NAKAMOTO PERSONAL

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数字だけでは経営はできない

「なぜ、いま『儒学』を学ぶ経営者が増えているのか」(現代ビジネス)
 → https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58824

内面を追求する時代
最近、儒学を学ぶ経営者が多い。経営者だけではない。メジャーリーガーの大谷翔平や中日にドラフト1位指名された根尾昴選手も、渋沢栄一が書いた『論語と算盤』を読んでいるという。

私の周囲でも儒学を学び、経営に取り入れている経営者が何人もいる。

儒学とは、中国古代の思想であり、「大学」「中庸」「論語」など紀元前に残されたものから、それを元に発展させていった朱子学陽明学など数百年前のものまである。

ひとつひとつを見れば、考え方に違いがあるが、どれも道徳を中心とした生き方、あり方が書かれている。

最近、これを学ぶ経営者が増えている。

私も、儒学の中のひとつ、陽明学について経営者向けに話をさせていただく機会があるが、毎回大きな反響があり、びっくりしている。

なぜ、経営者は儒学を学ぶのであろうか。

私は大きく二つの理由があるのではないかと考えている。

一つ目の理由は人々の考え方の変化だ。


経営者がなんとなく感じる違和感
私が、勉強会や顧問先社長との対話の中で、陽明学の考え方をお話させていただくと、「話を聞いてすっきりした」という感想をもらす方が多い。

「すっきりした」とはどういうことだろうか。

もう少し詳しく聞いていくと、世間一般で「経営に大事なこと」と言われているものに対して自分が抱いていた違和感が明らかになったということらしい。

例えば、「とにかく利益を出すことが一番大事で、そのためには非情なこともしないといけない」「人に優しくとか、思いやりとかそんなことでは経営なんてできない」「利益は最大化しないといけない」ということだ。

このようなことをセミナーや経営者仲間やいろんな人から聞いて、「経営とはそういうもんなんだ」と思い込むようにしていた。それができないと経営者失格として馬鹿にされる。そんな風に自分自身に思い込ませてやってきたが、心の奥底に「本当はもっと大切なことがあるような気がする」「心の底からそんな風に思い込むことができない」という感覚がつき回っていた。

なんだか心の中がモヤモヤする違和感があった。

それが私の勉強会で陽明学の話を聞いて、その自分の心の奥底にある違和感が何であるのかわかり、そして、「違和感を持つことに間違っていなかったんだ」と気づき、すっきりしたというのだ。


人はみんな何がいちばん大切かを知っている
陽明学に触れていると、「良知」という言葉に当たる。「良心」という言葉に近いかもしれない。

陽明学とは、中国で明の時代に生きた、王陽明という儒者が悟った生き方、在り方だ。王陽明は、人間は生まれながらにして、皆この「良知」を持っているという。

「良知」とは何か?「良」という言葉がつくので、「良いこと」のようなイメージを持つ人が多い。私自身もそうであった。

しかしそれは浅い理解だった。

ある時、陽明学の第一人者である先生に「良」という字を「本来」という言葉に置き換えると理解しやすいと教えてもらった。

つまり、「良知」とは、「人間が誰かに教えられなくても本来知っていること」ということだ。私はこの教えで、すとんと腹に落ちた。

つまり、人は感覚的に「こういう時はこうしたほうがいい」「本当はこういうことはしないほうがいいのになぁ」ということを知っているというのだ。

例えば、悲しんでいる人がとなりにいたら、一緒に悲しんだり、なぐさめたいという感覚が芽生えてくるのが「良知」だ。また、電車で席に座っている時に、目の前に大きな荷物を持ったおばあさんが立ったとする。この時、「席を譲ったほうがいい」という感覚が芽生えてくる人がほとんどだろう。これも誰かに教わったものではない。自然と湧き上がってくるものだ。これが「良知」だ。

人は、本来どうすべきかを知っている。ただし、その通りに行動できるかどうかは別だ。「自分も疲れているし」「もし、席を譲って「結構です」なんて断られたら格好悪いし」などと思って譲らなかったりする。

でも、自分の心は譲ったほうがいいとい知っているから、心に反する行動をしていることにどことなく居心地が悪く、寝たふりをしてしまったりする。

経営でも同じだ。心では「本来こうしたほうがいい」と知っているのに、その心にアクセスしないで、頭で考えた損得の理論で行動する。そうすると、なんとも気持ち悪いのだ。

先ほどの例に戻ろう。席を譲って、おばあさんに「ありがとうございます」と言われたらどうだろうか。もちろん、譲られたおばあさんも嬉しいだろうが、譲った側も、なんだが清々しい気持ちになって、心地よい。

この心地よさはなんだろうか。お礼を言われたからということもあるが、本来どうしたほうがいいか知っていて、その通りに行動した清々しさからくる部分も大きい。

経営者が陽明学の話を聞いてすっきりしたというのは、この部分だ。

「効率優先、論理優先、損得優先で考えるのが経営だ!」ということを学び、その通りにやっていたが、心の中にはずっと違和感があった。そこに違和感を感じる自分のほうがおかしいと思っていたのだが、「その違和感こそが正しいのだ」と言われたすっきり感なのだ。ここで言う「何か違う」というのは、経営的に儲かるか否かの視点ではなく、もっと根源的な人間として生き方からくる違和感だ。


利益の最大化は経営の目的なのか?
経営では「利益を最大化しろ」という。しかし、よくよく考えてみると、「利益の最大化」は、目的ではなく、手段のはずである。なんの手段なのかといえば、関わる人の幸福のための手段だ。

アリストテレスは、「人生の最終目的は幸せ以外にありえないと断言し、他の目標はすべて究極的には幸せを達成するための手段でしかない」と言ったそうだが、私にはこの考えがしっくりくる。

手段とは「打ち手」だ。そう考えたら、幸福になるための打ち手はいろんなものがあり、利益の最大化が唯一無二のものではないことに気がつく。しかし、利益の最大化を「目的」と捉えてしまうと、とたんに選択肢が狭まる。その結果、行きすぎた損得計算、効率化優先主義に走る。

私は、「損得計算がいけない」「効率化を考えることがいけない」と言っているわけではない。過ぎることが問題だと言っている。

儒学の中では、「中」という言葉も重要視されている。「中」とは「中間をとる」という意味ではない。「その時にぴったり」ということだ。例えば今、十分に利益が出ているとしたらば、その時にぴったりの行動が、さらに利益を追求することなのかということだ。

多くの経営者が、心の奥底では、本当はどうすべきかを知っている。その心に蓋をしていることに、本当は自分自身が一番違和感を感じているのだ。

ある会社の例を紹介しよう。

その会社では、従業員が個人的な問題を抱えていてそれが仕事にも影響を与えていたとする。

そんな時は、仕事を止めてでも、「それの解決策がないか?」とみんなで話し合う。

会社のルールや決まりごとに不満がある従業員がいる。「それについてどう思うのか?」「どうしていったらいいのか?」をみんなで話し合う。時にはそのミーティングの時間が3時間、4時間と続く。

正直言って、その場はしんどい。みんな疲れていく。「なんでこんなことしなきゃならないのだろう」と思う。

しかし、こうやって時間をかけながら、心の中にあるもやもやを潰していくと、一体感が生まれ、安心感が生まれてくる。その結果、個性が生かされるようになり、会社に皆が居場所を感じるようになる。みんなの幸福感が上がった感じが手に取るようにわかってくる。

生産性を考えたらば、経営者にとっても従業員にとってもこんな時間は無駄だ。従業員が問題を抱えていても、「それは個人的なことだから、個人で解決してくれ。解決できず、仕事に支障をきたすのであれば会社を辞めてくれ」と伝えればいい。会社のルールに不満があっても、「従ってくれ。別に法律違反をしているわけではないのだから」でいいのだ。

そして、「そんな無駄な時間があるのであらば、一円でも多く稼いでくれ」と言えばことが足りる。

しかし、この会社の経営者はそんな風に効率を追求することに違和感を感じていた。自分は機械ではない。毎日ベストの心身の状態で40年も50年も過ごすことはできない。同様に従業員も機械ではない。いろんな心身の状態、とり巻く状況などがある。そういったものをなかったものとして、効率だけ優先し、利益を一番に考え、たくさんのお金を稼いでも、心の奥底では何か虚しさを感じる。

この会社の社長も、昔からこんな考えだったわけではない。「利益、効率優先」生産性を高めて、時には非情なことをするのが経営者の仕事と考えていた。しかし、いつも心の奥底に、「本当にそれが人間の生き方として正しいのか」という違和感があったという。

そんなある時、儒学に触れることで、「利益が出ても感情的に満たされなければ結果的に幸福にはなれない」と気づき、経営のやり方も変えた。すると、利益も今まで以上に出るし、会社経営が楽しくなったという。

従業員数が30人くらいの小さな会社だが、この会社を訪問すると、みんながいい表情をしており、風通しの良さが会社全体から伝わってくるのが印象的だ。みんながここに居場所がある感じがするのだ。

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