NAKAMOTO PERSONAL

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共同体メカニズムをどう政策に導入すべきか

「社会で大切なことは『無条件の愛』の学習だ」(東洋経済オンライン)
 → https://toyokeizai.net/articles/-/255769

 少子高齢化社会では、高齢者のための介護や看護、女性の社会進出のための保育などのサービスの質の重要性が増す。看護の質については大竹文雄・平井啓(編著)『医療現場の行動経済学』の第13章4節で紹介されているように、看護師の賃金が低くても質の高い看護を供給する人たちが看護師を職業として選ぶ、という理論仮説を提唱した研究がある。

 この仮説では、利他性や使命感の強い人は看護の仕事にやりがいを感じるので、たとえ賃金が比較的低くても職業として看護師を選ぶ、と考える。この仮説が正しければ、看護には労働市場で同じようなスキル・経験、業務での苦労の度合いに対して市場賃金が支払われる市場メカニズムだけでなく、利他性や使命感に基づく共同体メカニズムも働いていると解釈することができる。また同様の共同体メカニズムは看護だけでなく、介護や保育にも働いていると考えることができる。


社会的な評価の難しさ
 このような共同体メカニズムは社会的に望ましいだろうか。それを評価するのは難しい問題である。サービスの質が上がること自体は経済効率の観点から望ましい。しかし介護士や看護師や保育士が市場賃金より低い賃金で働いている場合、公平性の観点からはどう考えたらよいであろうか?

 もしも悪徳経営者が利己的な目的のために看護師らの利他性や使命感を利用している場合があるとしたら、大きな問題があろう。一方で共同体メカニズムが利他性や使命感を促進する働きを持つとしたら、前回の記事「経済学は『人としての成長』を促進できるか」で紹介した徳倫理の美徳の獲得を重視する観点からは、そのような働きは望ましい。

 ここで簡単に徳倫理を説明すると、忍耐強さなどの節制や恐れるべきことしか恐れない勇気などの美徳を獲得していき、社会に貢献することを幸福(エウダイモニアと呼ばれる、生活満足度や効用とは違う幸福)とする倫理観である。

 行動経済学では、例えばダン・アリエリーが『ずる―嘘とごまかしの行動経済学』に書いたように、人の倫理的行動について実験などを用いた科学的研究が進んでいる。また、昨年ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーがキャス・サンスティーンとともに提唱し共著書『実践行動経済学』でわかりやすく説明しているリバタリアンパターナリズムやナッジのように、新しい政策手段を開発するための思想の発展もあった。

 これに対し、共同体メカニズムをどのように評価すべきか、という難しい問題について行動経済学の研究者がおおむね一致するようになるには、これからの多くの研究が必要であろう。しかし現時点でも、どのように考えていけばよいかという道筋について、行動経済学の知見が有益であろう。

 伝統的経済学は、科学的に研究を進めるために感情などの影響を受けずに合理的に効用を最大化している経済人(ホモ・エコノミカス)を大前提とする。これに対し、行動経済学は経済人の大前提を置かない経済学である。

 行動経済学は経済人ではなく人間を対象とするので、心理学などほかの分野の知見を経済学に自由に導入することができる。共同体メカニズムの社会的な望ましさの評価については、規範倫理学の知見を経済学に導入することが有益であろう。


規範倫理学に3つの大潮流
 規範倫理学は人々のさまざまな倫理観を理論化する学問であり、その3大アプローチとして、帰結主義、義務論、徳倫理がある。先に書いたように徳倫理については前回の記事で紹介したので、今回は上記に簡単に説明した。

 帰結主義では、消費や余暇に基づく満足度(効用)などの帰結のみが重視される。行為の動機の純粋性や人格的な成長などは無視される。帰結主義の代表はジェレミーベンサム(1748~1833年)の提唱した「最大多数の最大幸福」を善しとする功利主義である。

 マイケル・サンデルは『これからの「正義」の話をしよう』でさまざまな倫理観をわかりやすく説明しているが、1つは功利主義である。また、もし政策などで資源配分を変更して、1人の個人の効用が厳密に増加し、社会のほかの誰の効用も下がっていないならば、社会にとって善い変化と評価するパレート基準という経済効率の倫理観も帰結主義の一種である。

 義務論の代表であるイマヌエル・カントの倫理理論では、行為の動機の純粋性が重視される(サンデルの上掲書の第5章)。誰であっても人を手段として利用しようとするのではなく、尊重する純粋な動機ですべてを行う義務が人間にはある、という考えである。

 例えば芸能人が被災地の支援をしたときに、動機が純粋ではない偽善行為であるという非難を受けることがある。非難する人たちは義務論の倫理観を使っている。動機は心の中のことなので、個人が自分の行為を律する倫理観として義務論を使うことができるが、社会がどのような法律・制度を作ってどう行動すべきかという判断には使えない。

 そこでカントは社会のためには社会契約論を用い、各個人が動機の純粋性の義務のために行為できるための自由を重視する。カントは欲望のままに生きることを自由ではなく欲望の奴隷になることととらえるので、ここでの自由は純粋な良心のままに生きる自由である。例えば、良心的兵役拒否者が兵役の代わりに民間奉仕をする自由を与える法律は、義務論の観点から善い法律と評価できる。

 サンデルはジョン・ロールズの正議論(上掲書の第6章に説明)を、カントの義務論に基づく社会契約とは何かに答えようと試みたものとした(上掲書第5章の最後の節)。ロールズは、仮に社会の全員が自分が社会のどの位置にいるのかわからない「無知のベール」をかぶった状態で社会契約の原則を選ぶとしたら、人々が同意する原則は正義にかなうものとなるはずだ、とする。

 このような仮説的契約から、2種類の正義の原理が導きだされるとロールズは主張する。第1原理は、言論の自由や信教の自由といった基本的自由をすべての人に平等に与えるというもので、カントの社会契約論と同様に自由が重視されている。第2原理は、社会で最も不遇な立場にある人々の利益になるような社会的・経済的不平等しか認めない、という格差原理である。


行動経済学とどのように融合するか
 以上、規範倫理学の3大アプローチを概説してきたが、これらはどのように行動経済学で用いていくことができるだろうか。筆者らは、3大アプローチを統合する原理をJapanese Economic Review(JER)に2015年に発表した論文(邦訳)で提唱した。

 筆者らはカントの義務論の、たとえ敵であっても人を目的として尊重すべき、という義務を無条件の愛で愛するべき義務ととらえた。

 無条件の愛という概念の最も重要な源泉の1つは宗教に由来する。例えば、キリスト教にはアガペーという概念がある。英国百科事典によれば、「新約聖書におけるアガペーは、父なる神の人間に対する愛であり、それは人間の神に対する応報的な愛と同様である。その術語は必然的に人間の仲間に対する愛に拡張される」。

 ユダヤ教では、人間生活の規則は「汝は汝自身のように汝の隣人を愛せよ」の戒律において極点に達する。この愛には敵も含まれている。イスラム教では、天地創造のためのアッラーの愛は無条件の愛として解釈することができる。同様に、ヒンドゥー教では、バクティという概念が神に対する無条件の献身と愛を含意している。

 無条件の愛という概念のもう1つの源泉は科学である。無条件の愛が恋愛感情や母性的な愛情のようなほかの感情の媒介となる神経回路網に関係する研究などがある。

 無条件の愛の純粋な動機で行為をすべき、という義務論の考えは崇高なものであるが、あまりに理想的であり現実の日本の政治状況で実現可能な政策の提案にはあまり有益ではないだろう。そこで、無条件の愛は理想として、「無条件の愛の学習」を善しとする原理が考えられる。

 この原理は徳を獲得していくことによって無条件の愛の学習が進むことを善しとし、学習に無理が出ないように、効用(生活上の満足度)が低くなりすぎないことも重視する。このように無条件の愛の学習の原理は、効用に基づいた帰結主義と、徳倫理のバランスをとりつつ、義務論の理想を追求しているという意味で、3大アプローチを統合する。


「無条件の愛」の学習の実践法
 どのように無条件の愛を学習していくか、具体例を考えてみたい。私のアメリカ・テキサス州出身の白人の友人は、無条件の愛を理想として奥さんと子供たちの家族共同体を大切にして生きている。しかし、あるとき自分は黒人に対して知らないうちに偏見を持っている、と気づいたそうである。

 そこで彼は黒人の子供たちを養子にして、大切に育てることで偏見を克服した。これは徳倫理からみて、家族や白人の共同体の内の利他性から、もっと広い共同体に利他性を広げていくよい方法である。

 遠いアフリカで子供たちが貧困で苦しんでいるときに、自分の子供たちに対すると同じように深い利他性を持つことは、とても自分には難しい。純粋な徳倫理の観点からは、私が友人に倣ってアフリカの子供たちを養子にして育てることは、よい方法である。

 しかし、私は現在の自分の状態を冷静にみるなら、この方法ではおそらく自分の効用があまりに下がってしまい、無理が生じるように感じる。つまり自分はまだ無条件の愛からは遠いところにいるので、効用があまりに下がらないようにしながら、あせらずに外国人を含むもっと広い共同体に利他性を広げていくのがよいように感じる。

ずる―嘘とごまかしの行動経済学

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実践 行動経済学

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これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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