いざ友よ、ただ飲まんかな。唄はんかな。
「あの時のようにもう一度この鬣(たてがみ)を振りあげて駆け出してくれ。」
「あの頃の歌を歌おうよ。」
「ゼーロン。お前は、強欲者の酒倉を襲って酒樽を奪掠だつりゃくするこの泥棒詩人の、ブセハラスではなかったか! あの時のようにもう一度この鬣を振りあげて駆け出してくれ。これでも思い出せぬと云うならば、そうだ、ではあの頃の歌を歌おうよ。僕が、この Ballad を歌うとお前は歌の緩急の度に合わせて、速くも緩ゆるやかにも自由に脚竝みをそろえたではないか。」
- 作者: 牧野信一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1990/11/16
- メディア: 文庫
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彼の死ほど物欲しさうでない死はない。死ぬことは、彼にはどうでもいいことだつた。すべてはただ生きることに尽されてゐた。彼の生は「死」の影がすこしも隠されてゐない明るさのために、あまりにも激しく死に裏打されてゐた。生きることはただ生きることそれだけであるために、彼の生は却つて死にみいられてゐた。だから、彼の死は自然で、すこしも劇的でなく、芝居気がなく、物欲しさうでないのだ。即ち純粋な魂が生きつづけた。死をも尚生きつづけた。さうではないか、牧野さん。生きるために自殺をするといふのは多くの自殺がさうであるが、牧野さんは自殺を生きつづけたと言ふべきである。彼は生きつづけてしまつたのだ。明るい自殺よ。彼の自殺は祭典であつた。いざ友よ、ただ飲まんかな。唄はんかな。愛する詩人の祭典のために。
── 坂口安吾(『牧野さんの祭典によせて』)