NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

『憂国忌』

ミシマの日。

一寸ばかり芸術的な、一寸ばかり良心的な。

・・・要するに、一寸ばかり、といふことは何てけがらはしいんだ。

── 三島由紀夫(『鏡子の家』)

ちょっとばかり、ということは何て汚らわしいんだ。


今日は憂国忌


三島由紀夫ら追悼 福岡で『憂国忌』」(産経新聞
 → https://www.sankei.com/region/news/181124/rgn1811240024-n1.html

 昭和45年11月25日に東京の陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で自決した作家、三島由紀夫氏らを追悼する「福岡憂国忌」が23日、福岡市東区筥崎宮参集殿で行われ、約200人が参列した。

 市民団体などでつくる実行委員会が主催。筥崎宮の田村邦明権宮司らによる祭典の後、参列者は黙祷(もくとう)をささげ、三島氏や、三島氏とともに自決した森田必勝氏の辞世の句を朗詠した。

 また、歴史作家の浦辺登氏が、「三島由紀夫西郷隆盛 両雄をつなぐ玉利家3代」と題して講演した=写真。薩摩出身で、西郷が国の再建を託したとされる喜造氏や、三島氏に剣道の稽古をつけた三之助氏ら玉利家3代にわたる西郷、三島両氏との関わりを紹介した。

三島由紀夫研究会』 http://mishima.xii.jp/
三島由紀夫文学館』 http://www.mishimayukio.jp/

 われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。 

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 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

── (『檄文』)

不道徳教育講座 (角川文庫)

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花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

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若きサムライのために (文春文庫)

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 私は三島に「福田さんは暗渠(あんきょ)で西洋に通じてゐるでせう」と、まるで不義密通を質すかのやうな調子で極め付けられたことがある。・・・・どう考へても三島はそれを良い意味で言つたのではなく、未だに西洋の亡霊と縁を切れずにゐる男といふ意味合ひで言つたのに相違ない。それに対してどう答へたか、それも全く記憶にないが、私には三島の「国粋主義」こそ、彼の譬喩(ひゆ)を借りれば、「暗渠で日本に通じてゐる」としか思へない。ここは「批評」の場ではないので、詳しくは論じないが、文化は人の生き方のうちにおのづから現れるものであり、生きて動いてゐるものであつて、囲いを施して守らなければならないものではない、人はよく文化と文化遺産とを混同する。私たちは具体的に「能」を守るとか、「朱鷺」を守るとか、さういふことは言へても、一般的に「文化」を守るとは言へぬはずである。

── 福田恆存(「覚書」一九八八年一月『福田恆存 思想の〈かたち〉』)

証言 三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決

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福田恆存と三島由紀夫〈上〉―1945~1970

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