NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

『人間・この劇的なるもの』

 今日、私たちは、あまりに全体を鳥瞰しすぎる。いや、全体が見えるといふ錯覚に甘え過ぎてゐる。そして、一方では、個人が社会の部分品になりさがつてしまつたことに不平をいつてゐる。

── 福田恆存『人間・この劇的なるもの』


人間・この劇的なるもの (中公文庫)

人間・この劇的なるもの (中公文庫)

地球平面論者墜落死

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 信じやすい人というのは、奇妙なことがらを信じることに無上の喜びを見出すものだ。しかも、奇妙であればあるほど受け入れやすいときている。ところがそういう人は、平明でいかにもありそうなことがらは重んじようとしない。というのもそんなものは誰でも信じることが出来るからだ。

── サミュエル・バトラー(『人さまざま』)

あとは各自で宜しくやって下さい。

 考えることは、悩むことではない。
 世の人、決定的に、ここを間違えている。人が悩むのは、きちんと考えていないからにほかならず、きちんと考えることができるなら、人が悩むということなど、じつはあり得ないのである。なぜなら、悩むよりも先に、悩まれている事柄の「何であるか」、が考えられていなければならないからである。「わからないこと」を悩むことはできない。「わからない」は考えられるべきである。ところで、「人生をいかに生くべきか」と悩んでいるあなた、あなたは人生の何をわかっていると思って悩んでいるのですか。

── 池田晶子『残酷人生論―あるいは新世紀オラクル』


平成19年(2007年)2月23日 “哲学の巫女” 考える人 池田晶子 没

「宗教」ではない宗教性


 信じる人は困ったものだと皆が言っている。根は真面目で、しかも頭の良い人たちなのに、と。
 そういうふうに言うときの人々の口調に、何かずるいものを私は感じる。確かに彼らは頭が良いが、信じているから馬鹿なのだ。信じる人は馬鹿なのだ。知的な人間は信じないものだ、信じない自分のほうがだから彼らより知的なのだ、それで一段高みから彼らを論評する資格が自分にはあるのだといったような。
 これ、うそ。この両者、おんなじ。信じてる人も、信じてない人も、なぜ信じ、なぜ信じていないのかを、考えることなく信じてたり信じてなかったりするのだからまったくおんなじ、つまり考えなし。考えることなく信じている、これを信仰という。世のほとんどが無宗教信者。
 人が何がしかの宗教的なものに関わるのは、救われたいからだ縋(すが)りたいからだと思うのは、もうやめにしてもいいのではないか、信じてる人も信じてない人も、ちょうど、きりよく二千年たつことだし。
  信じてる人、聞いてください。
 あなたが信じたのは、自分の孤独に不安を覚えたからだった。ところで、信じたところで、あなたがあなたでなくなりますか、宇宙が宇宙でなくなりますか。いや、信じることによって自分と宇宙は一体化できるのだというのなら、宇宙自身の孤独はどうなるのですか。宇宙は自分が自分であって自分以外ではないという孤独を、何によって癒せばよいのでしょう。そのときあなたの孤独は、じつは宇宙大に拡大しただけの話ではないでしょうか。つまることろ、「あなた」とは誰ですか。あなたはそれについて、信じるのではなく考えたことがありますか。また、考えるために大勢でまとまる必要が、なぜあるのでしょうか。
  信じてない人、聞いてください。
 あなたが信じていないのは、自分は自分であり宇宙とは別物であると信じているからだった。ところで、そう信じられるためには、あなたは「自分」という言い方で何を指示しているのかを、明確にできなければならない。それはあなたの肉体を指しますか。それとも心ですか。では心はどこにありますか。心なんてものはない。それは脳のことを指すのだというのなら、では、脳を作ったのはあなたですか。あなたの脳を作ったのは、ほかでもない、宇宙ではないのですか。ではなぜ、宇宙と自分とを別々にして考えられましょうか。人が宗教的なものに考え至らざるを得ないのは、実は救済以前の問題なのだと、このとき気づきはしませんか。
 私は、信仰はもっていないが、確信はもっている。それは、信じることなく考えるからである。私は考えるからである。宇宙と自分の相関について、信じてしまうことなく考え続けているからである。救済なんぞ問題ではない。なぜなら、救済という言い方で何が言われているのかを考えることのほうが、先のはずだからである。人類はそこのところをずうーっと、あべこべに考えてきたのだ。これは、驚くべき勘違いである、気持ちは、わかるけど、オウムの事件は、たぶん、トドメの悪夢なのだ。
 新しき宗教性は、だから、今や「宗教」という言葉で呼ばれるべきではない。それは「宗 - 教」ではない。教祖も教団も教理も要らない、それは信仰ではない。それは、最初から最後までひとりっきりで考え、られるし、また考える、べき性質のものなのだ。だからそのあらたなる名称は、
  垂直的孤独性、とか
  凝縮的透明性、とか
 そんなふうな響きをもった、何を隠そうその名は、「哲学」なのである。

── 池田晶子『残酷人生論―あるいは新世紀オラクル』

『(池田晶子記念)わたくし、つまり Nobody賞』 http://www.nobody.or.jp/
池田晶子 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%99%B6%E5%AD%90_(%E6%96%87%E7%AD%86%E5%AE%B6)

 自ら考えて討死しなさい。病いと心中してみせなさい。それだけの覚悟がないのなら、ぐずぐず悩まず、つべこべ言わず、哲学など徹底的に無視しましょう。無視して力強く潔く生きてゆきましょう。きれい好きが昂じて、「考える」という無用の用を、それのみ取り分けてこの世のくさぐさから別にしておきたかった私の仕事、煎じ詰めれば、たったのこれだけ。これで、おしまい。
 あとは各自で宜しくやって下さい。

── 池田晶子『考える人―口伝(オラクル)西洋哲学史』

死とは何か さて死んだのは誰なのか

死とは何か さて死んだのは誰なのか

私とは何か さて死んだのは誰なのか

私とは何か さて死んだのは誰なのか

絶望を生きる哲学 池田晶子の言葉

絶望を生きる哲学 池田晶子の言葉

  • 作者:池田 晶子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
幸福に死ぬための哲学――池田晶子の言葉

幸福に死ぬための哲学――池田晶子の言葉

  • 作者:池田 晶子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2015/02/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
無敵のソクラテス

無敵のソクラテス

  • 作者:池田 晶子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/01/01
  • メディア: 単行本
考える人―口伝(オラクル)西洋哲学史 (中公文庫)

考える人―口伝(オラクル)西洋哲学史 (中公文庫)

一日一言「六憎」

二月二十一日 六憎


 六憎というのは、憎むべきものが六つあるということ。
  一、自分の詞に気持ち高ぶること(自分の言葉に酔うこと)
  二、事実を見なくて物知り顔をすること
  三、人に物をやって恩にきせること
  四、けちなこと
  五、欲深きこと
  六、他人をねたむこと


   憎むとも憎み返すな憎まれて
       憎み憎まれ果てしなければ   <柳沢里恭>

── 新渡戸稲造(『一日一言』)

一日一言「愛の足りない証拠」

二月二十日 愛の足りない証拠


 自分はこれほどまでに尽くしているのに、先方はそれほどまでに思っていないとうらむことは人の癖で、これは親子、兄弟、夫婦の間でもあることだが、先方も恐らく同じように思っているのではないか。人を愛してもその反響がないのは、自分の愛が足りない証拠だと知ること。自分の心づくしに感じる者がいないからと結論づけるのはあやまりで、これはまだ尽くす余地があるということを知らなければならない。


 我が恩を仇にて返す人あらば
   またその上に慈悲をほどこせ
 

── 新渡戸稲造(『一日一言』)