NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

「日本のメディアが風評被害の種をまく」

「【産経抄】日本のメディアが風評被害の種をまく 6月21日」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170621/clm1706210002-n1.html

 韓国でもし原発事故が発生すれば、日本にどんな被害が及ぶのか。先月21日の新聞に、背筋が寒くなるような記事が載っていた。

 韓国南部の釜山(プサン)市にある原発から放射性物質が、大量に放出されたと想定する。平成27年1月の気象条件にあてはめると、偏西風の影響を受けて、西日本を中心に汚染が広がる。被害を試算した米国のシンクタンクは、最大2830万人が避難を余儀なくされる可能性を指摘していた。

 その韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、原発中心の発電政策を破棄して、「脱原発に進む」と宣言した。もっとも文氏は別に、原発事故で日本に迷惑をかけるわけにはいかない、などと心配してくれているわけではなさそうだ。むしろ東京電力福島第1原発事故に関連して、文氏が言及した数字に引っかかりを覚える。

 「2016年3月現在、1368人が死亡」。一体、どこからこんな数字が出てきたのか。東京新聞が昨年3月6日付朝刊の記事で、「原発関連死」として独自に1368人と集計している。これを引用したとしか思えない。ただ東京新聞がいう原発関連死とは、事故後避難生活で病状や体調が悪化して死亡した人の数である。

 それが大統領の発言によって、「原発による死者数」として定着すればどうなるか。福島を含めた8県の水産物の輸入禁止を続けている韓国で、新たな風評被害を招きかねない。

 先週のコラムで紹介したヘンリー・S・ストークス氏の『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』のなかに、こんな記述がある。「『南京』にせよ『靖国参拝問題』にせよ『慰安婦問題』にせよ…日本人の側から中国や韓国に嗾(けしか)けて、問題にしてもらった」。原発問題が同じ道をたどらないよう、祈るばかりである。

桜桃忌

 太宰の自殺は、自殺というより、芸道人の身もだえの一様相であり、ジコーサマ入門と同じような体をなさゞるアガキであったと思えばマチガイなかろう。こういう悪アガキはそッとしておいて、いたわって、静かに休ませてやるがいゝ。
 芸道は常時に於て戦争だから、平チャラな顔をしていても、ヘソの奥では常にキャッと悲鳴をあげ、穴ボコへにげこまずにいられなくなり、意味もない女と情死し、世の終りに至るまで、生き方死に方をなさなくなる。こんなことは、問題とするに足りない。作品がすべてゞある。

── 坂口安吾(『太宰治情死考』)

今日は桜桃忌。


「太宰生誕前日祭 ファンら献花/弘前」(陸奥新報
 → http://www.mutusinpou.co.jp/news/2017/06/46928.html
太宰治しのび ゆかりの『女生徒』朗読 『天下茶屋』にファン40人 富士河口湖 /山梨」(毎日新聞
 → https://mainichi.jp/articles/20170619/ddl/k19/040/114000c
太宰治に550人献花 青森・五所川原市で生誕108年祭」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/photo/story/news/170619/sty1706190012-n1.html


太宰治文学サロン』(三鷹市芸術文化振興財団) http://mitaka.jpn.org/dazai/

明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。

── 太宰治『女生徒』

女生徒 (角川文庫)

女生徒 (角川文庫)

 自分を忘れたい、ウソつけ。忘れたきゃ、年中、酒をのんで、酔い通せ。これをデカダンと称す。屁理窟を云ってはならぬ。
 私は生きているのだぜ。さっきも言う通り、人生五十年、タカが知れてらア、そう言うのが、あんまり易しいから、そう言いたくないと言ってるじゃないか。幼稚でも、青くさくても、泥くさくても、なんとか生きているアカシを立てようと心がけているのだ。年中酔い通すぐらいなら、死んでらい。
 一時的に自分を忘れられるということは、これは魅力あることですよ。たしかに、これは、現実的に偉大なる魔術です。むかしは、金五十銭、ギザギザ一枚にぎると、新橋の駅前で、コップ酒五杯のんで、魔術がつかえた。ちかごろは、魔法をつかうのは、容易なことじゃ、ないですよ。太宰は、魔法つかいに失格せずに、人間に失格したです。と、思いこみ遊ばしたです。
 もとより、太宰は、人間に失格しては、いない。フツカヨイに赤面逆上するだけでも、赤面逆上しないヤツバラよりも、どれぐらい、マットウに、人間的であったか知れぬ。

 死ぬ、とか、自殺、とか、くだらぬことだ。負けたから、死ぬのである。勝てば、死にはせぬ。死の勝利、そんなバカな論理を信じるのは、オタスケじいさんの虫きりを信じるよりも阿呆らしい。
 人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。名声だの、芸術は長し、バカバカしい。私は、ユーレイはキライだよ。死んでも、生きてるなんて、そんなユーレイはキライだよ。
 生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。
 死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。
 然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。
 勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。

── 坂口安吾『不良少年とキリスト』

われこそは正義の味方...

テレビは巨大なジャーナリズムで、それには当然モラルがある。私はそれを「茶の間の正義」と呼んでいる。眉ツバものの、うさん臭い正義のことである。

── 山本夏彦『何用あって月世界へ』


昨日の産経抄より。
「【産経抄】われこそは正義の味方とばかりにかさにかかっている新聞や野党、ご都合主義が過ぎる」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170617/clm1706170003-n1.html

 自分たちの過去の言動は忘れ、高飛車に他者を非難する。そんな新聞や野党の二重基準には、つくづくうんざりする。学校法人加計学園獣医学部新設計画をめぐり、義家弘介文部科学副大臣が、文書を流した文科省職員を守秘義務違反で処分する可能性に触れたところ、袋だたきに遭った件である。

 「政権は文書の存在を語る者の口を封じるような行いさえした。(中略)考え違いもはなはだしい」。16日付朝日新聞社説がこう批判すれば、同日付毎日新聞社説も息を合わせて糾弾する。「告発への威嚇ともとれる発言だ。政と官の関係のゆがみの表れだろう」。

 民進党蓮舫代表も「保護しないといけない者を処分の対象とする。安倍晋三内閣の姿は、絶対に許してはいけない」と息巻いていた。われこそは正義の味方とばかりにかさにかかっているが、ご都合主義が過ぎる。

 平成22年9月に尖閣諸島沖縄県石垣市)沖で、中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりする事件があった。当時の民主党菅直人内閣は海保が即日公開する予定だった衝突映像を隠蔽(いんぺい)したため、海上保安官だった一色正春氏が義憤にかられ、映像をインターネットに流した。

 この時、朝日社説は「政府や国会の意思に反することであり、許されない」、毎日社説は「国家公務員が政権の方針と国会の判断に公然と異を唱えた『倒閣運動』でもある」と決め付けた。菅内閣仙谷由人官房長官は「由々しき事件だ。徹底的に調べないといけない」と強調していた。

 菅内閣の「ご意向」に反する公務員はけしからんと説いた新聞が、今では文書を漏らした職員を英雄扱いして持ち上げている。民進党ともども前非を悔いて、一色氏に謝罪して出直したらどうか。


賢人にも曰く、

 民主主義政治の原理は、自分が独裁者になりたくないという心理に基づいているのではなく、他人を独裁者にしたくないという心理に基づいているのである。一口に言えば、その根本には他人に対する軽蔑と不信と警戒心とがある。
 そうと気づいてもらえば、「正義の主張は犯罪と心得べし」という私の忠告は極く素直に受け入れられるだろう。愛の陰には色情があり、正義の陰には利己心がある。反省の篩(ふるい)にかければ、愛や正義の名に値するものはめったにないことになる。それがどういうわけか、今日の日本では、民主主義だけが篩(ふるい)の目を逃れ、ほとんど唯一の禁忌(タブー)にまで昇格してしまっている。敵も味方もそれを旗印にする。民主主義の名の下に暴力を犯し、あるいは暴力を犯してそれを肯定するために民主主義を口実にする。そうかと思うと、暴力は民主主義ではない、それに反するものだと言い、民主主義をもってそれを説伏(しゃくふく)しようとする。民主主義とはそれほど便利なものか。

── 福田恆存(『日本への遺言』)

一日一言「死は待つもの」

六月十七日 死は待つもの


 ぼんやりと考えていればこれほど恐ろしいものはないが、よくよく考えてみれば、これほど切ないものはないと思うのは、死である。深く考えれば鬼のようであるが、さらに深く考えてみると、これは天の使いではなかろうか。そうであれば、死はいつ来てもよいように、これを待たなければならないが、自分から死を迎えてはならない。


  かほどまで偽多き世なれども
      死ぬるばかりは偽でなし

── 新渡戸稲造(『一日一言』)


安吾センセに曰く、

 死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。

── 坂口安吾『不良少年とキリスト』