は先づ「ひとり」であることが大切だ。さうして、自分とは何者であるか、何を欲し、何を愛し、何を憎み、何を悲しんでゐるか、それを自覚し、そして自分自身を偽らぬことです。(『青年に愬ふ』)
  • 他人が正しくないと云って憤るよりも、自分一人だけが先づ真理を行ふことの満足のうちに生存の意義を見出すべきではないですか。(『青年に愬ふ』)
  • 私は結社や徒党はきらひで、さういふものゝ中でしか自分を感じ得ぬ人々は特にきらひなのです。(『青年に愬ふ』)
  • 青年は純潔だなどゝ申しても、人間は悲しいもので、年をとると、だめになります。情熱はだんだんあせ、正義よりも私利に傾き、せちがらくなり、ずるくなり、例の大人になります。(『青年に愬ふ』)
  • 何物を破壊する必要もない。正しいもの、美しい物を造ることによって自ら破壊は行はれるでせう。(『青年に愬ふ』)
  • 重ねて言ふ、大人はずるく、青年は純潔です。君自身の純潔を愛したまへ。(『青年に愬ふ』)

 → http://my.reset.jp/~nakamoto/book_ango.html


坂口安吾 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E5%8F%A3%E5%AE%89%E5%90%BE
坂口安吾デジタルミュージアム』 http://www.ango-museum.jp/
新潟市 - 安吾賞 -Ango Awards-』 http://www.city.niigata.lg.jp/info/bunka/ango/


堕落論 (新潮文庫)

堕落論 (新潮文庫)

  • 作者:坂口 安吾
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2000/05/30
  • メディア: 文庫
桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)

桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)

『堕落論』

久し振りに『堕落論』でも。
『堕落論』、『続堕落論』より抜粋)

 半年のうちに世相は変った。醜(しこ)の御楯(みたて)といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。

 あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、充満していた。猛火をくぐって逃げのびてきた人達は、燃えかけている家のそばに群がって寒さの煖をとっており、同じ火に必死に消火につとめている人々から一尺離れているだけで全然別の世界にいるのであった。偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情。それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない。

 終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、そして人間は考えるからだ。政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか。

 人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

 戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。

 人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。

 人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一の条件だ。そこから自分と、そして人性の、真実の誕生と、その発足が始められる。

 先ず裸となり、とらわれたるタブーをすて、己れの真実の声をもとめよ。未亡人は恋愛し地獄へ堕ちよ。復員軍人は闇屋となれ。堕落自体は悪いことにきまっているが、モトデをかけずにホンモノをつかみだすことはできない。表面の綺麗ごとで真実の代償を求めることは無理であり、血を賭け、肉を賭け、真実の悲鳴を賭けねばならぬ。堕落すべき時には、まっとうに、まっさかさまに堕ちねばならぬ。道義頽廃、混乱せよ。血を流し、毒にまみれよ。先ず地獄の門をくぐって天国へよじ登らねばならない。手と足の二十本の爪を血ににじませ、はぎ落して、じりじりと天国へ近づく以外に道があろうか。

 堕落自体は常につまらぬものであり、悪であるにすぎないけれども、堕落のもつ性格の一つには孤独という偉大なる人間の実相が厳として存している。即ち堕落は常に孤独なものであり、他の人々に見すてられ、父母にまで見すてられ、ただ自らに頼る以外に術(すべ)のない宿命を帯びている。

 善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野(こうや)を歩いて行くのである。悪徳はつまらぬものであるけれども、孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ。キリストが淫売婦にぬかずくのもこの曠野のひとり行く道に対してであり、この道だけが天国に通じているのだ。何万、何億の堕落者は常に天国に至り得ず、むなしく地獄をひとりさまようにしても、この道が天国に通じているということに変りはない。

 人間の一生ははかないものだが、又、然し、人間というものはベラボーなオプチミストでトンチンカンなわけの分らぬオッチョコチョイの存在で、あの戦争の最中、東京の人達の大半は家をやかれ、壕にすみ、雨にぬれ、行きたくても行き場がないとこぼしていたが、そういう人もいたかも知れぬが、然し、あの生活に妙な落着(おちつき)と訣別(けつべつ)しがたい愛情を感じだしていた人間も少くなかった筈で、雨にはぬれ、爆撃にはビクビクしながら、その毎日を結構たのしみはじめていたオプチミストが少くなかった。

 生々流転、無限なる人間の永遠の未来に対して、我々の一生などは露の命であるにすぎず、その我々が絶対不変の制度だの永遠の幸福を云々し未来に対して約束するなどチョコザイ千万なナンセンスにすぎない。無限又永遠の時間に対して、その人間の進化に対して、恐るべき冒涜ではないか。我々の為しうることは、ただ、少しずつ良くなれということで、人間の堕落の限界も、実は案外、その程度でしか有り得ない。人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何物かカラクリにたよって落下をくいとめずにいられなくなるであろう。そのカラクリをつくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の実相を我々は先ず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。

坂口安吾 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E5%8F%A3%E5%AE%89%E5%90%BE
坂口安吾デジタルミュージアム』 http://www.ango-museum.jp/

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)


明日は安吾忌。

自分のエゴイズムになぜ気づきたがらぬのか

 自分のエゴイズムになぜ氣づきたがらぬのか、なぜこれを正當化しようともくろむのか。自分に自信がもてないからだ。食ひたいものを食ひ、欲しいものを身につける自信がないからだ。きみたちはそれほど生きることに自信をもてないのか。

── 福田恒存(『白く塗りたくる墓

日本への遺言―福田恒存語録 (文春文庫)

日本への遺言―福田恒存語録 (文春文庫)

ハムレット (新潮文庫)

ハムレット (新潮文庫)

山本周五郎

「世間にゃあ表と裏がある、どんなきれい事にみえる物だって、裏を返せばいやらしい仕掛けのないものは稀だ、それが世間ていうもんだし、その世間で生きてゆく以上、眼をつぶるものには眼をつぶるくらいの、おとなの肝(はら)がなくちゃならねえ」

── 山本周五郎 (『山本周五郎のことば』

昭和42年(1967)2月14日 山本周五郎 没。


周五郎のことば、十選。

  • 「人間が欲に負けるというのはつくづく悲しいもんだと思いますよ」(『さぶ』)
  • 「世の中には生まれつき一流になるような能を備えた者がたくさんいるよ、けれどもねえ、そういう生まれつきの能を持っている人間でも、自分ひとりだけじゃあなんにもできやしない、能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が眼に見えない力をかしているんだよ」(『さぶ』)
  • 「人間はみな同じような状態にいるんだ、まぬがれることのできない、生と死のあいだで、そのぎりぎりのところで生きているんだ」(『樅ノ木は残った』)
  • 「――意地や面目を立てとおすことはいさましい、人の眼にも壮烈にみえるだろう、しかし、侍の本分というものは堪忍や辛抱の中にある、生きられる限り生きて御奉公をすることだ、これは侍に限らない、およそ人間の生きかたとはそういうものだ、いつの世でも、しんじつ国家を支え護(もり)立てているのは、こういう堪忍や辛抱、――人の眼につかず名もあらわれないところに働いている力なのだ」(『樅ノ木は残った』)
  • 「人間としをとればいろんなことがわかってくる、わかるにしたがって世の中がどんなにいやらしいか、人間がどんなにみじめなものか、ってことがはっきりするばかりだ」(『へちまの木』
  • 「にんげん生きてゆくためにゃあ、どんな恥ずかしいことも忍ばなくちゃあならねえときがある、気にしなさんな、そのうちに慣れるさ」(『へちまの木』)
  • 「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、すべてが休みなく、前へ前へと進んでいる、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、――だが、ついてゆけない者はいるのだし、かれも人間なのだ、いま富み栄えている者よりも、貧困と無知のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来の希望がもてるように思えるのだ」(『赤ひげ診療譚』)
  • 「あなたの持っている才能も、このままではだめだ、もっと迷い、つまづき、幾十たびとなく転び、傷ついて血をながし、泥まみれになってからでなくては、本物にはならない」(『虚空遍歴』)
  • 「人間は自分のちからでうちかち難い問題にぶっつかると、つい神に訴えたくなるらしい、――これがあなたの御意志ですかとね、それは自分の無力さや弱さや絶望を、神に転嫁しようとする、人間のこすっからい考えかただ」(『おごそかな渇き』)
  • 苦しいときほど人間がもっとも人間らしくなるときはない。(『雨のみちのく・独居のたのしみ』)

山本周五郎のことば (新潮新書)

山本周五郎のことば (新潮新書)

  • 作者:清原 康正
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/06/01
  • メディア: 新書
人は負けながら勝つのがいい

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雨あがる 特別版 [DVD]

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