NAKAMOTO PERSONAL

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「『日本人のための経済原論』復刊に寄せて」

小室直樹は20世紀から届けられた最終兵器だ」(東洋経済オンライン)
 → https://toyokeizai.net/articles/-/71492

小室直樹ほど「知の巨人」の名にふさわしい学者はいないだろう。博覧強記にして、稀代の社会科学者・小室直樹の経済学の代表作『小室直樹の資本主義原論』、『日本人のための経済原論』が合本として復刻した。720ページの大著『小室直樹 日本人のための経済原論』がそれである。同書に寄せられた「ハゲタカ」シリーズの作家・真山仁氏の前書きを掲載する。

ハゲタカシリーズの推薦文から始まった


 「前期的資本の国・日本が一人前になるために、真に貴重な作品である」

 2007年、ハゲタカシリーズの第2作『バイアウト』(現在は『ハゲタカ?』に改題)刊行に際して、小室直樹氏からいただいた「推薦」の言葉だ。

 それまで小室氏とは、一面識もなかった。私は経済の門外漢で、氏の著作も拝読していなかった。にもかかわらず、このぶしつけな依頼に、小室氏はふたつ返事で「ぜひ、推薦しよう!」とおっしゃってくださったと、当時の編集担当者から聞いた。

 感激した私は、「直接お会いしてお礼を申し上げたい!」と訴えた。だが、当時小室氏はご体調が優れず「そこまでには及ばない。これからも頑張ってほしい」とお会いできなかった。この絶好の機会を逃したきり、私は生前の小室氏にごあいさつできなかった。

 そんな後悔を抱えたまま月日は流れ、思いがけないことに、東洋経済新報社から本書の推薦文執筆のご依頼をいただいた。当初は「私は、小室氏の門下生でも経済学に詳しいわけでもないので」と固辞しようと思った。

 ところが、小室氏が生前『バイアウト』を気に掛けてくださって、「一度会ってみたい」とおっしゃっていたと聞き、ならば恥を忍んで恩返しをせねばと、この大役をお引き受けした。

 そして、改めて本書の元となった『小室直樹の資本主義原論』と『日本人のための経済原論』を拝読し、遅まきながら小室氏が私の作品にあの推薦文をくださった意味をかみしめた。


日本は資本主義国家ではない
 本書で小室氏は、日本はまだ資本主義国家ではないと繰り返し述べている。

 「資本主義、即ち、自由市場の原理とは『淘汰』であり、淘汰とは、失業と破産にある―」

 そう断言し、日本ではそれが正しくなされていないと一刀両断されている。上記の言葉は至言であり、私自身がハゲタカシリーズを書くたびに、何度も実感しているものと同じだ。

潰れそうな企業を国が守る。

 市場を国がコントロールして危機を防ぐ。

 経済行為に善悪や博愛主義を持ち込む―。

 なぜ、こんな不自然なことが起きるのかを、ずっと考えてきた。そして見えてきたのは、日本における資本主義の偏った考え方だった。日本では、厳然と存在するマイナス面(リスク)に目を向けず、資本主義のプラス面ばかりを強調するきらいがある。

 さらに、リスクが顕在化したら、経済の専門家までもが一斉に「国が何とかしろ!」と叫び出す。そうなると、「政府は自由主義市場に口を出すな」という資本主義の大前提は吹き飛んでしまう。どう考えても、この国は資本主義国家ではない。本当の資本主義とは優勝劣敗、弱肉強食でしか成立しないのではないか。

 そもそも資本主義とは、人間の欲望をエネルギー源に、競争し活性されて発展するものだ。そこに正義も博愛主義もない。誰かが儲かれば、誰かが損をする。それだけの話だ。

 日本が真の資本主義国家を目指すのであれば、民間企業の自由競争を妨げるような愚行は一刻も早くやめるべきだ。また、経営危機で倒産に瀕した企業を国家は救ってはならない。

 しかし、バブル破綻、リーマンショックを経験して、日本では、それとは正反対の事象ばかりが起きている。


「経済官僚は経済学が分かっていない」
 「経済官僚は、経済学が分かっていない」とは小室氏の言葉だが、2015年の現在も、それは続いている。ある官僚から聞いた話だが、「政府には、競争抑制の原理があって、業界を牽引している大手が経営危機になると救うのが常識」らしい。なぜなら、大手が倒産すると業界のバランスが崩れて、激しい競争が生まれる。それを防ぎたいというのだ。

 また、国家財政が事実上破綻しているのに「税収が増えないのであれば、赤字国債を発行すればいい。国債が売れ残ると大変だから、日銀は率先して買え。国債を買う資金がなくなりそうなら、カネを刷ればいい」という到底信じがたい政策を推し進める総理に、誰もダメ出しができない。

 小室氏の言に付け足すとすれば、そのだらしなさはマスコミも同様で、彼らも経済学を理解していない。いったい日本はどうするつもりだ!

 とまれ、いまだに日本国内では危機感は薄い。何かがマヒしているのか、あるいは無関心が蔓延してしまっているのか。いずれにしてもこのままでは、日本経済は座して死を待つだけに思えてならない。

 そこまで考えるに至って、己の勘違いに気づいた。資本主義の真理を語るのに、経済学なんて不要だと思っていたが、それは誤りであったと。

 資本主義とは、動物の生存競争そのものだと私は解釈している。競争に負けるのは、必然的な理由がある。その結果、その種は“淘汰”され、環境に即した生態系が維持される。それを無理に歪めると、生態系が破壊される。このルールと資本主義はまったく同じでないか。だから、わざわざ経済学を持ち出さずとも、日本の中途半端の矛盾は理解してもらえるはずだと、これまでは確信していたのだ。

 しかし本書を読んで、それではダメなのだと知った。経済の仕組み、中でも資本主義経済の仕組みを理解するには、やはり経済学の範疇の中で真理を伝えるしかない。そして、わからないやからを説得するためには、平易で説得力のある理論武装が必要なのだと。本書こそ、そのための“最終兵器”なのではないだろうか。


21世紀の今こそ読まれるべき憂国の書
 本書は、なによりわかりやすい。経済学の書で必ず登場する数字や数式のマジックではなく、人間の行動原則や心理、さらには歴史的経緯が端的に示されているため、本質が鮮明に浮かび上がってくる。

 たとえば、自由市場には「疎外」があると定義づけられる。疎外という言葉が経済学に用いられていることに、私のような素人は驚くが、それが自由と対比して説明されると、「なるほど、つまり自由市場って、特定の誰かの思いどおりにならない(これこそを疎外と呼ぶ!)から“自由”なんだ」というパラドクスがすとんと腑に落ちる。

 こうした小室氏独特の説得が、随所に散りばめられている。本書は経済学に詳しくない人に、正しい経済学を学んでほしいという小室氏の願いが込められている。だから、単純明快にもかかわらず基礎知識としての必須事項が拾える仕組みにもなっている。

 すなわち、小難しい“学”を振りかざすのではなく、世の中で起きている出来事を、しっかり洞察するために必要な道具として“学”を授けてくれるのだ。

 本書に収録された著作は1997年(『小室直樹の資本主義原論』)と1998年(『日本人のための経済原論』)で発表されたものだ。それにもかかわらず、現在の日本が置かれている経済事情をまるで予言するような言及が随所に見られる。

 アベノミクスを牽引するマネタリストらが陥るであろう陥穽(かんせい)や、財政赤字がもたらす破滅(ちなみに、本書が書かれたときの財政赤字はまだ500兆円だったが、それでも小室氏はもう破産していると強く訴えている)、政府による市場介入の愚、などなど―。

 本書で鳴らされている警鐘は、21世紀の今、焦眉の急となって我々に迫っている。本書で経済の仕組みを理解し、納得したうえで、日本の未来を共に語ろうではないか。