NAKAMOTO PERSONAL

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信心の形を反省すべき時期が来た

「いまだに盛んな『パワースポット・ブーム』にひとこと物申す」(現代ビジネス)
 → https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59188

理由なき“名所”
いわゆる「パワースポット」がブームになってから、もうすでに10年以上が経過する。

古くから信仰の対象となって来た土地、宗教施設がある場には「パワー」がみなぎり、そこを訪ねると「力」が得られるという、現世利益的、通俗的、「迷信」的な解釈が多くの人々に共有されてきたのだ。

ブームは一過性のものではなく、平成が終わろうとしている現在も、くメディアに流通している。「パワースポット」は、現代日本人の宗教に対する浅薄な意識の象徴であり、理由なき“名所”をもてはやすのはそろそろ止めた方がよいのではないか。

そこで、このブームの起源を探るとともに、歴史的・民俗的に、こうした“スポット”への関心を批判的に検証してみたい。


パワースポットの起源
「パワースポット」という言葉じたいは1980年代からすでに存在したが、多くのメディアが取り上げるようになったのは90年代からである。

UFO、未確認生物、超能力、超古代文明など扱う月刊誌『ムー』は、1993年8月号の特別付録に「日本列島パワースポットガイド」を付けている。

同年2月には美術家の横尾忠則が『ARTのパワースポット』を刊行。現代美術の領域では、「パワースポット」という概念はすでに通用していたのだろう。

これらを遡る91年11月には“超能力者”として知られた清田益章が『発見!パワースポット』という本を刊行していた。“エスパー清田”はパワースポットの生みの親のひとりなのである。

2000年代に入ると、スピリチュアリストの江原啓之や“風水”による開運を流行らせたDr.コパらがメディアの寵児となり、それぞれの立場からパワースポットのご利益を喧伝した(ただし江原はのちに、神仏への畏敬の念を持たないパワースポット巡りを批判している)。

そして2010年頃には一般紙やテレビのニュースでも、「パワースポット」という言葉がためらいもなく使用されるようになってしまったのである。


清正井」と「白い氣守」
パワースポットという用語と概念を広め、ブームをあおった現象のひとつに、明治神宮境内の「清正井清正の井戸)」に参拝者が殺到するという事態があった。

テレビ番組での紹介で知名度が一挙に上がり、2009年末頃からは人気のパワースポットとなったのである。

この井戸の画像を、携帯やスマホの待ち受け画面に設定することでパワーを得られる、癒しの効果が得られるなどという噂が一気に広まり、最盛期には4、5時間待ちの行列ができてニュースになったのだ。

ちなみに、「清正井」がパワースポットとされるのは、富士山と皇居を結ぶ「龍脈」の上にあり、気が地表に吹き出す「龍穴」だからということだった。

「パワースポット」が頒布する「気」を帯びた護符が、騒動を巻き起こしたのは去年のことである。埼玉県秩父市三峯神社が毎月1日(朔日)にだけ頒布する“限定品”の「白い氣守(きまもり)」を求める車で、大渋滞が起こったのだ。

三峯神社は、猪などの害獣から農作物を守る狼を、眷族・神使として祀る「お犬さま」信仰で知られてきた歴史的霊場である。

標高1100メートルの高地にある神社にアクセスするには、ほぼ1本道の県道を通らざるをえないため、4月には過去最長となる約25キロの渋滞となり、路線バスが運休するなど市民生活にも影響が出た。

また参拝者の多くが神社に到着できないため、神社のはるか手前で、社務所の職員が月内有効の「氣守引換え券」を渡すという事態となった。

こうした状況を重く見た神社では5月15日に、「白い氣守」の頒布を6月から当面休止すると発表したのである。


俗流アニミズム”の果てに
三峯神社は「白い氣守」ブームの以前からパワースポットとして知られ、その中心は樹齢800年とされる杉の「神木」だった。

昨年末も、テレビの情報番組で三峯神社は「パワースポット」として紹介され、レポーターがこの神木に触れて「パワー」を授かるシーンが映し出されていた。

筆者は2010年、三峯神社に『神社に泊まる』の取材のため参篭(宿泊)したが、当時もこの神木は“氣”があるされていたものの、ここまでのブームではなかった。

巨木や巨石に霊力を感じるのは、“日本人”が古来からもつ素朴な信仰心だと考えられている。しかし、日本列島に住んできた人々がどのような信仰をもってきたかを実証することは困難だ。

自然崇拝を基礎とし、そこに霊的なものをみとめるアニミスティックな信仰、祖先や身近な死者の魂を鎮める祖霊崇拝がなされたことは考古遺物などから推測できる。

こうした自然崇拝、精霊崇拝、祖霊崇拝は、豊作や豊漁を願いつつ、共同体の繁栄と安寧を祈るものだったろう。

巨樹や巨石には、古代人ならずとも、人間的時間を超えた生命力や神秘的な力が感じられるかもしれない。またエコロジカルな生活を礼賛する近年の自然志向、環境に対する過大な保護主義的観念が、霊的スポットに多くの人が惹きつけられる要因になっているのだろう。昨今の「縄文ブーム」にも“自然との共生”を高く評価するような側面がみられる。

しかし自然は本来、人々に恩恵を与えるとともに災害などを起こす脅威の対象でもあった。山や川、海に対する「畏怖」の感情が、自然そのものへの信仰心を芽生えさせ、そこが霊の依り代であるという観念を定着させたのだ。

だが、都市に住む第3次産業の従事者たちには、自然から受ける直接的な恩恵は少なく、遠くの災害も他人事になってしまっている。多くの日本人にとって、自然の恵みも脅威も、切実なものではなくなっているのだ。

だからこそ、古来の信仰を踏まえることなく、メディアが喧伝する“名所”に過度な期待をしてしまうことになるのである。


仏像には“パワー”はない
また、明確な「形」がないこと、なんとなく神秘的であることが、パワースポットの要件であるように見受けられる。

たとえば「奈良の大仏」や京都の「三十三間堂」のような著名な仏像・仏像群は、それ自体をパワースポットとして称揚されることはない。

あくまでもその“場所”が重要であり、仏像や建造物よりも自然や環境・景観に、“パワー”があるとされるのだ。おそらく、仏教の“具体的”“可視的”な信仰対象は神秘的ではないのだろう。


しかし、パワースポットに選ばれるような霊山は、明治初年の神仏分離まで仏教と切り離すことができなかったところがほとんどなのである。

三峯神社も近世までは「三峯権現」と呼ばれ、「観音院高雲寺」という仏教寺院が十一面観音を本尊として祀っていた。戸隠神社は「戸隠権現」であり「戸隠山顕光寺」、出羽三山羽黒山は「羽黒権現」であり「羽黒山寂光寺」がその実態だった。

ところが、これらの「山」は神仏分離令で「権現」号が禁止され、仏を廃して神のみを祀るようになったのである。

こうした神社が、現在でも寺院で仏像を安置していたとすれば、“神秘的”な雰囲気が必要な「パワースポット」とはみなされなかったかもしれない。


「大衆神道」と呼ぶべき信心の形
流行に左右され、歴史に目を向けず、迷信に振り回される現代の大衆と比べると、近世の庶民の方が信仰の面ではよっぽど“したたか”だった。

彼らは、共同体を維持するための固有信仰と、物見遊山、「観光」としての参詣をどこかで分けて考えていたふしがあるのだ。

江戸近郊の江の島や大山への参拝、あるいは「お蔭参り」の形をとった伊勢神宮への巡詣などは、娯楽としての性格も強く、信仰は「方便」だった。

日常の「俗」生活から離れ、非日常の「聖」空間に詣でるというのは、人聞きのよい口実であり、実際は「旅の恥はかき捨て」とばかりに遊興に励んだのである。

また、共同体を鎮守する氏神産土神とは別に、流行神を次々と勧請することで「祭」を増やし、休日の増加を図った人々もいたことも以前に紹介したことがある(「過労の現代人よ、『休日増』を勝ちとった江戸の若者たちをご存知か」)。

しかし現在の大衆には、そうした“信仰の使い分け”は見出せない。「清正井」を待ち受け画面にすることで癒され、「お守り」を買うことで氣が得られると信じるようとする。

このような「大衆神道」や「通俗神道」というべき信心のありようは、そろそろ反省すべき時期に来ているのではないだろうか。


大震災の経験はどこに?
1995年と2011年に私たちは未曾有の災害を経験した。そして、2018年は「今年の漢字」に「災」の字が選ばれるような1年だった。自然の恵みを実感することができなくても、自然の脅威を免れることはできないのだ。

圧倒的な自然や美しい環境は、人間に都合の良い「パワー」や「力」ではありえない。通俗的アニミズムは私たちの信仰観念と程遠いものなのだ。

「パワースポット」への関心が、歴史の古層や民衆信仰のあり方に及んだとき、このような問題にふれざるを得ないのである。