小林秀雄
理想や真理で自己防衛を行うのは、もう厭(いや)だ、自分は、裸で不安で生きて行く。そんな男の生きる理由とは、単に、気絶する事が出来ずにいるという事だろう。よろしい、充分な理由だ。他人にはどんなに奇妙な言草(いいぐさ)と聞こえようと自分は敢えて言う、自分は絶望の力を信じている、と。若(も)し何かが生起するとすれば、何か新しい意味が生ずるれば、ただ其処からだ。
昭和58年(1983年)3月1日 小林秀雄 没
小林さんは極く素直な人だつたのであり、こちらが素直に対すれば、小林さんも亦素直に応じてくれる人だつだと信じてをります。それにもかかはらず私は物を書く時、それがどんな些細なものであれ、小林さんの鋭い眼を意識せずにはゐられませんでした。時折、私の右肩越しに後ろから私の文章を見つめてゐる鋭い眼光を実感するのです。時には敢へてそれを振切り、全くその存在を忘れて暴走して見ますが、そんな時に限つて、これを小林さんに見られたら何と言はれるかなと、必ず心の引緊る思ひがしたものです。
また、私が越後の親戚へ法要に赴くとき、上野駅で彼に会った。彼は新潟高校へ講演に行くところであった。彼は珍しくハカマをはいていた。私は人のモーニングを借り着していたのである。
大宮から食堂車がひらいたので、二人で飲みはじめ、越後川口へつくまで、朝の九時から午後二時半まで、飲みつづけたね。二人ともずいぶん酔っていたらしい。越後川口で降りるとき、彼は私の荷物をひッたくッて、急げ急げと先に立って降車口へ案内して、私を無事プラットフォームへ降してくれた。ひどく低いプラットフォームだなア。それに、せまいよ。第一、誰もほかに降りやしない。駅員もいねえや。田舎の停車場はひどいもんだと思っていたが、バイバイと手をふって、汽車が行ってしまうと、私はプラットフォームの反対側の客車と貨物列車の中間に立たされていたのだね。私がそこへ降りたわけじゃなくて、彼が私をそこへ降したのである。親切に重い荷物まで担いでくれてさ。小林さんは、根はやさしくて、親切な人なんだね。
── 坂口安吾(『小林さんと私のツキアイ』)
『小林秀雄 (批評家) - Wikipedia』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%A7%80%E9%9B%84_%28%E6%89%B9%E8%A9%95%E5%AE%B6%29- 作者:小林 秀雄
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