一日一言「我も罪人」
四月二十八日 我も罪人
新聞にも書かれず、警察署にも呼び出されたことがないから、自分は悪い人間ではないと思うのは、自分をあまりにも誇大評価するものである。悪い評判が立ち、罪の疑いをかけられても善人はいる。人にほめられる悪人もこの世には少なくない。
盗みせず人殺さぬを能にして
我れ罪なしといふぞかなしき
私は善人は嫌ひだ。なぜなら善人は人を許し我を許し、なれあひで世を渡り、真実自我を見つめるといふ苦悩も孤独もないからである。悪人は――悪徳自体は常にくだらぬものではあるが、悪徳の性格の一つには孤独といふ必然の性格があり、他をたより得ず、あらゆる物に見すてられ見放され自分だけを見つめなければならないといふ崖があるのだ。善人尚もて往生を遂ぐ況(いわん)や悪人をや、とはこの崖であり、この崖は神に通じる道ではあるが、然し、星の数ほどある悪人の中の何人だけが神に通じ得たか、それは私は知らないが、そして、又、私自身神サマにならうなどと夢にも考へてゐないけれども、孤独の性格の故に私は悪人を愛してをり、又、私自身が悪人でもあるのである。けれどもそれは孤独の性格の故であり、悪人の悪自体を正気で愛し得るものではない。
── 坂口安吾(『蟹の泡』)
人間は自分が善人だと思った時、始末が悪くなる。
── 曽野綾子(『自分をまげない勇気と信念のことば』)